昨日、彼は少し元気がなかった。やたら人肌を恋しがって、私をずっと抱きしめていたっけ。

『一緒に死ねたらいいのになあ』
『やだよ。私は生きるんだから』
『冷てえなあ、お前は』
『一緒に煙草に溺れて死ぬんでしょ? 私が死ぬ時まで待っててよ』

 彼は苦笑しながら、私にキスをした。『仕方ねえなあ』って呟きながら。そして、私を抱く手に力を込めた。

『真琴と一緒にいたいなあ』

 その言葉に、心のなかで〝じゃあ結婚してよ〟と突っ込んだ。彼は私の気持ちを察したのか、困ったように笑ってから私の頬を優しく撫でた。そして、最後の言葉を吐き出して帰った。

 ……結婚する気のない男だというのは、なんとなく感じていた。何度がそんな話をしたことがあるけれど、いつも笑ってかわされたから。母子家庭の彼は結婚に対して、あまりいいイメージがないのかもしれない。父親のDVだか借金だか、なんかそういう理由で離婚したらしいし。

 彼が結婚に対してどう思っているかはさておき、私はもうすぐ三十路だし、そろそろ結婚のケの字くらいは口にしてほしかった。でも最近では〝事実婚〟という便利な言葉がある。そういうのも私たちらしいな、と思い出していた。けれど、そんな問題じゃなかったんだ。

 そんな関係ですらもなかった。

「あなたは、知らなかったんですね」
「あなたは、知っていたんですね」
「……先週、康ちゃんに、別れ話をされましたから」

 彼女の言葉に特別驚きはなかった。先輩に聞いていたから。あとは、今更そんなことを知ったところで、なにも変わらないから。

「あなたは、十年付き合ってるんでしたっけ?」

 く、と喉を鳴らして笑いながら彼女を見上げた。



 全ての真実を知ったのは、今日だ。数時間前のこと。

 今日、昼過ぎに家にやってきたのは、さっきの先輩。私の連絡先を知らなかったから、と家のチャイムを鳴らした。家だけは覚えていてくれたらしい。
 目を真っ赤に染めて、重たそうに口を開いた。

『康也が、昨日事故で……』

 なんの冗談かと思った。安いドラマみたいな展開。
 けれど、彼が口を重たくしていたのはそれだけの理由じゃない。寧ろ、その後に続く言葉のほうがメインだったのだろう。

『今日お通夜で……真琴ちゃんが行くなら俺も行くから、向かえに来るよ。だけど……真琴ちゃんには、辛いかもしれない』
『康也には、十年付き合っている彼女が、いるんだ』
『多分、康也のおばさんの隣には、その子がいると、思う』

 つまり二股をかけられていたってこと。しかもそれは、あいつの友達はみんな知っていたんだとか。知らなかったのは私だけ。センパイを含め、今まで顔を合わせた人に私は二番目の彼女だと思われていたらしい。これほど惨めな事があるだろうか。

 本来なら行くべきではない立場だと、わかっていた。それでもお通夜に参列したのは、やっぱり……意地だ。

 彼がいなくなったことへの悲しみでもなければ、まだ現実を受け入れられないから確認しに行ったなんてこともない。

 死んだバカな男と、隠され続けた本命彼女を拝みに行っただけ。