しばらくするとシャンパンを手にしてボーイが戻ってきて、私達のグラスに静かに注ぐ。
 注文していないのに持ってくるってことは、和也が料理まで予約してくれていたのかもしれない。29歳の男性らしいスマートな振る舞い。なにがあった和也。

 これを口にしたら不機嫌に拍車がかかることは間違いないから黙っておこう。

「ん」
「あ、ああ、どうも…?」

 メリークリスマス! といえばいいのかわからなくて、とりあえず和也のグラスにそっと触れ合わせて告げる。和也は苦笑して「どうも」と返しながら一口飲む。
 それにつられて私もグラスに口をつけた。

「やれば出来るんだな」
「なにが?」
「早く帰れるのが」

 前菜が並べられると同時に和也が言う。

「まあ、1ヶ月も前からみんなに宣言してたからね。代わりに明日は終電まで仕事だろうけど」
「なにそれ、イヤミ? 俺のせいで残業だってか?」
「ひねくれすぎじゃないの。そんなつもりじゃないわよ」

 なにやら今日の和也はピリピリしているらしい。
 いつもならイヤミで同じようなことを言ったとしても「頑張れ社畜」とケラケラ笑うくせに。

 今日は口を噤んでおとなしく過ごしたいけど、こんな和也の相手をしていると私までピリピリしてくる。

 こうなってくると、闇に隠したままになっている不満や不安がぶわりと私を侵食し始めて、気持ちが沈んでしまう。
 このままでいいのかな、とか。いつまでこのままなのかな、とか。そういうのが。

「あーやめやめ。せっかく予約までして来たんだから、楽しく過ごそうぜ」
「……そうだね」
「いつまでもそんな顔してんなよ。肉、柔らかいぞ」

 いつまでもこんな顔をさせているのはお前だクソが。

「ワイン飲むか?」
「あ、うん」

 もやもやもやもや。
 私だってこんな日にこんな気分になりたくなんてないのに。

「ここのデザートうまいんだよ」

 その情報、誰から仕入れたんだろう。

「ここ気になってたんだよ」

 どうして気にしだした。
 普段は高い料理好きじゃないくせに。王将と天下一品が大好きなくせに。

「この前飲んだときに」
「——誰と?」

 口にして思わずハッとなって顔を上げた。
 思った通り和也の顔は固まって、その後盛大なため息を落とす。

「なんなの? まだその話引きずってんの? お前も納得したはずだろ」
「……わかってるわよ。っていうかあんたが悪いのに偉そうにしないでよ」
「お前がいつまでもネチネチ引きずるからだろ」

 ネチネチ?
 誰がいつネチネチ口にしてあんたを責めたっていうの。あのときも、これまでだってそんなに責めたつもりはないんだけど。

「浮気した男が偉そうに」
「そこがネチネチなんだろ。あれは俺も悪かったって謝っただろ」
「謝ればいいって? 何様よ」

 険悪ムード再び。
 無言で高価だと思われる肉にナイフを入れる。この肉が和也のアレなら、さぞ気持ちいいだろうな、なんて下品でもったいないことを考えた。
 味だってよくわからない。スーパーの肉より柔らかいのはわかるけれど。

「三十路近くなってふらふらばかじゃないの」
「そんなこと言うならお前だって三十路近くなったくせに、ラフすぎるんだよ。もっとオトナの女っぽい格好でもすればいいじゃねえか」
「だから浮気するってわけ? じゃあすれば? 去年みたいに『お前がいなくてクリスマスひとりとか虚しいし』とか言って他の女の子と一緒に過ごせばいいじゃない。朝まで」
「一年も前の話引きずり出すなよ、こんな場所で」
「一年前でも十年前でも浮気に変わりないでしょ」

 なんで許してしまったのかと自分が馬鹿みたいに思えてきた。
 もしかして今日のこのホテルも去年の女の子と一緒に行ったんじゃないだろうか、なんて思えてくる。

 あー胸糞悪い。帰ろうかな。