「やっぱり、綺麗……」
目の前に十年以上追い求めた本物がある。夢でも見てるんじゃないかと思うほど、嘘みたいな現実がここに。
「褒められても素直に喜べねえんだけど」
「喜んでいいよ」
出来上がった彼をじっと見つめてる私を見て、章は複雑そうに笑った。自分でもわかる。私の顔からは、きっと欲情があふれている。
瞳に吸い込まれるように顔を近づけたけれど、彼は避けることもせずに私を受け入れた。そっと、彼の睫毛に口付けし、軽く挟む。そして、ゆっくりと彼の唇に近づいて、一瞬彼と視線を合わせてから唇を舐めた。口紅の独特な味が口内に広がる。化粧品の香りが鼻をくすぐる。唇を離しても、数センチの距離で彼を見続けた。彼の綺麗な瞳の中に映るのは相変わらず私の素朴な、平凡な顔だ。
「――……んっ」
呆けていると、突然私の腰に彼の手が回り、強い力で抱き寄せられ強引な口づけ。
迫る彼の男の顔に、思わず目を瞑って彼の厚い胸元を押す。けれど、びくともしない。彼は貪るように、乱暴に私の口内を犯す。
気持ち悪い。いや、変な感じ。おかしくなる。狂いそうになる。
だって……章とキスしている。女のように綺麗に着飾った章と。だけど、躰は男の人。いや、欲情した章は、なにもかもが男だった。メイクをしていたって、男にしか見えない。 そう思った瞬間、足許から脳天まで電気が走ったかのように痺れた。力を込めてもう一度、章の胸を叩く。その衝撃はそっくりそのまま自分に返ってきてバランスを崩して床に倒れ込んだ。もちろん、章も一緒に。
「……なにその顔。なんで泣きそうな顔してんの、お前」
私を見下ろす章は、綺麗な顔なんかじゃない。奥二重だから、アイシャドウはすでに薄くなり、口紅は幾度も繰り返したキスでほとんど残っていなかった。
「化粧……頑張ったのに」
「……なに? お前化粧してる俺が好きなの?」
「うん」
はっきりとそう答えると、章は引きつった笑みを見せた。けれど私の上から動かない。
「……私、女の人が好きなのかもしれない」
「なんでそう思うわけ?」
「その顔が好きで、ずっと、その顔が欲しかったから」
街ですれ違う女の人を見ては、章の高校時代のあの一瞬の〝女性〟を思い出して子宮が疼いていた。男と付き合っても、セックスしても、なにかが違った。
「ずっとその、綺麗に彩られた睫毛にキスしたかったの。だから自分に化粧して、何度も好みの顔になれるように頑張って、ずっと鏡越しにキスしてた。……気持ち悪いでしょ?」
鏡に落とした冷たいキスは、偽物だと責められているような気がした。私なんかでは無理なんだと思い知らされた。子宮は疼きっぱなしで治まることもない。愛しくて、憎らしくて、羨ましくて、手に入れたいのに手に入れられなくて、虚しさばかりが募った。
「……でも、多分違う。好きじゃない、わかってる」
自然に涙が溢れて、自分の顔を覆う。
こうして求めていたものがストンと掌に落ちてきた。やっと解放されるんだと思ったのに、章とキスをしてわかってしまった。
「嫌い、大嫌い、なくなれそんな顔。二度と見たくない」
「……めちゃくちゃ言うなお前」
なんで泣いているのか、章は聞かない。ついでにまだ私の上にいる。さっさとどいて帰ればいいのに。こんな意味の分からない私に愛想つかせて出て行けばいい。そもそも私のことなんて好きじゃないくせに。なんで付き合おうとか言い出すんだよバカ。意味分かんない。軽すぎて引く。
「……なんで、そんなに綺麗なのよ。男のくせに」
「そんなこと言われても知るかよ」
「そんなに綺麗だったら、私が惨めじゃない」
私はどんなに頑張っても、章ほど綺麗にはなれないし、魅力もない。なにもかも太刀打ち出来ない。