あなたの幸せを願っていた、ただそれだけ

 舞良公爵をひとことで表すなら、外道である。実の娘を毒薬の効果を試す実験体として扱い、家族のために働く幼い子を脅して他人の命を奪おうとする。
(もしかして、あの日も――)
 久遠の後悔は十八年前、紗月を失ったときに始まった。
 紗月は風雅侯爵家の令嬢として完璧な娘だった。親が望むように教育を受け振る舞った結果、久遠の婚約者の座に見事おさまったわけだが。
 初めて顔を合わせたときは、互いにぎこちなかった。大人が決めた幼い二人の縁談。そこにある感情は好きだ嫌いだというよりは、戸惑いである。他家に負けぬよう、公爵としての地盤を固めるために選ばれた紗月。
 大人たちは、将来の公爵夫妻の仲を取り持とうと、義務のように茶会を開いた。
『もし、この縁談に不満があるのでしたら、久遠様のほうからお断りいただけませんか?』
 五回目の顔合わせの日、紗月がそう吐き出した。こうやって一緒にお茶を飲んでも、今まで久遠がニコリともしなかったのが原因らしい。
 だが、そのひとことがきっかけとなって、二人はいろいろ話をし始めた。そこではじめて、この縁談が破談となれば紗月が修道院へ送られることまで知った。それなのに久遠の気持ちを慮って、縁談を断ってもいいと紗月は口にしたのだ。
 紗月が久遠を想う気持ちが伝わってきて、久遠もまた紗月を気にかけるようになる。ぎこちない二人の間にあったのは、互いを救いたいという同情に似た友情だったかもしれないが、次期公爵という圧力と孤独に押しつぶされそうだった久遠にとって、紗月の存在だけが光だった。
 それなのに、あの日――。
 今さら十八年前の事件の捜査のやり直しを求めても難しいだろう。となれば、今の悪事を明るみにすればいい。
「……久遠様?」
 遠慮がちに扉を開けて顔をのぞかせてきたのは、紗代だ。断片的に紗月の記憶を持つ彼女は、紗月でありながら紗月ではない。
「何かあったのか?」
 幾度となく久遠の命を救った彼女は、実の父であり舞良公爵の罪をすべて暴くことに同意している。むしろそうしてほしいと願っている。
「いえ……奈木のこと、ありがとうございます。扇宮領の修道院であれば、父の手も届かないかと……」
「当然のことをしたまでだ。罪を犯したなら、それなりの制裁が必要だろう?」
「はい」とはにかむ紗代の姿は、紗月が困ったときに見せた表情とよく似ている。紗代の中に紗月を追い求めてはいけないと思いつつも、ふとした瞬間に記憶が呼び起こされる。
「私、思い出したことがあるのです。私というよりは、紗月さんの……」
 そこで久遠は「ん?」と片眉をあげた。
「十八年前、紗月さんは侵入者の刃を受けて亡くなりましたが、直接の死因は毒によるものです。そして先日、久遠様の命を狙った侵入者も同じように刃に毒を塗っていました」
 結果、久遠をかばって毒を受けた紗代が、三日三晩、高熱に苦しんだ。
「あの毒も、今の私だから死ななかった。でも、十八年前の紗月さんは私ではありません」
 舞良公爵の実験体としてさまざまな毒を飲み、体内に取り込んできた紗代だから、高熱にうなされるだけで済んだのだ。あの刃を受けたのが久遠だったら、今、ここにいたかどうかはわからない。
 東雲も「奥様だから助かった」と言ったくらいである。
「今回の毒と十八年前の毒は同じものです。傷口から体内に入り込めば、あっという間に毒が全身にまわって命を奪う恐ろしいもの」
「つまり君は、今回の犯人と十八年前に紗月の命を奪った犯人は同じ人物だと?」
「……はい、父……舞良公爵に間違いありません」
 奈木もまた、舞良公爵から脅されていた。修道院へと送った彼女だが、表向きは「金目のものに目がくらんで、紗代の宝石を盗んだから」という理由にしてある。
「奈木を失った今、父が直接、仕掛けてくると思います。その標的は久遠様……そして私も……」
 久遠を殺すようにと、紗代は舞良公爵から毒を渡されているが、その毒は東雲に渡し、分析したうえで解毒薬を開発してもらっている。
「父は、どうして私が裏切らないと思っているのでしょうね」
 紗代は自嘲気味に笑う。
「恐怖による支配は、恐怖さえ取り除いてしまえば終わりなのに……」
 舞良公爵がしかけてくるなら、四大公爵が集まる園遊会だろうと紗代は言う。
「紗代。決して無理はしないと約束してくれ。まして君が命をかける必要はない」
「ですが、私は毒に耐性があります」
「そうであったとしても、君は一人の女性であり、俺の妻だ。たまには、俺にも君を守らせてほしい」
「はい。私が久遠様を守りますから、久遠様は私をお守りください」
「君にはかなわないな」
 ふっと鼻で笑った久遠は、そっと紗代を抱き寄せた。

 季節ごとに皇帝主催の園遊会が開催され、各家が舞いを披露する。扇宮家に嫁いだ紗代もまた、皇帝の前で舞を舞う必要があったが、舞良家と扇宮家の舞は異なるうえに、舞良家ではまともに舞の練習すらしていなかったので、この日のために猛特訓をした。
 久遠も練習に付き合ってくれ、扇を手にして舞う姿は見惚れてしまうほどで、彼との距離は少しずつ縮まっていると思いたい。
 皇帝の前で舞を終えた二人は、渇いた喉を潤すために用意されたお茶に手を伸ばす。
「なんとか及第点だな」
 冗談めいた久遠の口調に、わずかに口元をほころばす紗代だが、お茶に口をつけた瞬間、目を大きく見開いた。
「久遠様は無理をして飲まなくても……」
 彼にしか聞こえないような小さな声で伝える紗代の言葉を無視して、久遠も喉を上下させてお茶を飲んだ。
 その様子を、舞良公爵がじっと見つめている。
「あの狸爺には、ここまで見せつけないと尻尾を出さないだろう?」
「いくら解毒薬を飲んでいるとはいえ、毒による影響はゼロにはなりませんから」
 紗代が舞良公爵から渡された毒で、東雲が解毒薬を作り、それを久遠が事前に飲むことで毒の効果を抑える。
 予想したとおり、久遠と紗代のカップには毒が混ぜられていたが、何食わぬ顔でお茶を飲んだ。
 だが、舞良公爵は残ったカップをなかなか手にしない。
「お父様はお茶をいただかないのですか?」
 紗代の微笑みに、舞良公爵はギリギリと奥歯を噛みしめ睨みつけてくる。
「それとも、お茶を飲めない理由があるのか?」
 口角をあげる久遠の前で、カップを手にした舞良公爵はそのまま口元へと運んだが、唇の前で手を止めた。その手はふるふる震えている。
「飲まないのか? いや、飲めないのか?」
 久遠の低く圧のある声に、父は身体を大きく揺らした後、その手からカップがするりと落ちた。
 ガシャンッ――。
 床に落ちたカップは割れ、こぼれた中味もいくらか弾んだが、そのまま床に水たまりを作る。
 皇帝の前だというのに、とんだ失態である。
「失礼しました」
 慇懃無礼な物言いに、他の公爵も顔をしかめるものの「毒でも入っていたとお思いか?」と久遠が低音を響かせる。
「な、何を……? ただ、手がすべっただけだ」
「ほぅ? では、こぼれた茶の成分を調べてもらっても問題はないな?」
 ふん、と鼻で笑う久遠に舞良公爵はさっと顔色を変えた。
「演技をするなら最後まで演じきったほうがよろしいのでは?」
 そのひとことで状況を悟った皇帝はニヤリと口元をゆるめると、各人が手にしたお茶の残りを調べるよう、護衛官に指示を出した。もちろんこれも、久遠が皇帝へと根回ししていたのだ。
 その結果、毒が含まれていたのは久遠と紗代のお茶だというのが判明したわけだが――。
「なぜだ! なぜ、あの毒を飲んでおまえたちは無事なんだ? 私の配分が間違えていたとでもいうのか!」
 護衛官に取り押さえられながら、舞良公爵は暴言を続ける。
「紗代、おまえは父である私を裏切るのか! この実験体が!」
 今にも護衛官を振り切って紗代に飛びかかりそうな父から守るように、久遠が紗代を背にして立つ。
「父だと言うのなら、父らしい振る舞いをしたことがあるのか? 娘を私利私欲のために利用し都合が悪くなれば責任を押しつける。それのどこが父親だというのだ」
「黙れ、おまえさえいなければ……扇宮の柱も私のものとなったのに……」
 舞良公爵の背からゆらゆらと黒いもやが立ち上る。
「陛下、お下がりください。妖です!」
 護衛官たちは慌てて皇族を取り囲むが、「よいよい」と皇帝本人はこの状況を楽しむかのよう。
「とうとうそこまで堕ちたのか……」
 久遠の言葉に、紗代も顔を伏せた。

 舞良公爵に取り憑いていた妖は、その場にいた異能者たちによって捕らえられた。舞良公爵本人も、皇城の地下にある座敷牢で身柄を拘束されている。
「舞良公爵がすべて吐いたようだ……」
 久遠は園遊会以降、事件の後処理で皇城に詰めっぱなしであった。妖が結界の中に入り込んでいたのを始め、それに取り憑かれた舞良公爵の処遇、そして彼の手によって財産や命を失った者たちの確認などなど。
「十八年前……俺に刺客を送ったのもやはり舞良公爵だった……」
 隣に静かに腰をおろした久遠の顔を、紗代は目を見開いて見上げる。
「当時、両親には俺しか子どもがいなかったからな。直系を失えば、扇宮一族内で後継者問題が勃発するだろうと。その隙を狙って、扇宮を乗っ取ろうと考えていたようだ」
 陣取り合戦ではないが、昔から戦は領土を広めるために繰り返されていた。民のためと言いながらも、そこには私欲も含まれていたにちがいない。
 その私欲にまみれたのが舞良公爵であり、その醜い心を妖に狙われた。異国とのやりとりも増え、異国からやってくるのは何も荷物や文化だけではない。荷物についた植物の種や小さな虫、そうやって帝国にはなかった生物が入り込んできて、国内へと広がっていく。それは妖も然り。
 舞良公爵が妖に取り憑かれたのは二十年前ではないかと睨んでいるようだが、その件は別の異能者が調べている。
「重ね重ね、父が……申し訳ありません……」
 父を父だと思ったことはなかったが、残念ながら血の繋がりはあり、それは切っても切れないもの。
「いや……君は、自らの命を省みることなく、俺の命を救ってくれた。しかも二度……」
「それは……久遠様に出会えて、紗月さんも救われたからです。彼女もまた両親のいいなりで生きていました。両親の言葉がすべて正しいと、そう思っていたのです。だけど久遠様と出会い、私の心は救われた……。私を救ってくれた人だからこそ、幸せになってもらいたかったのです」
「君は……」
 久遠の手が伸びてきて、紗代の頬にやさしく触れる。
「いや……君は紗月でありながら紗代でもあるのだな?」
 久遠のやわらかなまなざしに、紗代の胸はつきりと痛む。彼が求めているのは、紗代ではなく紗月ではないのだろうか?
「久遠様……できるだけ、紗月さんのように振る舞えるよう努力します……」
「そうではない」
 紗代の存在感を確かめるように、頬に触れている彼の手がやさしくなで上げる。
「紗月にならなくていい。前にも言っただろう? 君は君だ。紗月だろうが紗代だろうが、そんなの関係ない。目の前にいる君がいいんだ……」
 ずっと家族に認められなかった存在を、久遠が認めてくれた。胸の奥がぎゅっと締めつけられ、目頭が熱くなる。紗代の頬に一筋の涙が流れた。