(……ば、か、だ、と……!?)
きっと架空だろう『一昨日来やがれ〜馬と鹿のマリネ〜』とかいう料理を勧められた、俺、日吉惣次郎は、一人怒りに震えていた。
「おや、もしかしてお気に召しませんでしたか?ではこちらは?」
瀬川は悪びれもせず2枚目を渡してきた。それを読んだ俺の体は小刻みに震え始める。
「……はは、【Get out】ねえ……。ふふふ、それって要するに帰れってことかな……?」
「そんなまさか!一旦、外の空気を吸ってみては?というご提案ですよ。自分、英語はあまり得意ではなくて……勘違いさせてしまったのなら申し訳ございません」
瀬川──否、クソガキは言葉だけで頭を下げるわけでもなく、変わらず目を合わせることもしない。謝る気は全くないらしい。耳が熱い。やかんみたいに蒸気が出そうだった。待て待て、クソガキに翻弄されてどうする!もっとおおらかに、朗らかにだね。アンガーマネジメント、6秒……そうやって、俺が一生懸命に怒りを抑えつけている最中、クソガキ瀬川君は淡々と説明をし続けている。
「……このメニューって、今日俺以外の誰かに勧めてるの?」
「いいえ。“今”、お客様のお相手をしている間に思い出したんですよ」
「そう……」
「忙しいからでしょうか?記憶力が低下しているみたいで。すみません。それにしても、おすすめする機会を逃さなくて良かった。本日、一食限りの幻の料理ですもの。いやあ、とても美味しそうですね」
何が良かった、だ!俺は心の中の机を両手の拳で叩いた。どうにかして笑顔をキープしようとするも、いい加減に口元が引きつってきた。
ずっと力が入っている口の端はだんだん痺れてきた。痛みさえ出てくる。このままじゃ口裂け女になっちまうよ。
そろそろ限界が近い。思い出したように腹の虫も活発になってきたし、適当にあしらってサヨナラしようとしたとき、クソガキ君はまた余計なことを口にしてきた。
「そういえば、私、気付いてしまったんですが……。バカ、を漢字表記にすると馬と鹿になりますよね。それらを混ぜているということは……。うん、やはりお客様にぴったり」
「ぴったり……あ、分かった!馬と鹿だから、馬鹿!惣次郎、馬鹿にされてんじゃん!……あいたー!何すんだよ!」
皮肉が通じない親友でも理解できたらしい。血管が切れそうになっている俺は、感情のままに親友・太一の頭にげんこつを落とした。クソガキはわざとらしく拍手している。
「おお、お連れのお客様、大正解です。素晴らしい」
「わーい!……いたーい!?」
「喜ぶな!んなこたぁ分かっとるわ!」
「認めるんですか?」
「認めません!」
げんこつ2発目を受けてもんどりうっている太一を横目に、クソガキはやれやれ、とわざとらしく肩を竦めている。息が切れてきた俺は、肩が上下している。ようやく、怒りに任せて動いても仕方がない、と思い直すことができた。馬鹿ですからね!“今”気付きました!
俺は、気持ちのリセットを試みた。1、2、と深呼吸をし、頬を軽く叩いた。
この野郎!同じ土俵に引っ張り込んでやる!
「……でもなあ、幻の料理だろ?一人で食べるのはちょっともったいない気がする。ねえ、瀬川君も一緒に堪能しない?」
「遠慮しておきます」
「しないでいいって。美味しいものは分け合いたいじゃん。えーと、シェア、だっけ?しようよ」
「……分け合う……」
(……ん?)
クソガキ瀬川は、何故か少し考えるような素振りを見せた。引っかかるような言い方をした覚えはないけれど……。仕返しをするチャンスかもしれない。
俺は、瀬川の顔を覗きこんだ。だが、すぐに手帳型の機械で口元を覆われてしまい、ますます表情が分からなくなる。
「どうしたの?もしかしてジビエは苦手?」
「大好物ですが、やめておきます」
「そりゃどうして」
瀬川はだって、と呟いてから爆弾を投げてきた。爆発する前に、隠れた鼻先から、ふふん、と得意げな音が聞こえた気がした。
次の瞬間、俺は目の前が真っ赤になった。
「食べたら、馬鹿になりそー」
「!? なんだと!?」
「おっと、口が滑った」
「いい加減にしろよ!人が黙ってりゃ、好きにおちょくりやがって!」
「……」
「なーにが天才だよ!いくら勉強できたって、モラルが最低じゃあこの先やっていけないんじゃないの?」
「!」
さっきまでツンと澄ましていた顔に、だんだんと怒りが滲んでくる。怒りたいのはこっちの方だ。大体、客に対してあるまじき態度じゃないか?よし、溜まった怒りはここで一気に消化させてもらおう。
「ここまですごーく丁寧に接してくれたけど、結局は俺のこと馬鹿って言いたかっただけだもんな?」
「……」
「高校生にもなってこんな子供染みたことしてる暇があったら、良く学び良く食べ良く寝てろ!」
「るさい……」
「全く、親の顔が見てみた……」
「うるさいッ!」
「おわ!?」
瀬川はテーブルを強く蹴った。
ジョッキが倒れそうになったが、太一が2人分守ってくれていた。それを見てほっとしたのも束の間。目の端に素早く動く何かが見えた。それは俺の頬に向かってきているような気がして、咄嗟に顔の前へ手のひらを出した。
「っと!」
「……っ!」
予想は的中した。俺の手のひらは瀬川の拳をしっかり受け止めている。前へ前へと向けてくるエネルギーを押さえ込む。
この状況に俺は既視感を覚えた。……そうだ、初めて会った日もこれぐらいキレてたっけ。
これ以上拳が動かないと感じたのか、今度は足で抵抗をしてきた。俺の椅子を小突き始めたが、すぐに蹴り飛ばす勢いに変わった。成人男性が座る椅子を大きく揺らす程の力具合だ。蹴られて少し浮いた椅子の脚が床に戻る時、ガタン!と大きな音を立てる。
「おい、やめろって」
「帰れよ……!」
「やめなさいよ」
「うるさい!離せ!」
瀬川の暴力行為はどんどんエスカレートしていく。落ち着く気配はどこにもない。俺は立ち上がると、個室の角に瀬川を押さえつけた。
「まー、君はホントに沸点低いねー」
「アンタがうるさいからだろ!」
「からかったのは謝るけど、うるさいのは君ですよ」
「黙れ!」
暴れる手足が壁に当たる。怪我をしないよう適度に抑えつつ、整理してみる。
浅川で不良たちと拳で語り合ってきた俺でさえ、少し戸惑った。
瀬川の暴れ方は、短気というよりも癇癪なんじゃないか?それもとても大きいもの、だと思った。だけど、警戒心や防衛本能から出る物なら、当たり前の反応だ。今、他人がこの状態を見たなら、俺がお縄につくのは目に見えている。
じゃあ、この状態を引き起こすきっかけはなんだろうか。
(行動か発言が主な要因だろうな。……大人気なく仕返ししたのは完全に悪手……)
「すみませーん」
「!?」
「あのー、お店の人呼びましょうかー?」
「……」
「……」
俺と瀬川は黙った。近い席には騒ぎが伝わっていたようで、客が俺たちの席へやってきた。中は見られていないみたいで、今、どういう状況なのかは知られずにいられそうだ。とはいえ、どう弁明しようか悩んでしまう。
考えていると、太一が席を立った。まさか、と思いちょっと待て!と小声で止めたが、親指を立てて意気揚々と出ていった。親友・酒井太一。表も裏もない人間で、嘘を付くのがへたっぴだ。瀬川もそれを感じ取っていたらしく、小声で言った。
「……大丈夫なの?」
「いいえ。ピンチかなあ」
「はぁ?」
「まあ、ちょっと聞いてみよう。意外といい案出してくるかも」
「……」
俺と瀬川は改めて息を潜め、成り行きに耳を傾けた。
どうやら、客は二人、男女らしい。
「うるさくしちゃってスミマセン!えーと、ドラマの撮影してて!お店からお客さんへ説明があるって聞いてたんですけど~」
無理があるって!と俺は心の中で叫んだ。いやいや、親友を信じるんだろ?もしかしたら大逆転を見せてくれるかもしれないじゃないか。
太一の言葉に、男性の声で「そうなんですか」と返事があったが、声のトーンで怪しんでいることが分かった。
「でも、ねえ?」
女性の声に少し怒りが滲んでいる。それに慌てたのか、男性の声が上ずった。
「あっ、うん、説明あってもちょっとうるさいですよ」
「あー……ほんとスミマセン!」
「ってかさー、撮影するなら、はじめっからここの席に通さないでほしいんだけど」
「そうそう!彼女と静かに乾杯したいんですよー」
「あ……えっと~……そう!通行人Aみたいなのあるじゃないすか!それをお客さんにやってもらうって監督が言って──」
「監督って誰だよ……!」
俺は膝から崩れ落ちそうになった。太一はどんどん嘘を膨らませていく。今日ほどため息が止まらない日もないだろう。「そろそろ行こうかな……」と呟くと、瀬川から「待った」のストップがかかった。
瀬川は、何か気付いたような、思いついたような顔をしている。何だろう、と少しだけ緩まった俺の手から、瀬川はするりと抜け出した。まさか、これも作戦!?
「お、おい、瀬川……!」
呼び止めたが奴は既に個室から出ていた。
もうこれ以上トラブルが増えませんように!と、手を腕の前で祈るように握った。そうして、こそっと個室から顔を出すと、そこには──。
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