優しい声が聞こえたかと思うと、その瞬間温かいものに包まれる。
あたしは、ひーの腕の中にいた。
「私が悪いの。さっきは私がちゃんとしなかったから、はるは怒っちゃったんでしょ?私が悪いんだから、はるが謝る必要なんてないよ」
違う……。違うよ、ひー……。
あたしはそれだけじゃない。
理不尽なことで、あたしはひーに腹を立てた。
悪いのはあたしで、ひーじゃないよ。
「違うの、ひー……」
「はるは何も悪くないんだよ。だから謝らないで」
あたしの言葉を遮って言った。
まるで、あたしの次の言葉がわかっているかのような速さだった。
「それよりはる!今からは、私と一緒に遊ぼう!」
「えっ……」
「私嬉しいの。はるがちゃんと私のところに戻ってくれたから。だから……」
ひーがにこっと笑って言った。
「はるとの思い出作りたい!」
──この時少し違和感を覚えた。
“思い出”なんて言葉を使って、まるでひーは明日いなくなっちゃうみたいな。
「ひー、それってどういう……」
「何してんの、はる!早く行くよ!」
だけど、ひーがあまりにも楽しそうに笑うから、あたしはそんなたいしたことじゃないんだろうと思って、深く問い詰めたりはしなかった。
そのあとは、高村くんに連絡して仲直りしたことと、今日はひーと遊ぶことにしたことを伝えた。
あたしが仲直りできたことを、自分のことのように喜んでくれた高村くん。
「浩也たちにはうまく言っとくから、楽しめるだけ楽しんできな」と、残して電話は切られた。
正直、はじめのうちは罪悪感があって心からは笑えなかった。
だけど、本当に楽しそうに笑うひーを見ていたら、今だけはいろんなことが忘れられて。
穏やかな気持ちで笑うことができた。
今日はそのまま、営業時間が終わるまで、あたしはひーと遊び尽くしていた──。
【ごめんね、体調悪いから今日は準備行けない(>_<)】
あのプールの日から数日後、夏休みも残すところあとわずか。
うちのクラスは、夏休み中にできる文化祭の準備の最終段階まできていた。
今日もひーと一緒に学校に行く予定だったんだけど……。
朝起きると、ひーからそんなメールが一件来ていた。
珍しいな……あんなに元気なひーが体調不良なんて。
そんなことを思いながら、今日はひとりで行くからとのんびり準備を始めた。
「──ああ、そうなの。大丈夫ですか?……ええ、はい。わかりました、はるには言っておくわ」
1階に降りると、朝からお母さんが誰かと電話していた。
敬語をちゃんと使ってないとこから考えて、電話の相手は親しい人だと思う。
「あら。はる、おはよう」
あたしがリビングに顔を出すと同時に、ちょうど電話を終えたお母さんが柔らかい笑顔を浮かべた。
「もう、すぐ学校行くの?」
「ううん。今日はひーと一緒じゃないから、遅めに出る」
そう答えると、温かい朝ご飯が用意された。
そして、あたしの向かいに座ったお母さんが、少し深刻そうな表情で重々しく口を開いた。
「……その、ひーちゃんなんだけど、夏休み終わるまで学校行けないんだって」
え……?
目で「何で?」と問いかけると、お母さんは頬に手をあてて少し首を傾げる。
「お母さんも詳しくはわからないんだけど、さっきひーちゃんのお母さんから電話があってね。
ひーちゃんの体調が最近優れないから、しばらく文化祭の準備は休ませてもらうって言われたわ」
何故か胸がざわついた。
どうしたのかと心配する気持ちもあれば、ひーと顔を合わせなくて済むという安堵感もある。
「だから、文実委員の子に準備出られなくてごめんって、はるから謝っておいてって頼まれたの。
はる、お願いね」
「うん……」
複雑な気持ちを抱えたまま、あたしは家を出た。
学校に着くと、高村くんをのぞくみんなが、すでに準備を始めていた。
「おはよう」
ちらほらと、「はるひおはよう」と挨拶が返ってくる。
この時、ひーの場合はクラスの全員が元気な挨拶を返してくれるけど、あたしの場合はそこそこ仲良しな数人からしか返ってこない。
昔からずっとそうだったから、もう慣れてはいるけど、やっぱりひーとは違うんだ、と思って気分は沈む。
……って、あたしはひーの体調の心配もしないで何考えてんだろ。
ため息をつきながら、今ひー以外の友達で一番仲がいい香波ちゃんのもとへ向かった。
「おはよう、はるひちゃん。あれ……裕菜ちゃんは?」
香波ちゃんに挨拶を返してから、ひーが今日からしばらく来られないことを伝えた。
「そうなんだ……。大丈夫なんですか?」
「つか、珍しいよな。中里が休むなんて」
香波ちゃんに相づちを打つように、隣にいた相沢くんも会話に加わった。
「そういえば、高村くんもいませんね。まさか高村くんも来られないとか……」
「あいつは80%遅刻してるだけだから心配すんな。
とにかく、体調不良ってんならしょうがねえし、メンバー1人足りないけど準備はじめっか」
ひーや高村くんのことを心配する香波ちゃんを気遣い、明るい声で相沢くんが促した。
「そうだね。しばらく休めばひーもまた、元気になるよ。高村くんもそのうち来るって」
あたしも続けるように言うと、香波ちゃんが「そうだね」と笑顔を取り戻してくれた。
「あ、ガムテープないや」
高村くんが来ないまましばらく作業を続けていると、他のグループからガムテープやら、ダンボールやらがなくなったと、次々と声があがりはじめる。
「えっと……じゃあ、私たち文実委員が買い出しに行ってきます」
「しっかり作業を続けているんだぞ、諸君!」
そう残して、文実委員の2人は買い出しに出かけた。
いつも一緒に頑張ってて……本当に仲が良いんだな……。
その直後、ピリリリと携帯が鳴り、着信を知らせる。
マナーモードにするの忘れてた……。夏休み中だし、先生は教室にいなかったから助かったけど。
「もしもし?」
〈あ……はる?おはよう〉
電話をかけてきた相手はひーだった。
「ひ、ひー!? どうしたの?」
〈うん……。ちょっと文化祭の準備のことが気になって〉
電話の向こうのひーはやっぱり体調が悪いのか、いつもより声のトーンが低めで疲れているみたい。
咳をしているのも時折聞こえ、本当につらそうだった。
「そんなことで体調悪いのに電話してきたの?おとなしくちゃんと寝てなきゃダメじゃん」
〈うん、ごめんね。あのさ、私と同じグループの子たちに練習参加出来なくてごめんって、代わりに伝えといてくれないかな?〉
「わかった……。ちゃんとあったくして寝るんだよ」
感謝の言葉を残してから、ひーは電話を切った。
ひーってば、なんて健気なんだろう。
体調不良で参加できないのは仕方ないことなのに、わざわざ電話までしてきて。
昔から責任感強いんだよね、ひーって。
あたしは携帯を閉じ、言われた通りにひーの言葉を伝えた。
「そんな、心配しなくても大丈夫なのにー」と、ひーと同じグループの子たちは笑っていた。
それから少ししてから、買い出しから香波ちゃんたちが帰ってきて、作業が再開。
いつもなら、作業中は何も考えなくて済むのに、今日はなんだか落ち着かない。
ひーがいない、というだけで変な感じ。あたしたちは毎日のようにくっついていて、片時も離れようとしないぐらいだったから。
いつしかひーを嫌うようになったあたしは、一緒に過ごすのが苦痛になってきて。
だから今は、ひーがいなくて正直ホッとしている。
だけど、何故か胸がざわついている。
ただの体調不良ならまだしも、夏休み終わりまで休むなんて、ただの風邪か何かではないということは確か。
……大丈夫かな。
あたしの気持ちは、ただ純粋にひーを親友だと思っていたあの頃とは違う。
だけど、伊達に一緒に過ごしてきたわけじゃない。
ひーのことは誰よりもわかってるつもり。
「大丈夫」と、ひーは言っていたけどあれは嘘。声を聞くだけで、無理してるとすぐにわかった。
ひーから何も言ってこない限り、あたしは根掘り葉掘り聞かないつもりだけど……
この胸の騒つきが、何かを訴えかけているようで。
あたしに悪いことを知らせているようで落ち着かなかった。
【ごめん!今、学校着いた!】
お昼頃、あたしの携帯に高村くんからメールが入った。
それを読み終えた直後、まるで見計らっていたかのように電話が鳴る。
高村くんから。
「もしもし?」
〈あ、伊沢?ごめん、寝坊しちゃって遅刻した!〉
高村くんは、相沢くんの言ってた通り遅刻だったらしい。
すごく慌ててる様子が、声を聞いただけで目に浮かぶ。