人とは姿形が異なる『妖』は、昔から人の精気を糧としていた。妖に精気を吸われた人間は自我を失い操られ、最悪、死に至る。
島国である天舞帝国は、この妖から人々の生活を守るため結界を張っている。結界は四方に柱を築き、その柱を維持することで成り立っていた。
柱を守るのは、扇宮家、羽成家、舞良家、神楽家の四大公爵家。さらにその血筋に連なる者たちは異能と呼ばれる特別な力を持っており、彼らは『異能者』とも呼ばれている。
そんななか、四大公爵家の一つ、扇宮家の当主である扇宮久遠は辟易していた。この場は、帝国の重要施策や予算を決める場であって、誰それの結婚について追求される場ではないと思っていたのだが。
「扇宮家の当主ともあろう者が、三十歳を過ぎても独身というのはいかがなものか」
それを言いだしたのは誰だったか。
「えぇ、公爵家にとって力の継承は重要な役目です。四つの柱のうちのどれかが欠けても、結界は崩れますからな」
好々爺な神楽公爵は悪気がないから厄介である。
「我が家にも年頃の娘がおりますが?」
舞良公爵がニタリと笑ったところで、久遠は軽く頭痛を覚えた。
「それはこの場で決める内容ではありませんよね?」
羽成公爵は久遠の三つ年上だが、今年、公爵位を継いだばかり。年も近いせいか久遠にも好意的だが、彼の軽い性格は好きにはなれない。
「扇宮家の後継問題については、余のほうで預からせてもらおう」
ざわめいていた会議場も皇帝のひとことでしんと静まり返る。皇帝は、出席者のひとりひとりの顔をじっくり確認してから、「では、今日の会議はこれにて終了」と木槌をコツンと鳴らした。
皇帝が退席すると、神楽公爵、舞良公爵はすぐに会議室を後にする。次は久遠の番だが、羽成公爵と視線が合ったときに、先に出るようにと手を振って促した。
軽い頭痛はまだ続いている。
「お先に失礼します」
爵位の低い者は、久遠より先に退席することに躊躇いもあったようだが、当の本人がそれを許しているのだからかまわない。
誰もいなくなったところで、皇帝の侍従がそっと声をかけてきた。
「皇帝陛下がお待ちです」
頭痛が余計に酷くなったような気がする。
久遠がこの場に残っていたのは、皇帝が呼び出すのがわかっていたからだ。侍従に連れられた久遠は、広々とした皇城の中を進む。
化粧漆喰の城壁と瓦屋根に覆われた皇城は、天舞帝国の象徴とも言える。帝国議会は皇城の東側にある広々とした会議室で行われるが、それとは別に皇帝の住まいや公務を行う場所は西側にあった。
「皇帝陛下、扇宮公爵をお連れいたしました」
扉をノックした侍従が伝えると、「入れ」と聞きたくない声が扉越しに聞こえてきた。
「失礼します」
朱色の絨毯が敷かれている執務室は、海の向こう側の異国の文化の影響を受けたものだ。この部屋だって、以前は畳敷きでふすまや障子戸で仕切られていた。
ところが数十年前に港を異国にも解放したため、異国の文化も入ってくるようになったのだ。
ちなみに異国では妖を悪霊とか悪魔などと呼んでいるらしい。
「座りなさい」
長椅子にゆったり腰掛けている皇帝は、そろそろ五十歳になるというのに、その風貌は若々しい。見た目は三十代でも充分に通じるが、それでも威厳に溢れていた。
「失礼します」
軽く頭を下げた久遠は、テーブルを挟んだ皇帝の前に座った。普段はわりと横柄な態度をとることの多い久遠だが、さすがに皇帝の前では謙虚な姿勢を見せる。
「それで、そなたはいつになったら結婚をするのだ?」
単刀直入に聞いてきた。回りくどい言い方をされるよりはまだマシだが、相手が相手なだけに久遠も言葉を選ぶ必要がある。
「そなたの婚約者が亡くなったのは、もう二十年近くも前のことだろう?」
皇帝の口調は穏やかだというのに、久遠の心臓はどくりと嫌な音を立てる。二十年近くというが、正確には十八年前だ。
「そなたは、今でもその婚約者を想っているというのか? だから結婚しないと?」
「えぇ。彼女を忘れることは一生ないでしょう。何より私の命を救ってくれた恩人ですから」
久遠が十三歳のとき、風雅紗月という三歳年上の婚約者がいた。彼女は扇宮家の分家筋である風雅侯爵家の娘で、年齢と家柄で選ばれた相手だった。
それでも何度か顔を合わせ、共に過ごす時間が増えるにつれ、そこには確かに恋と呼べるような甘酸っぱい感情が生まれたのは事実。久遠もまだ子どもであったが、これから成長すればこの感情もいつしか愛になるのだろうと、そんな気持ちが芽生えるのを期待していた。
しかし、彼女と結ばれる日は永遠にやってこない。
彼女との交流を深めるために、庭園にある東屋で共にお茶を飲んでいたあの日、久遠は使用人に扮していた暗殺者に命を狙われた。扇宮家に恨みを持つ者か、断絶を狙う者か、誰の差し金かはわからない。ただその者は毒にまみれた刃を大きく振りかざし、久遠を亡き者にしようとしたのだ。
それなのに今、こうやって生きているのは、婚約者の紗月が久遠をかばって自らその刃を受け止めたからだ。地面に吸い込まれていく血液に、腕の中で冷たくなっていく身体。彼女は最期に「幸せになって」と言葉を残したが、紗月のいない世界でどうやって幸せになれるのかと、自問自答を繰り返している。
暗殺者は、任務が失敗したと瞬時に悟り、そこで自害した。だから暗殺者を操っていた真の犯人は知らない。もしかしたら、妖に操られた人間だったのかもしれない。
その日以降、久遠の世界は虚無に染まった。それでもなんとか生きているのは、紗月の命を奪った暗殺者の真の狙いを暴くため。
「では、そなたは自ら伴侶を決めるつもりはないのだな?」
皇帝の問いに、久遠はうんともすんとも言わない。真顔のまま、真っすぐ前を見据える。
「なるほど……そなたがその気なら、余のほうでそなたの伴侶を決めてやろう。さて、年頃の娘はどこにいたかな」
顎に手をあて考える様子を見せる皇帝からは、わざとらしさしか感じない。
「舞良公爵家には、娘がいたな」
先ほど、舞良公爵本人も娘を売りだそうとしていた。
「どうだ? 舞良家の娘は」
公爵家の妻は、同じ一族から選ばれるのが常だが、久遠は婚約者を失った過去があるせいか、どこの家も久遠との縁に尻込みしている。
それもあって皇帝は舞良家の娘をあげたのだろう。いや、彼のことだから他にも思惑があるはずだ。
だが、それでいい。妻なんて飾りだ。世継ぎをもうけ、爵位をその子に継がせてしまえば、久遠の役目も終わるだろう。それまでに紗月の敵を討てればいいのだが。
久遠が何も言わないことを、皇帝は諾の返事と受け取ったようだ。
「では、舞良家には余のほうから打診しよう」
それはこの縁談を確実にするためで、久遠が逃げないようにとする手段でもある。つまり、皇命だ。
「舞良家の娘で問題ないな? そなたも年を取り過ぎた。こうなる前に、さっさと相手を決めればよいものを」
わざわざ手を煩わせるでないと、皇帝の心の声が聞こえたような気がした。
「御意に」
久遠は静かに頭を下げた。
島国である天舞帝国は、この妖から人々の生活を守るため結界を張っている。結界は四方に柱を築き、その柱を維持することで成り立っていた。
柱を守るのは、扇宮家、羽成家、舞良家、神楽家の四大公爵家。さらにその血筋に連なる者たちは異能と呼ばれる特別な力を持っており、彼らは『異能者』とも呼ばれている。
そんななか、四大公爵家の一つ、扇宮家の当主である扇宮久遠は辟易していた。この場は、帝国の重要施策や予算を決める場であって、誰それの結婚について追求される場ではないと思っていたのだが。
「扇宮家の当主ともあろう者が、三十歳を過ぎても独身というのはいかがなものか」
それを言いだしたのは誰だったか。
「えぇ、公爵家にとって力の継承は重要な役目です。四つの柱のうちのどれかが欠けても、結界は崩れますからな」
好々爺な神楽公爵は悪気がないから厄介である。
「我が家にも年頃の娘がおりますが?」
舞良公爵がニタリと笑ったところで、久遠は軽く頭痛を覚えた。
「それはこの場で決める内容ではありませんよね?」
羽成公爵は久遠の三つ年上だが、今年、公爵位を継いだばかり。年も近いせいか久遠にも好意的だが、彼の軽い性格は好きにはなれない。
「扇宮家の後継問題については、余のほうで預からせてもらおう」
ざわめいていた会議場も皇帝のひとことでしんと静まり返る。皇帝は、出席者のひとりひとりの顔をじっくり確認してから、「では、今日の会議はこれにて終了」と木槌をコツンと鳴らした。
皇帝が退席すると、神楽公爵、舞良公爵はすぐに会議室を後にする。次は久遠の番だが、羽成公爵と視線が合ったときに、先に出るようにと手を振って促した。
軽い頭痛はまだ続いている。
「お先に失礼します」
爵位の低い者は、久遠より先に退席することに躊躇いもあったようだが、当の本人がそれを許しているのだからかまわない。
誰もいなくなったところで、皇帝の侍従がそっと声をかけてきた。
「皇帝陛下がお待ちです」
頭痛が余計に酷くなったような気がする。
久遠がこの場に残っていたのは、皇帝が呼び出すのがわかっていたからだ。侍従に連れられた久遠は、広々とした皇城の中を進む。
化粧漆喰の城壁と瓦屋根に覆われた皇城は、天舞帝国の象徴とも言える。帝国議会は皇城の東側にある広々とした会議室で行われるが、それとは別に皇帝の住まいや公務を行う場所は西側にあった。
「皇帝陛下、扇宮公爵をお連れいたしました」
扉をノックした侍従が伝えると、「入れ」と聞きたくない声が扉越しに聞こえてきた。
「失礼します」
朱色の絨毯が敷かれている執務室は、海の向こう側の異国の文化の影響を受けたものだ。この部屋だって、以前は畳敷きでふすまや障子戸で仕切られていた。
ところが数十年前に港を異国にも解放したため、異国の文化も入ってくるようになったのだ。
ちなみに異国では妖を悪霊とか悪魔などと呼んでいるらしい。
「座りなさい」
長椅子にゆったり腰掛けている皇帝は、そろそろ五十歳になるというのに、その風貌は若々しい。見た目は三十代でも充分に通じるが、それでも威厳に溢れていた。
「失礼します」
軽く頭を下げた久遠は、テーブルを挟んだ皇帝の前に座った。普段はわりと横柄な態度をとることの多い久遠だが、さすがに皇帝の前では謙虚な姿勢を見せる。
「それで、そなたはいつになったら結婚をするのだ?」
単刀直入に聞いてきた。回りくどい言い方をされるよりはまだマシだが、相手が相手なだけに久遠も言葉を選ぶ必要がある。
「そなたの婚約者が亡くなったのは、もう二十年近くも前のことだろう?」
皇帝の口調は穏やかだというのに、久遠の心臓はどくりと嫌な音を立てる。二十年近くというが、正確には十八年前だ。
「そなたは、今でもその婚約者を想っているというのか? だから結婚しないと?」
「えぇ。彼女を忘れることは一生ないでしょう。何より私の命を救ってくれた恩人ですから」
久遠が十三歳のとき、風雅紗月という三歳年上の婚約者がいた。彼女は扇宮家の分家筋である風雅侯爵家の娘で、年齢と家柄で選ばれた相手だった。
それでも何度か顔を合わせ、共に過ごす時間が増えるにつれ、そこには確かに恋と呼べるような甘酸っぱい感情が生まれたのは事実。久遠もまだ子どもであったが、これから成長すればこの感情もいつしか愛になるのだろうと、そんな気持ちが芽生えるのを期待していた。
しかし、彼女と結ばれる日は永遠にやってこない。
彼女との交流を深めるために、庭園にある東屋で共にお茶を飲んでいたあの日、久遠は使用人に扮していた暗殺者に命を狙われた。扇宮家に恨みを持つ者か、断絶を狙う者か、誰の差し金かはわからない。ただその者は毒にまみれた刃を大きく振りかざし、久遠を亡き者にしようとしたのだ。
それなのに今、こうやって生きているのは、婚約者の紗月が久遠をかばって自らその刃を受け止めたからだ。地面に吸い込まれていく血液に、腕の中で冷たくなっていく身体。彼女は最期に「幸せになって」と言葉を残したが、紗月のいない世界でどうやって幸せになれるのかと、自問自答を繰り返している。
暗殺者は、任務が失敗したと瞬時に悟り、そこで自害した。だから暗殺者を操っていた真の犯人は知らない。もしかしたら、妖に操られた人間だったのかもしれない。
その日以降、久遠の世界は虚無に染まった。それでもなんとか生きているのは、紗月の命を奪った暗殺者の真の狙いを暴くため。
「では、そなたは自ら伴侶を決めるつもりはないのだな?」
皇帝の問いに、久遠はうんともすんとも言わない。真顔のまま、真っすぐ前を見据える。
「なるほど……そなたがその気なら、余のほうでそなたの伴侶を決めてやろう。さて、年頃の娘はどこにいたかな」
顎に手をあて考える様子を見せる皇帝からは、わざとらしさしか感じない。
「舞良公爵家には、娘がいたな」
先ほど、舞良公爵本人も娘を売りだそうとしていた。
「どうだ? 舞良家の娘は」
公爵家の妻は、同じ一族から選ばれるのが常だが、久遠は婚約者を失った過去があるせいか、どこの家も久遠との縁に尻込みしている。
それもあって皇帝は舞良家の娘をあげたのだろう。いや、彼のことだから他にも思惑があるはずだ。
だが、それでいい。妻なんて飾りだ。世継ぎをもうけ、爵位をその子に継がせてしまえば、久遠の役目も終わるだろう。それまでに紗月の敵を討てればいいのだが。
久遠が何も言わないことを、皇帝は諾の返事と受け取ったようだ。
「では、舞良家には余のほうから打診しよう」
それはこの縁談を確実にするためで、久遠が逃げないようにとする手段でもある。つまり、皇命だ。
「舞良家の娘で問題ないな? そなたも年を取り過ぎた。こうなる前に、さっさと相手を決めればよいものを」
わざわざ手を煩わせるでないと、皇帝の心の声が聞こえたような気がした。
「御意に」
久遠は静かに頭を下げた。



