少しだけ、風が吹いていた。

あんまり綺麗じゃない空気の混ざった生温い風。

目に見えはしないのに、でも、どろどろと淀んでいるような汚れた空気の流れ。

いつだってそうだ。息をするのも嫌なくらい、常に世界は汚いもので溢れてる。


──でも、なんでだろう。

そう、そのときだけは確かに。

きみのそばを行くそれだけは確かに。


限りなく透明だった、風。



「……セイ」


なんで答えたのかは自分でもよくわからない。

少し色素の薄い瞳をじっと見上げたまま、向けられた手のひらに、自分のを重ねたりはしなかったけれど。答えなくてもよかった問いかけの答えは、ぽつりと、くちびるの隙間からこぼれた。

わたしの名前。


「セイちゃん。うん、憶えておけたらいいな。よろしくね」


空のままの手が下ろされて、代わりにその人──ハナ、と呼べばいいのかな──が、ふわりと花が開くみたいに笑った。

セイちゃん、と、もう一度わたしの名前を独り言みたいに呟いたのは、まるで刻み込むような、静かな声。


「ねえ……きみ何。わたしに何か用?」


憶えておけたらいいな、なんて。自分から訊いておいて忘れること前提で言ってるし。なんなんだろ、この人。


「写真撮るの、邪魔なようならここ退くけど」

「あ、違う違う。そういうんじゃないんだ。いいよ、ここにいて」


わたしが眉を寄せたら、ハナは反対にちょっと上げた。もちろん口元は微笑んだまま。わたしとは、真逆の表情だ。