ろくでなしでも、付き合っている間はその男がろくでなしだなんてことは欠片も思っていないわけで。

恋に恋するお年頃とは言え付き合うからには相手に愛情を持っていたし、というか、そのせいで他には何も見えていない状態になることもしばしばあった。


恋は盲目とは、よく言ったものだ。

わたしがろくでなし男と付き合って、そう長くない期間の後に別れるたびに、わたしはひどく落ち込んだ。

最低でも1週間は見ていられないほどに落ち込む(らしい)わたしを、根気強く慰めてくれたのが、当たり前だけど、春霞だった。


別れ話を終え、わたしがひどい顔で家に帰ると、大抵玄関先で春霞が「やっぱりね」とでも言いたげな顔でわたしを出迎える。

なんだその顔は、わたしがフラれることなんてわかってたみたいな顔するな、ってちょっとムカッとするんだけど。

春霞の顔を見たら泣いてしまうのはいつものこと、結局わたしは顔から出るものすべてを出しながら、春霞の胸に飛び込むのだ。


そんな日はいつも、わたしと春霞はひとつのベッドで寄り添って眠った。

どちらかの心が、ひどく弱ってしまっているとき。

中学に上がるのと同時に子ども部屋を分けてからひとりで寝るようになったけど、ふたりで寝るにはベッドが狭くなった歳になっても、そんなときには、わたしたちは小さな頃みたいにぎゅっとくっつき合って眠った。


春霞の匂いがすると落ち着いた。

春霞の心臓の音が聴こえると落ち着いた。


春霞の居る証を感じると、わたしもここに居るんだと、自分の心音を聴くよりも確かに、感じることができた。



たくさん泣いて、そのうち疲れて、汚い顔のまま安心しながら眠るまで、春霞はずっとわたしを抱き締めていてくれた。

そんな面倒臭いことが何日も続いても、わたしの心が回復するまで、春霞はいつまでもそうして側に居てくれた。