ずっと耐えてきた。
家族にも。
絃子にも。
遼にも。
けれど――優しくあることと、傷つけられ続けることは違う。
「琴子……」
遼が恐る恐る声をかける。
「何?」
「あの……俺たち、もう一度――」
「話しかけるな、ゴミクズが」
「……!」
「二度と近づかないで」
「ひっ……!」
遼は青ざめ、その場から逃げていった。
「あ……」
「絃子」
「あ、あんな奴と……私が結婚するわけないじゃん」
「でも、寝たんでしょう?」
「そ、それは悪霊が私に取り憑いて……!」
「自己意識も保てないなんて、大したことないのね。あなたの霊能力って」
「……!」
「そのうえ、あんな無能な男との子どもまで身籠って」
琴子は首を傾げた。
「可哀想」
「う、うるさい!」
絃子は震えながら、禁術の印を結び始めた。
「こうなったのも全部……あんたのせいだから!」
「……」
「何で……」
絃子の瞳から涙が溢れる。
「何で、私じゃなくてあんたなのよ!」
力が暴走した。
地鳴り。
床に亀裂が走る。
その隙間から、無数の黒い腕が這い出してきた。
悪霊。
怨霊。
この世に残った怨念が、一斉に姿を現す。
「全部まとめて喰われればいい!」
絃子が叫んだ。
「この世のすべての怨念に取り込まれて、死ね!!」
無数の悪霊が、琴子へ襲いかかる。
その瞬間。
巨大な鏡が、琴子の前に出現した。
「まさか……月鏡……?」
大神官の皇族にのみ継承される神器。
邪なるものを映し、封じ、浄化する神鏡――月鏡。
「……!」
その鏡の前に、一人の青年が立つ。
祭司の装束。
月の光を溶かし込んだような、淡い銀髪。
「琴子様、お下がりください」
「月人!」
青年――月人が祈りを捧げる。
巨大な鏡から、眩い光が溢れ出した。
「アアアアアッ!」
悪霊たちの悲鳴。
光は瞬く間に悪霊を飲み込んでいく。
「あ……あ……」
絃子は腰を抜かした。
やがて、すべての悪霊が鏡の奥へと封じ込められる。
静寂が戻った。
「琴子様」
「ありがとう、月人」
「貴方をお守りできてよかった」
「もう、かしこまらなくてもいいのに」
「……はい?」
「もうすぐ夫婦になるんだから」
「はい」
「は?」
絃子の声が裏返った。
「夫婦って……どういうこと?」
「遼のご両親が、彼を紹介してくださったの」
琴子は月人を見上げる。
遼との婚約が破談になったあと、遼の両親から紹介されたのが月人だった。
最初こそ、大神官の皇子という身分に緊張した。
けれど何度か言葉を交わすうちに、琴子は彼の誠実さと、不器用な優しさに惹かれていった。
「彼はこの国を治める大神官様の第三皇子。私より二つ年下だけど、とても頼りになるの」
琴子は微笑む。
「見目麗しいだけじゃないのよ」
「な……」
絃子の顔が歪む。
そして琴子は、月人と会ううちに一つのことに気づいていた。
月人は、琴子に霊能力があるかどうかなど、一度も尋ねなかった。
――貴方が琴子様であること以上に、必要な理由がありますか。
初めてそう言われた日のことを、琴子は今でも覚えている。
「何で……私じゃないのよ」
絃子が呟く。
月人は淡々と答えた。
「琴子様ではないからです」
「は?」
「貴方は、絃子様です」
「同じ顔してるのに……!」
「外見が同じだから何です?」
「……!」
「内面の美しさは、琴子様の方が格段に上です」
「月人」
琴子が苦笑する。
「その辺にしておきましょう」
「何故です?」
「この人に言い返す価値もないから」
「……そうですか」
「こ、この……!」
絃子が再び印を結ぼうとする。



