「すまん、俺には分からない」
いつものぶっきらぼうな言い方ではなく、さみしそうにクロは言う。
「そっか」
私もさみしく言う。
セミの声が遠くから近くから響く。
相手恋し、と鳴く、泣く、啼く。
「先にもうひとつの未練を解消するか」
しばらくして、クロはそう言うと立ち上がった。
「でも・・・」
そんな気分にはなれない。
曇った顔の私に気づいたのか、クロが言う。
「蛍、俺にはお前の心は分からない。人間みたいに俺たちは感情が複雑ではないからな。でも、案内人として言うならば、未練は解消した方がいい。たとえ本位ではなくとも、相手を大切に想うのならばやるべきだ。地縛霊になると、その大切な人たちを不幸にしてしまう。だから、相手のためにもやるんだ」
おばあちゃんが、蓮が・・・不幸になるのは嫌だ。
ようやく立ち上がった私を見て、クロはうなずいた。
バスで駅前に来た私たちは、そこから徒歩で繁華街を抜けて歩いた。都会ではないこの街は、駅から少し離れると、もうそこは住宅地になる。
「山本栞っていうのが相手の名前だ」
___栞
その名前を聞いたとたんに胸がしめつけられるような感覚が襲った。
「同級生か?」
クロが振り返りながら尋ねた。
「うん・・・親友」
「それにしては変な顔してるぞ」
ため息をつくと、クロの隣に並ぶようにして歩く。
「修学旅行前にケンカしちゃったんだよね・・・。そっか、確かに未練だわ」
「なんで?」
そう言われて考えるが、記憶がごっちゃになって思い出せない。
「・・・なんでだろ」
「ま、しょせん人間のいさかいなんてそんなもんだ。戦争だって元々はたわいのないケンカから起きているんだからな」
クロが知ったような口調で言う。
「なんでだろ」
もう一度繰り返して考えながら歩いた。山本栞とは高校生になってからの友達だ。きっかけは隣の席になったというシンプルなものだった。しかし、おしゃべりな栞とはすぐに意気投合し、それ以来親友という間柄になったのだ。
修学旅行の前の日、確かに栞とは言い合いをした。その記憶はある。
でも、原因を思い出そうとすると、まるでもやがかかったように見えないのだ。
「まあ会えば分かるさ」
クロが気楽な口調で空を仰ぎ見た。
セミはまだ鳴き続けていた。
栞の家には初めて来た。同じような家が4つ立っているエリアの端っこの家だった。
クロがチャイムを鳴らし、
「失礼」
と声をかけた。
「進歩したじゃん」
そう言って笑うと、
「礼儀だからな」
と、そっぽを向いている。
その時、ドサッという音が後ろから聞こえた。
振り向くと、栞が目を見開いて私を見ている。足元には通学カバンが転がっていた。
「蛍・・・?」
セーラー服の栞が両手を口にあてている。
「え?なんで見えてるの?」
クロに助けを求めると、クロは黙って私を指差した。
いつのまにか薄く金色の光が身体から発せられている。
未練の解消がはじまっているのだ。
「栞・・・」
「あ・・・私・・・」
栞の様子はおかしかった。口に当てた両手が、まるで幽霊でも見たみたいに震えている。
___じっさい見てるのか
「驚かないで、私」
そう言いかけて手を伸ばそうとすると、
「いやぁぁぁぁ」
絶叫に近い声で栞は叫ぶと、その場から走って逃げ出してしまった。
「ええっ!?」
逃げてゆく栞を唖然と見送っていると、クロが肩を押した。
「おい、逃げたぞ。早く追え!」
「ええっ!?」
「ほら早く!」
クロが栞の消えた方向へダッシュで走り出すのを見て、ようやく私も走り出した。
「なんでぇ、なんでぇ!?」
スーツ姿なのにクロの足はかなり速く、あっという間にふたりの姿は見えなくなってしまった。
「幽霊なら飛んでよ~」
おのれの身体に言ってみるが、悲しいくらい足が遅い。
しまいには走っているのか歩いているのかすら分からない速度になってしまい、もうあきらめて歩くことにした。
「もう、なんなのよ・・・」
商店街からはイメージソングらしい軽快な音楽が流れてくるが、それが余計に疲労を増加させている。
「クロー?栞ぃ?」
どうせ周りには聞こえないだろうと、声を出してみるが反応はなかった。
「もうっ・・・また地縛霊に会ったらどうすんのよ」
ぶつぶつと商店街を抜けると、急に田舎の風景が広がってきた。
土手の方に足をすすめると、小さな鳥居が見えてきた。
「あれ?」
行く手に着物を着た女の子が立っているのが見えた。
じぃっとこっちを見ているかのようだ。
「・・・嫌な予感」
女の子の周りには黒い煙がうずまいており、この世のものではないことが分かる。
引き返そうとするのだが、まるで吸いつけられるように足が歩みを止めない。
「ちょっ、やばいよ!クロ!クロ!!」
大声で叫ぶがどんどんと女の子が近づいてきている。
7歳くらいだろうか、おかっぱの髪に赤い着物。その表情には生気が感じられず、私をただぼんやりと見つめているようだった。
身体から放たれる黒い煙が大きくなり、それが徐々に私のほうに伸びてきているのが分かった。
「ちょ、やめなさいよ。あんた、お母さんに教わったでしょ!?そんなことしたらダメなんだから!」
黒い煙は炎のようにゆらゆらと徐々に私をとらえようとしていた。
「クロー!肝心な時にはいっつもいないんだから!バカクロ!」
炎の先端が私をとらえようとしたその時、
「誰がバカクロだ」
と声が聞こえたかと思うと、まばゆい光が視界に飛び込んできた。
「クロ!」
そう叫んだと同時に身体が宙に浮かんだ感覚。
___まただ
次の瞬間には地面を転がっていた。
光でよく見えないが、女の子の口からは発せられたとは思えないような低音の絶叫が空気を震わした。