そんな気がした。

だけどまた目を開けば、それは錯覚なわけで。それは幻聴なわけで。


俺は1人で、こんな遠い場所に立っている。




―――あの日の俺がもういないのと同じように
あの日の先輩たちはもういない。









「…Who?!」


びくっ、と肩が飛び跳ねた。

怒鳴るような勢いでそう声を掛けられて、思わず目を丸くしたまま振り向いた。
大股で歩いてきた赤ら顔のオジサンに怯えずにはいられなかった。



「あ、あの…」

「○△★¥@%◎!?…£▼※●!!」



早口で、何を言ってるのかさっぱりわからない。
でもどうやら、このグラウンドは今の時間帯には入っちゃいけない場所のようだった。

赤ら顔でベラベラ喋り続けるオジサンを、俺は慌てて「ソーリー!」と遮った。

オジサンがキツい目つきを少し和らげた隙に、なんとか拙い英語を続けた。



人捜しをしてるんです。
この学校に、日本人の方はいますか?と。




英語で質問するなんて、アメリカに来た初日とは想像もつかない勇気が出ていた。
今までは全部ソニアがやってくれていたから。


俺の質問にオジサンの赤ら顔がすっかり収まり、彼はれっきとした白人だったことが発覚した。


「ウェル…ジャパニーズ?ジャストアモーメント(えー…日本人だって?ちょっと待ちなさい)」


オジサンはグラウンドから離れて、大学の校舎に入っていった。

そして数分後に戻ってきた。
手に灰色のファイルを持っている。



なんか、
心臓がドキドキしてきた。
…久しぶりに。


手に汗握る感覚を覚える。


今まで何度も裏切られてきたけど。
…それでも何度だって、信じてしまう。




「ネーム?」


ファイルを捲りながらオジサンに聞かれて、俺は軽く深呼吸してから答えた。











―――「ヒナタ。ヒナタ、アイハラ」













。*。



人は運命を避けようとして取った道で、しばしば運命に出逢う。



。*。







――――夜は静かに明けた。





眩しい光が差し込んできて、顔をしかめながら寝返りを打った。


誰も起こしてはくれない静かな朝が来ていた。









「………んー…」



カーテンの隙間から入ってくる強い光に、勢い良く背を向けて転がった。

するとベッドから転がり落ちた。





全身に衝撃が走る。


「…ってぇ…」


頭を抑えながらそう呟くと、一度だけ欠伸をした。

まだ完全には開かない目で辺りをゆっくりと見回す。



ここはどこだっけ。
ゆっくりと噛みしめるように、思い出す。





――何かに悩んでるとき、何かに迷ってるとき。
時々、現実と過去と夢の区別が難しくなることに気がついた。





だけど大丈夫。
俺が見てきたもの、今見ているものは全部現実だ。

根拠のない自信が何故か心にあった。




ここは…


―――カリフォルニア南部郊外にある、某大学の近くのモーテル。

格安のホテルみたいなものだった。


帰りがずいぶん遅くなってしまった俺に、赤ら顔のオジサン(実際は白人)が「安く泊まれるところがある」と案内してくれた。



携帯電話を見ると、
兄貴からの着信が何件かあった。

一応連絡はしたもののやっぱり心配しているみたいだった。




リダイヤルを押して、電話を掛ける。



「…あ、もしもし」

「大地?大丈夫なのか?ソニアやおばさんがかなり心配してんぞ」

「…兄貴は心配してないのかよ」

「してるしてる」

「今…9時でしょ。昼前には電車乗ってるようにするから。夕方には合流できる」


また詳しいことはあとで連絡すんね。
そう付け加えて、電話を早く切った。

外国での通話料はばかにならない。



携帯をカバンにしまうと服を着替えた。
歯を磨いて顔を洗って、朝ご飯がわりに買っておいたパンをかじる。

でもそのパンはやたらと甘くて、思わず顔をしかめた。



忘れ物がないかを確認すると、部屋の鍵を受け付けに返した。


「サンキュー」

「ハブアナイスデイ(良い旅をね)」


笑顔で送り出してくれた金髪のお姉さんに手を振った。



――良い旅、かぁ。


なんて心の中でため息をつきながら。






――日向先輩は結局、あの学校にはいなかった。

オジサンは申し訳なさそうな顔で残念がってくれたけど、俺はすぐに気持ちを落ち着けることが出来た。



仕方ない。
…なんとなく、分かってはいたんだ。と。




モーテルを出て、タクシーを探しながら駅方面へとゆっくり歩いた。

旅はもう終わろうとしている。



最後に訪ねた学校が、まさにその場所だった。
なんて奇跡が起きればいいなと思ったけど…

やっぱりそんな、甘いことはないんだな。


そうため息をつかずにはいられなかった。





――もう帰ろう。


帰らないと。


俺を待つ人たちのところへ。
帰って、K大のための勉強をしないと。



そう自分に言い聞かせたときにちょうどタクシーが向かい通りに見えた。

慌てて手を上げて、タクシーを呼び止めようとする。





まさにその、瞬間。



「……ん?」


足に軽い衝撃を感じた。




まだどこか夢うつつで、寝ぼけている俺の頭をコツンと小突くような。

小さいけれど確かな、衝撃だった。



足元を見ると真っ赤なリンゴが2つ転がっていた。

「リンゴ…?」


かがんでそれを拾い上げると、また新たに2、3個こっちに転がってきた。



…なんじゃこりゃ!





リンゴをかき集めるように拾いながら、転がってきた方向に目を遣ると。


――色白の、でも日本人顔をしたきれいなお姉さんが立っていた。

柚先輩にどこか雰囲気が似ているし…年齢も似ている。



「ソーリー」


その人は細くきれいな声でそう言うと、困り顔でリンゴを拾い始めた。


なんだか柚先輩に似ているところが他人事とは思えなくて、手伝わずにはいられない。




10個近くあったリンゴを全部集めて、スーパーの袋に入れ直すと、お姉さんはそこで初めて俺の顔を見た。


「…あら」


近くで見れば見るほどきれいな顔だった。

思わずどきっとする俺をよそに、お姉さんは日本人に会えた安心からか笑顔になった。


「ありがとう、助かりました。…日本の人に久々に会ったなぁ」



色白な肌に映える、まっすぐな黒髪。
焦げ茶色の瞳。

ハーフではないだろうけれど、本当に美人だな。と思った。



「いえ。リンゴたくさん持ってるんですね」

「今日は大学が休みだからアップルパイを作ろうと思って。そしたらうっかりつまずいて、全部転がしちゃった」


ふふ、と軽く舌を出して彼女は笑った。

"大学"という言葉に反応して、聞いてみた。



もしかしたら柚先輩と同い年なのかな?




「大学生なんですか?」

「そう。今20歳」



本当に同い年だったんだな。
そう感心してしまった。


着ている水色のワンピースとか、雰囲気も本当によく似ている。