末の皇女の誕生日を祝うパーティーが皇城で開かれ、それに久遠も扇宮公爵として招待状を受け取っていたが、もちろん夫婦で招待を受けた。
赤いドレスに身を包む紗代は、緊張しているのかその表情もどこか硬い。
真っすぐに引き締めた唇、不安げに揺れる瞳だが、意思の強さを感じる気高き振る舞い。
久遠はこの感覚を知っている。かつての婚約者も、不安で押しつぶされそうなときほど堂々としていた。
(紗月……)
紗代に感じた奇妙な感覚は、過去の思い出を刺激するのに充分なものだった。
顔は似ても似つかないのに、紗代から紗月を感じてしまう。
それに彼女が着替えているときに、たまたま目にしてしまった背中の傷跡。あれは、ここ数日にできたものではなく、長い間、鞭などの道具を使って打たれたものだ。そして右肩から左脇腹に向かって伸びる痣。
(あれは、紗月が俺をかばったときに……)
皇帝によって命じられ、舞良公爵から押しつけられるようにして紗代と結婚したわけだが。
(もしや、彼女は紗月の……?)
生まれ変わりだなんて考えてしまうのは、紗代と紗月に共通点が多いと気づいてしまったせいか。
なんとかパーティーを終え、帰りの車に乗り込んだものの、隣に座る紗代の表情は強張ったままだった。
「……紗代?」
久遠が名を呼んだだけで、彼女は身体を大きく震わせる。
「あっ……申し訳ありません」
「もしかして、舞良公爵から何か言われたのか?」
声色を下げ探るように問いかけると、彼女はふと視線を逸らした。
パーティーには、四大公爵を初めとする国内の貴族が招待されているため、その場にはもちろん舞良公爵の姿があった。彼はまるであら探しでもするかのような視線を這わせながら、娘である紗代に声をかけていたのだ。
結婚生活はどうだといった内容だったが、強張る紗代の表情は実の親に向けるものではなかった。彼女の顔に浮かぶのは怯え。
親子の会話を遮るために久遠が割って入ったが、それ以降、紗代の表情は曇ったままである。
「……いえ」
「言いたくないことは言わなくてもいいが、俺たちは夫婦になったんだ。妻が悩んでいたら、夫として気になるのは当たり前だろう?」
彼女を心配しながらも、舞良公爵の動きを確認したかった。
紗代は弾かれたように顔をあげ、何か言いたげに唇を震わせたが、言葉は出てこない。
「紗代?」
「ごめんなさい。今は、まだ……」
あの腹黒公爵のことだから、紗代を道具の一つか何かだと考えているにちがいない。そうでなければ、実の娘をあれほどまで傷つけないだろう。
「そうか……」
紗代からは、これ以上の言葉を引き出すのは難しそうだ。
久遠は窓の向こう側を見たが、外は真っ暗で何も見えなかった。低音を奏でるエンジン音だけが、静かな車内に響いた。
自動車は屋敷の前で止まり、久遠は紗代に手を差し伸べエスコートする。戸惑いながらも、紗代は久遠の手に自身の手を重ねた。
夫婦でありながらも、恋人と呼べる関係よりもぎこちない二人だが、久遠は少なくとも紗代に興味があった。もう少し二人の距離を近づけてもいいのではないかと考えるほどには。
門をくぐって、玄関へと向かおうとしたとき、カサリと葉がこすれる音がした。庭の奥に何かいるのかと目を懲らすと、月の光を受けキラリと反射するものがある。
「久遠様、危ない!」
ドン、と紗代に体当たりされた久遠は、勢いあまって尻餅をついた。
「紗代!」
両手を広げて久遠を守ろうとしているのだろうか。月光を背に立つ紗代の背後には、刃を振り上げる男の姿があった。そのまま男は紗代の背をめがけて刃を振り下ろす。
その直後に生まれた隙を狙い、今までどこにいたのか、迅が男を拘束する。他の者も騒ぎを聞きつけやってきた。
「紗代!」
ドクンと久遠の心臓は嫌な音を立て、額にはじわりと冷や汗がにじむ。
これはまるで、十八年前のあのときと同じではないか。
久遠は地面に伏した紗代の身体を抱きかかえ、その名を叫ぶ。
「紗代、しっかりしろ。すぐに治療をする。おい、早く東雲を呼べ」
「久遠様……ご無事ですか?」
掠れる声で久遠を案じる姿は、紗月の最期と重なるものがあった。
「紗代。なぜ俺を助けた」
紗代を抱き屋敷へと連れていく間、彼女が意識を保つようにと、久遠は声をかけ続ける。
「久遠、様……。どうか、幸せになって……」
血に濡れた手を久遠へと伸ばす紗代は、わずかに微笑んだようにも見えた。
「紗代、目を開けろ」
久遠が紗代を寝台に寝かせたとき、息を切らした老齢の医師、東雲が駆け込んできた。
「奥様が……お怪我を……なされた、と……」
はぁはぁと呼吸を整える東雲に、久遠は紗代が斬りつけられたときの様子を端的に説明した。
後ろに鈎のあるドレスでよかった。侍女を呼びつけ、紗代のドレスを脱がせてもらう。
久遠も東雲の指示に従い、彼と一緒に紗代の治療にあたるが、医師である彼が顔をしかめたのはどちらかといえば紗代の背にある古傷だった。
「旦那様は、これをご存じで?」
「あぁ、詳しくは聞いていないが……生家でつけられたものらしい」
「今日の傷よりもこちらのほうがひどい……」
東雲は苦々しく吐き出した後、紗代の傷口にてきぱきと薬を塗り、包帯を巻き付けた。
「傷は思ったより浅いので縫う必要はなさそうですが……やはり刃には毒が塗られていたようです。もしかしたら、そちらの影響で熱が出るかもしれません。それを乗り越えれば大丈夫ですよ」
穏やかな口調で紗代の怪我について伝える医師だが、それでも久遠の気持ちは落ち着かない。
必要な治療を終えた医師は、薬を置いて部屋を出ていき、久遠は目を閉じる紗代のそばでじっと座っていた。
「……久遠様」
遠慮がちに迅が声をかけてきた。
「侵入者は捕らえ、自害しないように口枷をして牢に入れておきました」
「あぁ……」
「先生が意気揚々と部屋を出ていきましたよ。新薬を試したいのでしょう」
東雲医師は人を治療するのが仕事だが、その他にも薬の研究にも精を出している。特に尋問に使えそうな自白剤を始め、人に苦痛を与えるような薬を作るのが好きな男だ。
「それよりも久遠様。少しお休みになられては?」
人の顔を見るなり「仕事は?」「柱は?」「妖は?」と公爵としての責務を問いただすような迅が、久遠を気遣うとは珍しい。
「だが……」
言いかけた久遠に、迅はやれやれと肩をすくめる。
「久遠様がそこで寝ずの番をしたとしても、奥様の怪我が劇的によくなるわけではないでしょう? 今は奥様も薬が効いて寝ていますから、この間に久遠様も休むべきです」
「わかった……それでも彼女のそばがいいんだ……」
言葉を絞り出す久遠に、迅は大げさなほど息を吐いた。
「本当は、久遠様にも寝台でゆっくり横になってもらいたいところですが、仕方ないですね。必要なものを用意しますから、そちらの長椅子でお休みください」
迅の提案はありがたいものだ。今は薬によって眠っている紗代だが、薬が切れた途端に痛みに襲われるかもしれない。そんなとき、彼女のそばにいてすぐにでも痛みを取り除いてやりたいと思ったのだ。
(紗代……君は、紗月なのか?)
どうして紗代もまた、久遠の幸せを願ったのだろうか。
赤いドレスに身を包む紗代は、緊張しているのかその表情もどこか硬い。
真っすぐに引き締めた唇、不安げに揺れる瞳だが、意思の強さを感じる気高き振る舞い。
久遠はこの感覚を知っている。かつての婚約者も、不安で押しつぶされそうなときほど堂々としていた。
(紗月……)
紗代に感じた奇妙な感覚は、過去の思い出を刺激するのに充分なものだった。
顔は似ても似つかないのに、紗代から紗月を感じてしまう。
それに彼女が着替えているときに、たまたま目にしてしまった背中の傷跡。あれは、ここ数日にできたものではなく、長い間、鞭などの道具を使って打たれたものだ。そして右肩から左脇腹に向かって伸びる痣。
(あれは、紗月が俺をかばったときに……)
皇帝によって命じられ、舞良公爵から押しつけられるようにして紗代と結婚したわけだが。
(もしや、彼女は紗月の……?)
生まれ変わりだなんて考えてしまうのは、紗代と紗月に共通点が多いと気づいてしまったせいか。
なんとかパーティーを終え、帰りの車に乗り込んだものの、隣に座る紗代の表情は強張ったままだった。
「……紗代?」
久遠が名を呼んだだけで、彼女は身体を大きく震わせる。
「あっ……申し訳ありません」
「もしかして、舞良公爵から何か言われたのか?」
声色を下げ探るように問いかけると、彼女はふと視線を逸らした。
パーティーには、四大公爵を初めとする国内の貴族が招待されているため、その場にはもちろん舞良公爵の姿があった。彼はまるであら探しでもするかのような視線を這わせながら、娘である紗代に声をかけていたのだ。
結婚生活はどうだといった内容だったが、強張る紗代の表情は実の親に向けるものではなかった。彼女の顔に浮かぶのは怯え。
親子の会話を遮るために久遠が割って入ったが、それ以降、紗代の表情は曇ったままである。
「……いえ」
「言いたくないことは言わなくてもいいが、俺たちは夫婦になったんだ。妻が悩んでいたら、夫として気になるのは当たり前だろう?」
彼女を心配しながらも、舞良公爵の動きを確認したかった。
紗代は弾かれたように顔をあげ、何か言いたげに唇を震わせたが、言葉は出てこない。
「紗代?」
「ごめんなさい。今は、まだ……」
あの腹黒公爵のことだから、紗代を道具の一つか何かだと考えているにちがいない。そうでなければ、実の娘をあれほどまで傷つけないだろう。
「そうか……」
紗代からは、これ以上の言葉を引き出すのは難しそうだ。
久遠は窓の向こう側を見たが、外は真っ暗で何も見えなかった。低音を奏でるエンジン音だけが、静かな車内に響いた。
自動車は屋敷の前で止まり、久遠は紗代に手を差し伸べエスコートする。戸惑いながらも、紗代は久遠の手に自身の手を重ねた。
夫婦でありながらも、恋人と呼べる関係よりもぎこちない二人だが、久遠は少なくとも紗代に興味があった。もう少し二人の距離を近づけてもいいのではないかと考えるほどには。
門をくぐって、玄関へと向かおうとしたとき、カサリと葉がこすれる音がした。庭の奥に何かいるのかと目を懲らすと、月の光を受けキラリと反射するものがある。
「久遠様、危ない!」
ドン、と紗代に体当たりされた久遠は、勢いあまって尻餅をついた。
「紗代!」
両手を広げて久遠を守ろうとしているのだろうか。月光を背に立つ紗代の背後には、刃を振り上げる男の姿があった。そのまま男は紗代の背をめがけて刃を振り下ろす。
その直後に生まれた隙を狙い、今までどこにいたのか、迅が男を拘束する。他の者も騒ぎを聞きつけやってきた。
「紗代!」
ドクンと久遠の心臓は嫌な音を立て、額にはじわりと冷や汗がにじむ。
これはまるで、十八年前のあのときと同じではないか。
久遠は地面に伏した紗代の身体を抱きかかえ、その名を叫ぶ。
「紗代、しっかりしろ。すぐに治療をする。おい、早く東雲を呼べ」
「久遠様……ご無事ですか?」
掠れる声で久遠を案じる姿は、紗月の最期と重なるものがあった。
「紗代。なぜ俺を助けた」
紗代を抱き屋敷へと連れていく間、彼女が意識を保つようにと、久遠は声をかけ続ける。
「久遠、様……。どうか、幸せになって……」
血に濡れた手を久遠へと伸ばす紗代は、わずかに微笑んだようにも見えた。
「紗代、目を開けろ」
久遠が紗代を寝台に寝かせたとき、息を切らした老齢の医師、東雲が駆け込んできた。
「奥様が……お怪我を……なされた、と……」
はぁはぁと呼吸を整える東雲に、久遠は紗代が斬りつけられたときの様子を端的に説明した。
後ろに鈎のあるドレスでよかった。侍女を呼びつけ、紗代のドレスを脱がせてもらう。
久遠も東雲の指示に従い、彼と一緒に紗代の治療にあたるが、医師である彼が顔をしかめたのはどちらかといえば紗代の背にある古傷だった。
「旦那様は、これをご存じで?」
「あぁ、詳しくは聞いていないが……生家でつけられたものらしい」
「今日の傷よりもこちらのほうがひどい……」
東雲は苦々しく吐き出した後、紗代の傷口にてきぱきと薬を塗り、包帯を巻き付けた。
「傷は思ったより浅いので縫う必要はなさそうですが……やはり刃には毒が塗られていたようです。もしかしたら、そちらの影響で熱が出るかもしれません。それを乗り越えれば大丈夫ですよ」
穏やかな口調で紗代の怪我について伝える医師だが、それでも久遠の気持ちは落ち着かない。
必要な治療を終えた医師は、薬を置いて部屋を出ていき、久遠は目を閉じる紗代のそばでじっと座っていた。
「……久遠様」
遠慮がちに迅が声をかけてきた。
「侵入者は捕らえ、自害しないように口枷をして牢に入れておきました」
「あぁ……」
「先生が意気揚々と部屋を出ていきましたよ。新薬を試したいのでしょう」
東雲医師は人を治療するのが仕事だが、その他にも薬の研究にも精を出している。特に尋問に使えそうな自白剤を始め、人に苦痛を与えるような薬を作るのが好きな男だ。
「それよりも久遠様。少しお休みになられては?」
人の顔を見るなり「仕事は?」「柱は?」「妖は?」と公爵としての責務を問いただすような迅が、久遠を気遣うとは珍しい。
「だが……」
言いかけた久遠に、迅はやれやれと肩をすくめる。
「久遠様がそこで寝ずの番をしたとしても、奥様の怪我が劇的によくなるわけではないでしょう? 今は奥様も薬が効いて寝ていますから、この間に久遠様も休むべきです」
「わかった……それでも彼女のそばがいいんだ……」
言葉を絞り出す久遠に、迅は大げさなほど息を吐いた。
「本当は、久遠様にも寝台でゆっくり横になってもらいたいところですが、仕方ないですね。必要なものを用意しますから、そちらの長椅子でお休みください」
迅の提案はありがたいものだ。今は薬によって眠っている紗代だが、薬が切れた途端に痛みに襲われるかもしれない。そんなとき、彼女のそばにいてすぐにでも痛みを取り除いてやりたいと思ったのだ。
(紗代……君は、紗月なのか?)
どうして紗代もまた、久遠の幸せを願ったのだろうか。



