けれど、小夜子には秘密があった。
彼女は――生きた人間ではなかった。
かつて親友に婚約者を奪われ、絶望の末に命を絶ち、成仏できないままこの世に留まり続けている地縛霊。
それが、小夜子だった。
霊能力を持たない琴子には、小夜子が霊であることさえわからない。
そもそも、なぜ――霊能力のない琴子に、小夜子だけが見えていたのか。
小夜子にとって、琴子のそばにいる時だけは、この世に縛りつける苦しみが不思議と薄れた。
琴子の魂が放つ温かな波長が、地縛霊である小夜子の怨念を鎮めていたのだ。
だからこそ、小夜子は琴子を手放せなくなった。
そして小夜子は、その力に縋るようにして――自らの姿を実体化させた。
琴子にだけ見え、琴子にだけ触れられる存在として。
それでいい。
小夜子は、優しい琴子が大好きだった。
天涯孤独だと聞けば、自分のために涙を流してくれた。
親友に裏切られ、婚約者まで奪われたと話せば、まるで自分のことのように泣いてくれた。
琴子なら、自分の苦しみをわかってくれる。
そう思っていた。
――半年前。
琴子に婚約者がいると知るまでは。
☆
「私には、結婚を約束している人がいるの」
「え?」
「親同士が決めた人なんだけど。相手のご両親は、私にとてもよくしてくださるの。だから、私もこの縁談は受けようと思っているわ」
「……そう」
☆
琴子が結婚してしまえば。
また、自分はひとりぼっちになる。
そんなのは嫌だった。
絶対に嫌。
小夜子の中で、ある思いが膨らんだ。
琴子は、あたしのもの。
誰にも渡さない。
そのためには、琴子の結婚を――阻止しなければならない。
☆
琴子の婚約を知った直後。
「ねえ」
小夜子は、絃子に接触を試みた。
琴子と向き合う時とは違う。
絃子から感じる波長は、ひどく不快だった。
「あんた、幽霊ね」
「そんなことはどうでもいいの」
「は?」
「……琴子と同じ顔してるのに、全然違うわね」
小夜子は淡々と告げる。
「あんた、さっきから何なの? 琴子がどうとか言ってたけど」
「そんなことより、琴子。婚約してるの?」
「何であんたが……そんなこと知ってるのよ」
「幽霊だから。とでも言っておこうかしら」
「何よ、それ」
「ねえ。破談にする気、ない?」
「は?」
「あんた、琴子が気に食わないんでしょ?」
「……!」
「霊能力者の家系に生まれながら、霊能力がない。無能のくせに、許嫁は――あんたの好きな男」
「あ、あんたに関係ないでしょ!」
絃子は叫んだ。
「あたしに、いい考えがあるの」
「な、何よ」
「あんた、性格は終わってるけど。琴子と見分けがつかないくらい、顔だけはそっくりよね」
「せ、性格終わってるって……あんた何様?」
小夜子は絃子の抗議など気にも留めず、続けた。
「そんなに琴子が気に食わないならさ。あんたが琴子の婚約者を奪えばいいのよ」
小夜子は、絃子をそそのかした。
「そうか。はじめから、そうすればよかったんだわ」
「あたしが琴子になりきってあげる。だから、あんたの身体をちょっと貸して」
「やるからには、うまくやってよ」
「ふふ……任せて」
そして、小夜子は絃子の身体に憑依した。
*
「遼……」
「絃子、何の用だ?」
遼には、琴子ではないと一瞬で見抜かれた。
琴子になりきる必要など、本当はなかった。
遼が絃子を選びさえすれば、それでいい。
「もうすぐ琴子と、結婚するのよね」
「今さら何言ってるんだ。当たり前だろ」
「じゃあ……」
絃子に憑依した小夜子は、妖しく微笑んだ。
「最後に、私と遊ばない?」
「は?」
「ねえ。琴子のこと……抱いたの?」
「あいつは、夫婦になるまでは絶対にしないって言うから。正直……もう限界」
「そうなんだ。私なら……待たせたりしないのに」
「え?」
「ねえ。私じゃ、ダメ?」
「お前……本気かよ」
遼が動揺する。
「本気よ。私の方が、遼のこと好きだったのに。長女だからって理由で、勝手に親同士が結婚決めちゃうんだもん」
「まさか、破談にする気か?」
「だったら、どうする?」
「……」
「私なら、遼を満たしてあげられるかもよ。琴子の代わりに」
「……」
「ずっと我慢してたんでしょう?」
「絃子……」
「もう、我慢しなくていいのよ」
「……」
「遅かれ早かれ、こうなるんだから」
小夜子は、遼を誘惑した。
「ねえ。琴子に霊能力がないって、知ってた?」
「え?」
「まったく使えないのよ。それなのに神官の家に嫁ぐなんて、身の程知らずもいいところだわ」
「嘘だろ……」
「本当よ」
「霊能力が……ないのか?」
「無能よ。私の方が、あなたの役に立てる」
「……」
「結婚前に気づいてよかったわね」
「マジかよ……」
「何なら、もう琴子じゃなくて……私を選べばいいんじゃない?」
琴子と瓜二つの顔。
遼はそれ以上、何も言わなかった。
そして――絃子の姿をした小夜子の提案を受け入れた。
二人は、一線を越えた。
☆



