「お前さー」
泣き顔を見られたくなくて覆ったままの両手を、章がゆっくりと引き剥がす。その下にはぐちゃぐちゃの私の顔。惨めになるから隠していたのに。
「結局、ずーっと〝この顔〟の俺のことが好きだったってことじゃねえの?」
ぐっと言葉に詰まると、章は声を上げて笑う。
「ばっかだなーお前。ほんっとバカ。バカすぎて逆にすげえよ、お前」
「うっさいなー! もういい!」
「はいはい、拗ねるな拗ねるな」
掴んだままの私の手をぐいっと引き上げ、倒れこんでいた私の上半身を起こし、子供をあやすように優しく抱き締める。彼からファンデーションの匂いがする。
「そんなに俺のこと好きだったとは知らなかったなあ」
「……よくわかんない」
章のメイクした顔に、一目惚れしたのかもしれないし、もっと前から好きだったのかもしれない。どちらが先かは今もわからない。ただ、初めてメイクをしている章を見たときに思った。この人がこんなに綺麗になるのなら、この人以上に綺麗にならなくちゃ、この人の隣に並べない、って。
美人になりたい、可愛くなりたい、章のようになりたい。あれがほしい、あの顔が欲しい。
恋い焦がれた気持ちは嘘じゃない。憎らしいほど羨ましかった気持ちも、卑屈になるほど妬ましかった気持ちも、悔しさも惨めさも吹き飛ぶほど憧れた気持ちも、多分本物だった。
〝彼〟か〝彼女〟か、どちらに対してなのか明確にできない。私の中でどちらが本物でどちらが偽物なのかがわからない。だけど、好きだ。
章は黙り込んだ私の、涙の跡が残る頬を撫でる。そして机の上に置きっぱなしだったマスカラとルージュを手にして、「目、瞑って」と私の顔に色をのせた。大人しく彼の手に自分を委ねていると「ほら」と満足気な声が聞こえた。
「俺、お前の顔、結構好きだよ。随分前からなんとなく思ってた」
結構ってなんだろう。なんとなくって失礼じゃない?
その質問は、章のキスに飲み込まれた。口元に軽く、そして、私が章にしたように睫毛に。離れた章の唇には、私のルージュが微かにのっていた。今度はそこに私がキスをする。お互いにのせられた色は、繰り返し行われる行為によって、どちらのものかわからなくなるほど混ざり合って、溶けて、消えていく。
メイクをした章と、ありのままの章。どっちも本物でどっちも偽物。私の彼に対する感情も。だけど……混ざり合うならどっちも同じになる。たとえ偽物だとしても、今交わすこのキスは、鏡越しでは感じられないぬくもりがある。
彼の瞳の中に映る自分を見て、温かい涙が一滴頬を伝った。
――やっとこの人の黒い睫毛の奥の瞳に自分が映っている。
*
「……ねえ、また、化粧させてね」
隣で私を抱き締める素肌の章を見つめながらそう言った。
〝きみ〟であるならどっちも本物だから、と呟くと呆れたようなため息をひとつ落としてから「気が向いたらな」と笑ってくれた。
了