あなたの幸せを願っていた、ただそれだけ


 寝支度をととのえそろそろ寝るだけの紗代の元に、同じように寝支度を終えた久遠がやってきた。
「久遠様、いつお戻りに?」
 あの日以降、久遠は忙しない毎日を送っている。なによりも四大公爵のうちの一人が妖に取り憑かれ、失墜したのだ。柱はそのまま舞良一族で維持しているが、当主不在が続けばそれすら難しくなるだろう。当主がいないのなら自分が、と思う者はどこにでもいるものだ。
「ついさっき。君の顔が見たいから、急いで湯浴みしてこちらにきた」
 ほのかに上気する顔からは、大人の色気がだだ漏れである。十八年前は、かわいらしい顔立ちをしていたというのに。
「舞良公爵家は、分家の……君から見れば再従兄弟になるのか? そちらで継ぐことになった。他の一族からという話もあがったが、そうなればまた争いごとの火種になるからな。遠縁ということで手を打つことにした」
「左様ですか……」
 生まれ育った家の話だというのに、紗代にとってはどこか遠い異国の物語のようにも聞こえる。
「君の家族だが……」
 久遠も義務感から報告しているだけなのだろう。母や利代のことを語られても、それは耳から耳へと通り抜けていくだけ。
「それから俺は、君に謝罪をしなければならない」
「謝罪ですか?」
「ああ、結婚した当日。俺はずいぶんと君に酷いことを言った」
 そういえば、この結婚が政略だから愛情なんて存在しないと彼は言ったかもしれない。だがあれは、彼の顔を見た瞬間に泣いてしまった紗代も悪いのだ。あの場で紗代が泣いたら、この結婚を嫌がっていたと解釈されても仕方あるまい。
「いえ……あれは私も悪かったのです。久遠様のお顔を見た瞬間、懐かしさが溢れつい涙が……」
「つまり、俺との結婚が嫌で泣いたわけではないと?」
「はい」
 紗代がはにかんで答えるが、久遠は不安なのか疑いの目を向けてくる。
「紗月さんは久遠様が幸せになれたかどうか、ずっと気にかけていました。だからきっと、紗月さんの命を奪った相手の娘として生まれ変わったのかもしれません」
 どういうことだ? と久遠は目を細くする。
「父の近くにいれば、その犯行を止められるとでも思ったんですかね?」
 そこの記憶は定かではない。
 紗代も誤魔化すようにふふっと笑うと、久遠は真剣な眼差しで射貫いてくる。
「俺たちは、互いに互いの幸せを願ってばかりだな」
 その言葉に、紗代もはっとする。自分が幸せになれないのなら、せめて久遠だけでもと思ったことは何度もある。
 それは紗月としても紗代としても、居場所を与えてくれた久遠だからこそ。
「だが、それはもう終わりだ。これからは二人で幸せにならないか?」
 ひゅっと息を詰めて紗代が小さく頷くと、久遠が両手で頬を包み込む。オイルランプが作り出すやわらかな光の中、二人の影は静かに重なった。