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 ぼんやりと思いを馳せていると、隣の名前も知らない男の子は「もったいないなあ」と呟いた。

「美味しそうなのに」
「……それは、どうも」

 吐き出したため息が白く染まった。
 この人、いつまであたしの隣りにいるつもりなのだろう。

「かわいそうに」

 その言葉に、びくりと身体が跳ねた。
 かわいそう、という言葉がなにに対してなのかは、わからない。チョコレートのことかもしれないし、あたしのことかもしれない。

 行き場をなくしたこれらは、自分だから。
 そして、そんな風に思われることすらも罪な、想いだから。なのに、ただの同情のようにも聞こえるその言葉に、一瞬泣きたくなった。

 愛美と一緒に作ったチョコレート。
 毎年バレンタイン当日までに二〜三回一緒に作る。今日は一年ぶりだという愛美のために、ベーシックなトリュフを作った。

 簡単で、見た目もいい。
 愛美と違ってどれも均一の大きさと形に整えられたあたしのチョコレート。ちなみにあたしのだけは、中にラズベリーのジャム入り。

「捨てるならオレ食べてあげようか?」

 けれど、彼はそんなあたしの気持ちに全く気づかない様子で、笑顔を向けてそう言った。

 ……ほんと、変な人だな。

『やめなよ』と、そう言いながらもあたしを全く責めない。きっと本当にやめてほしいとか、そういうことではないのだろう。

 おそらく、毎年変なことをする女がどんなのなのかという興味で声をかけてきたに違いない。

 でも、不思議と嫌な感じのない人だ。
 人懐っこい笑顔のせいだろうか。ただ単に整った顔をしているからかもしれない。

「だめ」

 だけど。

「これは誰にもあげないの」
「好きな人の為に作ったから?」

 ぴくんと、一瞬反応してしまった。
 違う、と口にしたいのに、それができなくなる。

「じゃないと作らないよな? 手作りのチョコなんか」
「……放って置いて」

 チョコレートのことも。あたしのことも。
 図星を突かれてしまった悔しさと、恥ずかしさが胸の中で混ざって、苛立ちが生まれてくる。

 自分のカッコ悪さが、情けない。

 あたし彼から視線をそらして俯くと、彼はしばらく黙った後、なにも言わずに、ふっと隣から立ち去った。
 その瞬間、冷たい風があたしを吹き付ける。

「じゃ」

 寒さに縮こまっていると、背後から彼が再び声をかけてきた。
 怒って、呆れてどこかに行ったんだと思った。けれど、彼の声色はさっきまでと変わらず明るく優しい雰囲気を孕んでいる。

 振り返ると、笑顔でひらひらと手を振ってきた。

 チョコレート色の彼。
 さっきまでひとりでここに立っていたのが不思議なほど寒い橋の上。彼があたしの隣に立っていたのは、もしかして風を遮ってくれていたんだろうか。

「まさかね」

 きっと、たまたまだ。
 ぽつりと呟いて、手元に残されたチョコレートを見つめた。あたしの、固まった思い。見た目だけが整ったそれは、中身はどろどろでぐちゃぐちゃのチョコレートだ。

 そのまま箱をひっくり返して、残っていたチョコレートを一気に川に落とした。
 ぼちゃぼちゃっと、沈んでいく音が冬の寒空に響く。これ以上寒くならないといい。あんまり寒かったらチョコレートが溶けないまま流されてしまう。

 いつまでも、どこまでも。
 みっともなく存在し続ける。

 さっさと消えてしまえ。行き場のないあたしの想いと共に。間違っても、川底でひっそりと存在し続けるのだけはやめてくれ。

 そう思いながら踵を返して家に向かった。