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化粧道具を手にしてジリジリと章を追い込むと、彼は座ったまま後ずさりする。
「……そのために俺を家に呼んだのかよ」
「そう。だめ? もう一度見たいんだけど」
「俺のこの高ぶった気持ちをどうしろと……」
知らないよ、そんなの。
彼の顔立ちには赤い口紅が似合うと思うけれど、オレンジっぽいのもいいかもしれない。アイシャドウは何色がいいかな。濃い色も淡い色も似合うから悩む。マスカラは真っ黒でボリュームアップのものがいい。
「とりあえず、下地から始めようか」
「え? マジですんの?」
「冗談でこんなことしないでしょ。大丈夫、独学だけど結構上手いから、私。目、瞑って」
強引な私に章は戸惑いながらも瞼を閉じる。頬に手を添えると、微かに身体が跳ねた。
下地を手のひらに少しのせてから、彼の綺麗な肌に薄く伸ばして馴染ませる。その後でリキッドファンデーション。もともと色は白いからあまりのせずに、薄く、薄く。そして、ファンデーション。それだけで正直うっとりしてしばらく眺めてしまった。
眉毛を軽く整えてからグレーのアイラインを引いて、濃いグレーとベージュを何度も重ねて大人っぽい目元に仕上げる。我ながらいい腕を持っている。自分の顔で何度も試行錯誤を重ねた結果だろう。
マスカラを塗り、チークは軽く。最後に、赤みの強い口紅を彼の薄い唇にゆっくりとひいた。
「……できた」
言葉をかけるとうっすらと彼の瞳が開く。
ああ、この顔だ。一目見たときから憧れて仕方のなかった〝彼女〟が目の前にいる。人を引きつける力強い瞳と、どう動くのか、どんな言葉をのせるのか、興味を抱いてしまうような魅惑的な赤い唇。中性的、だけどどんな女性よりも麗しい。歳を重ねた〝彼女〟は学生時代よりも魅力を増していた。
高校二年の文化祭で、私は〝彼女〟と初めて出会った。
クラスの出し物である『女装喫茶』の呼び込みをしていた章を見かけたとき、息が止まるかと思った。体が震えて、目眩がした。
元々長く濃い睫はマスカラにより強調され、薄い綺麗な唇は赤みの強い口紅がのせられて艶やかに輝いていた。私がそれまで見てきたどんなものよりも、どんな女性よりも、美しかった。
友達にからかわれていた〝彼女〟は私の方を見ることはなかった。
こっちを見て、話しかけて、触れさせて――キスを、させて。
憧れだとか、尊敬だとか、羨望だとかではなく、ただ〝彼女〟に欲情していた。
それから私はありとあらゆる化粧品を手にした。使いもしない色とりどりのアイシャドウに口紅。基礎化粧品だっていろいろ試してみた。せめて自分の顔で、と追い求めた。けれど、当然私はどんなにメイクをしたところで私以外になれはしない。
街中ですれ違う女性から好みの女性を探していたりもした。友達に化粧をしたこともある。けれど、誰もあの人には敵わなかった。当然、あの〝彼女〟ではない。
もう一度〝彼女〟に会いたかった。手に入れたかった。