あの夏を生きた君へ







「運ぶのは無理ですよ。」


「見つかっただけでもねぇ。」


「ここでお骨にしたほうがいいですよ。」


周りにいた人たちが言いました。


気づくと、私たちの周りには死体を焼いている人たちが何人もいます。


火を前にして立ち尽くす人たち。

声を上げて泣いている人もいれば、虚ろな目で燃えていく様子を眺めている人もいます。



私も、私の母も、幸生くんのお母さんもほとんど放心状態で、周囲の人たちに言われるがままでした。





あっという間に、幸生くんの身体に火がつけられました。



でも、なかなかよく燃えません。

少しずつ、少しずつ、炎に包まれていきました。




その様子を無表情で見つめていた幸生くんのお母さんが、狂ったように叫び始めます。


「幸生ーーッ!!幸生ーーッ!!ああぁぁーああーー!!!」



火に飛び込んでいこうとする幸生くんのお母さんを、周囲の人たちが止めています。


「いやあぁぁーーっ!!幸生ーー!!!」











ゆらゆらと揺れる炎がぼやけていきます。



幸生くんが燃えています。

「必ず行く」と言ったのに。

約束をしたのに。



幸生くんが、燃えているのです。



その時になって、ようやく私は自分の気持ちを知りました。


幸生くんが好きでした。

大好きでした。




もう立っていることも出来ず、私は崩れてしまいました。

地面に膝をついて俯くと、涙が一雫落ちていきました。




幸生くんは死にました。



「また会える」と言った幸生くん、
「生きよう」と言った幸生くんが死んでしまいました。


どうして、幸生くんが死ななければならなかったのか。

幸生くんが戦争をしていたわけじゃないのに。




涙が溢れて止まりません。




私は砂を掴み、それから地面を叩きました。



戦争が全てを奪ったのです。


私たちが大切にしていたものを。
大切に思っていた人たちを。

戦争が、何もかも奪ったのです。









声を押し殺して泣いていた私の肩を抱きしめる母、
それでも私は地面を叩き続けました。


「明子っ…明子!」




戦争なんか…戦争なんかっ!戦争なんか止めたらいい!!

日本が負けたって構わない!

何で…何で幸生くんが……何で…。


「ふっ…うっ…はぁっ…ああぁぁぁ…。」


「明子っ…明子…。」


母が私を抱きしめます。






幸生くんの綺麗な瞳、笑顔。

繋いだ手。


最後に見た、その背中。




幸生くんだったものの一つ一つが炎の中に埋もれていきます。




そして、それは、
とめどなく溢れる涙に遮られて、見えなくなってしまいました。




















幸生くんが見つかってから程なくして、小夜子ちゃんも見つかりました。

小夜子ちゃんは瀕死の重傷を負って病院にいたのです。


これは後から聞いた話ですが、見つけてくれた人によると、
幸生くんと小夜子ちゃんは同じ場所に倒れていたそうです。

小夜子ちゃんを守るようにして覆いかぶさっていた幸生くんには既に息がなく、幸生くんの下で小夜子ちゃんは幽かな呼吸を繰り返していました。

空襲後の混乱の中で、まだ息のある女の子だけでもと思い病院に運んでくれた人も、我が子を探している途中でした。
丁度、幸生くんと小夜子ちゃんくらいの兄妹だそうです。



小夜子ちゃんは、幸いにも一命を取り留めました。


でも、右腕を失ってしまったそうです。






私は、それから間もなくして、亡くなった父の兄を頼って母と二人で町を出ました。


幸生くんのお母さんに別れの挨拶も出来ぬまま、小夜子ちゃんと再会することも出来ぬまま、慌ただしく行かなければなりませんでした。




父の兄の家で暮らすことになったものの、私たちが歓迎されていないことははっきりと分かりました。


でも、他に行くところなんてありません。
耐えるしかなかったのです。














そして、あの日。
青い夏空の広がる暑い日でした。



1945(昭和20)年8月15日、正午。





私は居候させてもらっている父の兄の家で、ラジオから流れた玉音放送を聞きました。


玉音放送は天皇陛下の声によるラジオ放送で、ポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏を決定したという内容です。


しかし、途切れ途切れのお言葉は聞き取りにくく、私には何を言っているのかよく分かりませんでした。




『…堪へ難きを堪へ…忍び難きを忍び――…。』



その内、親戚の騒めきや啜り泣く声が聞こえてきました。


私の隣にいた母は深い溜め息を吐きます。

私が首を傾げると母は言いました。


「戦争が終わったのよ。」


「え?」


「…負けたの。」


私は唖然としました。
















外では、煩いくらいに蝉が鳴いていました。


私は、空を見上げます。

青い空には雄大な白い雲が浮かんでいました。


その青を、私は精一杯睨みつけました。






戦争は終わりました。



でも、幸生くんは返ってきません。



私たちの家も、小夜子ちゃんの右腕も、元通りにはなりません。

あの空襲の夜に死んでいった沢山の命も、二度と戻ってきません。



幸生くんも、他の人たちも、生きようとしていたはずです。

生きようとしていただけです。



なのに、どうして…。


なぜ、死ななければならなかったのか。




悔しくて、悲しくて、堪りませんでした。










瞳に映した青い空が滲み始めると、すっと涙が零れ落ちていきました。



私は、ひっそりと静かに泣きました。










戦後は、戦中より苦しい生活が待っていました。


食料難で配給されたものだけでは足りなかったのです。

農村へ買い出しに行ったり、闇米を買いに行ったりしました。


「戦争はもうたくさん…」と誰もが思っていたことでしょう。



戦地から帰ってきた人たちも少しずつ加わって、焼け野原になった町は復興していきました。

でも、腕や足をなくした男の人も多くいました。





そして、戦地へ行っていた私の兄は紙切れ一枚になって戻ってきました。



母は、それから随分と経ってから、

「あの時、どんなことをしてでも止めていたら…。」

と、泣きだしそうな顔をして言っていました。




戦争が心に残した傷は想像以上に深く大きなものでした。


私は、ずらりと並んだ死体の苦悶の表情を、よく夢に見てはうなされました。

そんなことが、何年も続いたのです。



でも、生きていることへの感謝は忘れませんでした。


幸生くんの分まで生きて。
幸生くんの分まで生き抜く。

兄の分まで生きて。
兄の分まで生き抜く。





命は宝物、
だから私は、彼らの分まで生きて、一日一日を大切にしよう。


そう、思ったのです。












私と母はその後、慣れ親しんだ町へ戻りました。


食べていくことで精一杯の厳しい暮らしでしたが、灯火管制がなくなり夜は明るくなりました。

空襲に怯えることもなくなったのです。








月日が経ち、私は食品会社で事務の仕事を始めました。



お見合いで知り合った方と結婚して、五人の娘たちにも恵まれました。


夫は警察官で、無口な人でしたが優しい人でした。


娘たちも健やかに育ち、皆結婚して家を出ていきました。








振り返ってみると、私はとても幸せな人生だったと思います。



苦しかったことも、辛かったことも過ぎてしまえば、さらさらと鳴る砂のような思い出に変わっていました。












でもね、時々ふいに思うのです。



夫が先に旅立ち、もはや一人きりになった家の中で。



例えば、いつかの夕暮れのような朱色に染まった空を見上げていると。


例えば、頭の毛が薄くなるにつれ見えだした傷痕に触れていると。


例えば、たった一枚の、古い写真を眺めていると。




ずっと昔の記憶が、まるで昨日のことのように鮮明に甦ってくるのです。




そして、記憶の中には必ず幸生くんがいました。


幸生くんは、瞳を輝かせて笑っているのです。



すると、私の心も少女だったあの頃に戻っていくようでした。







きっと、幸生くんはどこかで見守ってくれている、
私はそう思っています。