「…っ、うん…!」

ふと兄さんの目が何かに気付いたように玄関へと向く。
その視線を追うと、玄関の扉を開けたそこに母さんが居た。

どくりと大きく心臓が鳴った。
でももうそれを、逃げ出したいとは思わなかった。

「…日向…?」
「…母さん…」

そう呼ばれることに、慣れてしまっていた。
自分の名前ではなく、死んだひとの名前で呼ばれることに。

だけどもう、傷つかない。
傷ついていたのは母さんも、兄さんも、きっと父さんも。
みんな、同じなのだから。

「…出かけるの…?」

母さんがどこかおぼつかない足取りで、こちらへと歩み寄る。
兄さんがぼくを背に庇うように、ぼくの前に立った。

「…うん…学校に…」
「そう…今日は何時頃、帰ってくるの…?」

何かを感じ取った母さんが、不安げに表情を曇らせる。
その白くて細い腕が、彷徨うようにこちらへ伸びてくるけれど、その手をとったのは晃良兄さんだった。

ぼくは母さんを見つめたまま、零れる涙をそのままに、優しく答えた。

「…“日向”はもう…帰って、こないよ…」

ごめんね。ぼくのせいで、また傷つけてしまうね。ぼくがずっと、弱かったせいで。
母さんはぼくよりも、日向兄さんに帰ってきて欲しかったよね。だけど。

「もう二度と…帰ってこないよ」