「キミ、――随分と不躾な人だね。」
しまった。
怒らせた。
そんなつもりはなかった。
ほんの少しでいい。
ただ、話したくて、
その声を
もっと聴きたくて、
口をついて出た言葉だったんだ。
あのさ、
ずっと探してた声だったんだよ。
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イヤホンを片耳に入れる。
この瞬間が大好きだ。
朝だろうが夜だろうが、再生ボタンを押すだけで、俺の顔はふっと和らぐ。ほんの一瞬だけ。
頭の中に響く。
いつか路上で録音した歌声。
時代が時代なら、“擦り切れるほど聴いた。”――なんてカッコよく言えたのかもしれない。
だけど、音はいつまでもクリアなまま。
歳を重ねて擦り切れていくのは俺だけ。
それがやけに寂しい時もある。
アイツは元気にしているだろうか。
どんな形であれそうであって欲しい。
願い続けて、今に至る。
――悠。
かれこれ5年近く探している奴。
背は伸びているだろうな。
声変わりもしただろう。
この音源は悠がいた証だ。
荒削りで、少し掠れた声。少年から青年へ移ろうその途中。
お前はあの頃、どんな気持ちで歌ってたんだ?
ピロンッ……。
こういうタイミングでメッセージを送ってくる奴は一人しかいない。
「高確率で、クソ兄貴。」
スマホを出して、画面に目を落とす。
「はい、ビンゴ。」
『クソ流からメッセージが届いています。』
指をスライドさせる。
パッ……。
『慎!元気か?』
「なんだよ、それだけかよ。邪魔すんなよなー。」
トトッ……
『元気。』
送信。
「――よし。もう邪魔すんな?」
再生ボタンを素早く押し直す。
前を向いて、歩き出す。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
大学生になった俺。今日からバイトなのだ。
バイト先は昭和ロマン風の喫茶店。
木製の扉や窓枠にあしらわれた装飾は、アール・ヌーヴォーを彷彿とさせる。
古い映画にでも出てきそうな深い色の看板には“珈琲館”とだけ書いてある。至ってシンプルなその存在にそそられる。
下宿先の近くにあるのをたまたま見つけて、なんとなくメールしてみたらバイト募集してるって言うし、半ば飛び込みのような申し込み。
面接ナシで質疑応答のメールのみで採用。その後は、スリーサイズを聞いてきたり。
とにかく変な店だなと。
いつ開いてるのか謎なまま、今日に至る。
「ちゃんと給料出るんだろうな……」
急に心細くなる。
カラン……。小さなベルが鳴る。
このベルの音もいい。
中に入ると、想像よりも遥かに昭和ロマン。重厚感のある木製のチェアとテーブル。そして、カウンター。席は多くない。むしろ少なすぎるほどだ。
ライトや窓、装飾にはステンドグラスがあしらわれている。外から見た時は中が見えないほど暗く感じたのに。
色とりどりの自然光が、散らばるように店内を照らしている。
「うわ……すげ。」
言葉を失う。
どこかに迷い込んだような……そんな錯覚にすら、うっかり溺れそうだ。
溜め息がこぼれる。
ぐるっと見回す。
――のそっ……
カウンターの奥で何かが頭をもたげた。
「うわ!ビックリした!」
俺の足が無意識に一歩さがる。
「あ。なんだ、人?」
少し近づく。
そいつが座り直してこっちを見上げる。
――あれ?高校生か?
それにしても……
前髪は鼻の頭にかかるほど。
その下には多分、丸メガネ?
襟元は大きく開いて、
ネクタイは……引っ掛けてるだけ。
非常にだらしない。
「キミもバイトなのか?その……もう少しバイトらしく?……できないのかな?」
そいつは座ったまま何も言わない。
俺、コイツと働くのめっちゃ嫌。
「あー、もういいや。マスターはどこ?」
「――俺ですけど?」
は?顔半分見えないダルそうな奴がマスターだと?
「冗談はいいから早く繋いでくれよ。俺が遅刻みたいになるだろ。」
「俺がマスターだ。キミが、15時入りの大学生か。」
「そうだけど。お前、高校生じゃん。マスターって嘘にも程があるぞ。」
「一般的にはこう――みたいなのはいいんで。まず奥の部屋でこれに着替えて。10分後にここで集合ね。」
つらつらと話すと、カウンター脇のスペースを指差した。
こっちを見向きもせず、そいつは奥へ入っていった。
――腹の立つ高校生だ。
渡された着替えに目線を落とす。
「これが、制服?なのか?」
ベージュのパンツに、胸ポケット付きの白Tシャツ。焦茶色の腰エプロン……。
ペロン。タグを見る。
ぜんっぶ、そこの服屋のじゃねーか!
何なら俺のリュックに似たようなもんが入っとるわ!
「奥の部屋……奥の部屋……あ、ここか。ぅわ。すげぇ。」
着替えるだけの部屋なのにレトロなソファ、全身鏡、小さなデスクとチェア――。
ちゃんと落ち着く空間になっている。
“奥の部屋”で済ませるなよ。なんなんだ、この店は。
雰囲気に飲まれながら、もそもそと着替えを済ませる。
「ピッタリだ。動きやすい。制服、悪くないな。」
指定されたスペースに戻って、腕を組んで待つ。
「マスターねぇ。フン、世も末だな。」
さっきの奴はまだ来ない。
「初めての場所って、緊張するな。」
近くの鏡で身なりをチェックする。
カタッ……
「――おまたせ。」
程よく低い声。少し吐息に近いような、柔らかい声だ。
この声色。
俺、すごく知ってる――。
バッ!と振り向く。
そこに立っていたのは、さっきの自称マスター。いや、正真正銘のマスターだ。
さっきの世も末発言は撤回させて欲しい。
目元に落ちていた前髪は程よくセットされ、ラフでありながらも清潔感がある。
すっと緩やかに伸びた綺麗な眉。
涼しげな目元。
薄く結ばれた口元。
丸メガネの奥の瞳は、
ガラス越しにしっかりと俺を見ている。
俺、コイツ知ってる。
めちゃくちゃ知ってる。
だって、まんまお前じゃん。
歌声の主、悠じゃねーか。
「……悠?」
5年ぶりに投げかける。
直に呼ぶの、ずっと待ってたんだぞ。
「あれ?俺、名乗ったっけ?」
「え?あー、いや……。うん、まぁ。」
「そう……だっけな?」
奴は不思議そうに俺を見つめている。
他人の空似?
名前まで同じなのに?
そんなわけあるか。
違うのはトーンが低くなった声と背丈くらいだ。
この次、なんて言おう。
言葉、
言葉、
何か、言葉を。
どうしよう。
見れない。
だけど、逸らした目の端で
じっと、見てしまう。
だって今、俺の脳内が完全にパニックだ。
悠なんだ。間違いない。
だけど目の前にいるコイツは、
――高校生だ。
悠は俺の同級生のはず。
同じだけ歳を重ねてるはずなんだ。
えーっと。
ちょっとよく分からん。
「えっと……あの、マスター?えーっと、この店っていつ開くんすか?」
我ながら状況打破が――下手くそである。
「んー、もうちょいかなー。」
適当だな。
「お給料……出ますよね?」
「まぁ、人並みには。」
カチャカチャ……
ライトを付けたり、カップの縁を指でなぞったり、細かなチェックをしている様子。
……って、人の話絶対聞いてない!
「あのっ!お給料ちゃんと出ます?いつ開くんすか?お客さん、いつ来るんすか?」
そいつが驚いたような目をこちらへ向ける。
「――今日は休みだけど?」
「は!?休み!?なんで、俺を呼んだ!?」
「教えるため。俺、接客しながら教えるの嫌なんだよね。」
ふむ。なるほど。
確かに理にかなってる。
「じゃぁ、教えてください。」
若干むくれる。
「特にないんだけど、ね。うち、飲みに立ち寄る人より買って帰る人多いんだ。堅苦しくもないし、気楽にやってくれたらいいよ。」
えーーーーーっ!!
じゃぁ本当に何で俺を呼んだんだ!?
「……俺、今日来る必要あった?いや、ありました?」
イライラする。
なんっか無性に。
「うん、あったよ。俺が――キミを覚えるため。」
え?
どういうことだ?
素早く目が動く。
その端が捉えた1冊の本。
カウンターの中にそっと立て掛けてある。飾るというよりも、まるでこの店内を見ているようにそこに在る。
独特の色使い。
2人の少年が額をくっつけ笑い合ってる。
――著者 CometK
――装丁 Liu
オーマイーガー。
これは……クソ流の……本っ。
クソ流――俺の5歳上の兄貴。早くから家を出て、画家を生業に自活してる奴。クソ流とは言ってるけど、尊敬する大好きな兄貴だ。
Liuは兄貴のペンネーム。顔や素性は明かさず、作品がLiuの顔になっている。
今、目に飛び込んできたこの本は、Liuが新人作家CometKの処女作の装丁を手がけた1冊。
作品自体は渋めのBLといったところ。
作者のCometKは男性で、男同士の距離感とか言葉にしない空気とか、その辺りの描写が妙にリアルだと評判になった。
まぁ、俺もそこは少し分かる。
何なら読んだし。
結構、沼ったし。
自慢の兄貴だが、俺がLiuの弟であることは口外禁止!と兄貴から固く言われている。
「お前って、こういうの読むんだ。」
そいつが振り向く。
構わず続ける。
「これ、BLだぞ。お前、そっちなの?」
本を指差す。
そいつの目が急激に冷たくなる。
「キミ、――随分と不躾な人だね。」
あ。しまった!間違えた!
地雷踏んだかもしれん。
「いや、違うんだ。そうじゃなくて……えっと。」
「なに。」
うっ……怖い。
「あーもう……!それ!その装丁!描いてるの俺の兄貴!言うなって言われてんだよ。秘密な、秘密!」
あぁ……兄貴にバレたら叱られる。想像するだけで怖い。
でも、さっきのこいつの目の方が100倍怖かったんだ。仕方ないじゃんよ。
そんな俺の心はさておき、そいつは目を見開き身を乗り出した。
「え?マジ……?」
その声。
佇まい。
何より、その目元、口元。
悠、そのものじゃないか。
あの頃はまだあどけなかった。
でも、その名残が、
悔しいほどに――そこに在る。
「不快に思わせたならごめん。ただ、分かる人には分かると……思うんだけど……その……」
「ああ、著者のCometKと装丁のLiuって多分カップルだよね。」
そんな、あっさりと。
「まぁ、そうだな。Liu……、俺の兄貴はそっちの人だからさ。」
「それで、さっきの?」
「はい……ごめんなさい。」
「クスッ。まぁ、ひとまず慎くん、ようこそ当店へ。これからよろしくね。」
すっと差し出された右手をそっと握る。
「――慎。で、いいっす。」
「うん。分かった、慎ね。じゃぁ俺も――悠でいいよ。敬語も特に必要ない。」
緩いな。
拍子抜けする。
さっき、“俺がキミを覚えるため”と言ってたの、どういうことだ?
分からないことだらけだ。
頭の中がグルグルと混乱している。
まぁ、いいか。
5年かけてやっと見つけたんだ。
これからゆっくりと、紐解いていけばいい。



