「あたし、この曲嫌い」


真希が言った。よく耳を澄ましてみるとねっとりとした低い声の男性歌手が歌っているのはどこかで耳にしたことのあるメロディーだった。



「何の曲?」


武は尋ねる。「これ、オペラだろ?俺、よく知らないな」



「椿姫」


真希が答える。


「この人のアルフレード、嫌いなの」



アルフレードは武の知らない名前だった。椿姫だけはかろうじて知っている。



「どうして?」



「椿姫の原題ってね、堕落した女っていうの。道を踏み外した女。酷い原題だと思わない?」



真希は言った。武はへえ、と相槌をうった。少し考えて武は答えた。



「そんな話だとは知らなかったな。原題のままのほうが俺は興味をそそられるけど」



もちろん本音だ。堕落した女なんて素晴らしいじゃないかと武は思った。道を踏み外した女ほど魅力的なものはない。



「椿姫なんて、いい子ぶったタイトルにしないでそのままのほうが良かったんじゃないかな。まぁ、道を踏み外した女なんて名前だったら、こんなに有名になってないか」



武が笑うと真希はどこか遠くを見るような目で、音楽の流れて来るスピーカーを見詰めていた。嫌いな曲だと言う割には、ねっとりとしたその男の声を聞き漏らさないように注意深く聞き入っているようにも見えた。


まるで昔付き合っていた恋人との思い出の曲を聞いているような、そんな表情をしている。



「俺はいい声だと思うけど」



そう言いながら、武はほんの少しだけ、アルフレードに嫉妬した。