「いきなり何を言ってるんだ。悪い冗談はやめてくれよ」
武は半分笑いながら言った。
そう言いながら、真希の腰を引き寄せて抱きしめる。
「まだ一緒に暮らし始めたばかりじゃないか。やっとふたりきりでずっといられるようになったのに」
真希は黙って武を見た。
都合の良い女、という言葉は自分の為にあるような気がして嫌いだった。
そうは思いたくなくて、ずっと気持ちを殺して付き合ってきた。
だけどやっぱりそうなのだ。武にとって自分は、抱きしめて一緒に眠る為の道具でしかない。
無理やり口付けようとする武の顔を右手で押さえる。
「武、あたし好きな人がいるの」
何度も重ねた唇の、柔らかな感触が掌に伝わった。
「武に抱かれているとき、彼の顔を思い浮かべたこともあった」
まさかという表情で武は凍りつく。
「ずっと、好きになっちゃいけない人だと思ってた。でも…、違ったの」
真希は言った。悲しそうな目で自分を見る、愛した男に最後に嘘はつきたくない。
「彼のこと、好きになってもいいんだって、そう思ったら、もうどうしようもなくて…。武と一緒にいても彼のことしか考えられなくなってた」
「あたしは彼のこと、たくさんたくさん傷つけたから、もう会ってもらえないかもしれない。それでも、あたし、その人のことはどうしても諦められないの」
「あたしは彼がいなきゃだめなの」
もう、あの日のように涙は出なかった。
目の前で武がキッチンの床に崩れ落ち、「なんで…、なんで…どうしてなんだ…」と小さく唸るような声を漏らしていた。


