日向は誰よりも冷静で、何食わぬ顔のまま軽くストレッチをしていた。
「…余裕だな」
「違うよ。
…ここまで来たら、自分を信じるしかないんだって」
余裕なんてない。
一度だって、余裕だったことなんかない。
…いつか日向があたしにそう言ったことを、思い出していた。
「始まる…」
誰からともなく、そう呟いた。
日向を含む出場者が、各レーンについて。
中距離…800mを全力を尽くして走るために、身構えた。
放送なんて耳に入っていなかった。
…風の音すら、聞こえない。
スタートは短距離のクラウチングスタートではなく、スタンディングスタート。
その体勢になったのを確認した係の人が、「位置について」とピストルを上に掲げた時。
隆史先輩が、静かに呟いた。
「…Be wind which has a color of clearness.」
―――透明な風となって。
…思い切り、駆け抜けろ。