お母さんにあたっては、すっかり、わたしのことをハレモノあつかいだ。話しかけるときは、目も合わせない。
またブチ切れられたらたまらない、とでも思っているのだろう。
お母さんの結論は、チュウニビョウムスメには、干渉しないに限る、だから。
おはしでたまごをちぎり、じゃがいもとは別に、口に運ぶ。
ほとんど会話のない食卓をうめるのは、テレビからの高らかな笑い声だ。
テレビって、こういうときには、すごく便利だと思う。
テレビがない時代は、どうしていたんだろう。音のないなかで向かい合ってご飯を食べるなんて、きっと、味を感じない。
先にタマゴを食べきり、さあ、肉じゃがにとりかかろう、というときだった。
「・・・八子、お母さんね。考えたんだけど」
お母さんが、口を開いた。
わたしから、微妙に目線をそらしたままの、お母さん。
おはしの動きが止まる。テレビのなかの人たちはまだ、笑っている。
「おじいちゃんちに、しばらく行ったらどうかと思うの」
お母さんの続けた言葉に、おはしの先が、ピクッと動いた。