──“カフェダイニングGerbera”は老若男女問わず人気の店である。
煉瓦と木材を基調としたシックな建物で、周囲のネオンにも負けずに、どっしりと存在している。
14時まではフレッシュなカフェ、18時からムードあるダイニングへと変化する。
口コミサイトでは、従業員の質、料理の美味しさを評価されており、リピーターも多い。
「オレ帰ろうかなー!帰っちゃおうかなー!」
大量のオーダーを見た九条淳はそうぼやく。
ありがたいことに、この店はとても愛されていて、閑古鳥が鳴くことはほぼない。平日カフェタイムから既に忙しい。ありがたいが、体に負担がかかることに変わりはない。
本日も、カフェの開店からわんさか客がやってきて、日勤担当たちは疲労困憊の顔で退勤していった。
そしてダイニングとして再開店した現在も、店内は満員だ。それに伴い、一気にオーダーが届く。
乾杯の音頭や楽しむ客の声とは裏腹に、従業員は悲鳴を上げていた。
九条も例外ではなく、というか、一番悲鳴を上げていた。開店からずっと帰宅希望を宣言している。
「もうサーバー導入してさ!勝手に飲んでもらおうよ!それが一番いいと思う!」
彼はこの店のバーテンダーだが、わんさか湧いてくるオーダーを捌くのに必死で、本業らしからぬ発言をしている。思考は完全に逃避傾向にあった。
カクテルは、グラスへ適当に注げば良い訳ではなく、計量が必要になる。また、と九条が定めている。それが毎回自分の首を絞めているのだが、彼のポリシー故に変えられない。
「……いよっし!」
完成したカクテルを、酒類専用のデシャップへと移した九条は、インカムを通し、ホールスタッフへサーブ要請をした。
「モヒート2、カシオレ1おねがーい!シャンディはもうちょい待って!」
駆けつけたスタッフは既に疲労していた。「ゆっくりでいいよー」と声をかけながら、ちら、とモニターへ目をやると、そこにはオーダーがずらりと並んでいた。シェイカーが必要なカクテルもあり、九条はの眉は八の字になった。もう半分諦めているのか、口からは愚痴ばかりが出る。
「間に合わないってー。どうすんのこれー」
「口動かす前に手動かせ」
「分かってるってー!動いてますっ!いやあ、今日一段とオーダー多くね?」
「華金だからだろう」
「……オレらも今から華金しようぜ☆」
「しない」
「嫌だー!テキーラショットで飲みたい!」
「馬鹿言うな。悪酔いされるのはうんざりだ」
駄々をこねる金髪バーテンダーを叱咤したのは、ここGerberaの店長、兼村徹平だ。
彼もまた、冷静な顔とは裏腹に、オーダーを捌くのに精一杯だった。首に巻いたタオルへ汗が染み込んでいく。中華鍋を振っては、寸胴鍋やオーブンを確認したり、キッチンスタッフへ指示したりと大忙しだ。
調理を好む兼村にとって、素晴らしい状況ではあるが、辛いものは辛い。キッチン側のモニターを見た。九条と変わらず、画面は多くのオーダーで埋め尽くされていた
だんだんと大きくなっていく九条のため息を耳にして、自らも大きなため息が出そうになった時、インカムへ青年の声が入ってきた。少し高めで、凛としている。
《1卓、3卓バッシング終わり。誰か5卓のレジ応援行って欲しい。そのまま3卓新規4人、クラフトとハイボール勧めといた。どうせ淳死んでるからカクテル頼ませない作戦で行こう。あと、今日締めのデザートの注文が多い。落ち着いたらおれスナッカー入る。注文前後させて帰りのお客さん早く出しちゃお。徹平さん、それでいい?》
「ああ、頼む。申し訳ない」
《はーい》
その後も、冷静かつ、テキパキとした口調で指示を出していくその青年の声を聞き、九条は裏声を使い兼村に言った。
「うちの息子ったら頼りになるわねダーリン☆」
その言葉に兼村は無視を決め込んだ。中華鍋から酢豚が滑り出てくる。スタッフへサーブを頼み、次にオーブンの確認をしている。
それを見た九条は泣き真似をして見せた。
「黙んないでよお!淳ママだってこんなに頑張ってるのにぃ!ぴえん!」
「……、……。9卓、ハンバーグとフライ盛り合わせ上がる。誰か頼む」
「ちょっとお!」
九条は「シカトすんな!」と頬を膨らませながらも、渋々カクテル作りへと戻った。
再びインカムへ、他のスタッフが新規客を2名入れたこと、先程の青年へ託す旨を伝えると一旦静寂が訪れた。厨房内ではあーでもないこーでもないと九条の声が響き続けている。
その後、瀬川のビール&ハイボールおすすめ作戦が効いたのか、あれからカクテルの提供数がグッと減った。緊張の糸が切れたのか、九条は冷蔵庫から出したエナジードリンクをぐひぐびと飲み始めた。
「あぁ~、エナドリ最高〜」
「サボるな」
「なぁによ!水分補給してるだけじゃないの〜!」
九条は、缶に残った中身を一気に飲むとキッチンメンバーに言う。
「よーし!売り切れ目指して頑張るぞー!お冷すらなけりゃ来ないでしょ!みんなー!どんどんおすすめメニュー紹介してね!あっ、カクテルはやめてください」
「お前なぁ……」
九条の物言いに頭を抱える兼村。そんな二人を見てスタッフたちは笑う。「えいえいおー!」と明るい反応が返ってきたりする、九条は、そんな活き活きしている現場の声を聞くのが好きだ。
「さあて……てっちゃん、本気出すよ」
「言われなくても」
九条と兼村は軽くハイタッチをすると、各々の作業へ戻っていった。
その後、九条は自慢の息子のせいで生気を失うことになるのだが、それはまた先の話である──。
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「久しぶり!あの日以来だよね?」
俺、日吉惣次郎は、ついテーブルから身を乗り出した。またもや、思ってもない幸運が舞い込んできたからである。
目の前には、俺の探し人“瀬川凪”がいた。笑顔の俺とは正反対で、すごく嫌そうな顔をしている。呆れているようにも見えた。そりゃそうだ。俺たちが会うのは2回目で、瀬川にとって俺は、よく知らないおじさんだ。大声で話しかけられたら嫌だよな。
俺は少し反省をして、一旦体を席に押し込める。
少しすると、瀬川は咳払いをした。
「……申し訳ございません。失念してしまいました。どなたでしょうか」
そう聞いてきたものの、こっちを見なかった。持っている機械を見つめている。きっと、俺たちの注文を見返しているのだろう。そういえば、この間も、途中から俺じゃなくスマホを見ていたっけ。他人と目を合わせるのが苦手な子なんだろうか。
まず質問に答えないとな。どなた?との問いかけに、俺は胸を張った。
「君の担任の日吉惣次郎!バイト先お洒落だね」
「人違いをされているのでは?お客様とは今夜初めてお会いしました。他にご注文がなければ失礼します」
早口でそう言い、去ろうとする瀬川を引き留めた。
「あっ、待って待って!あとちょっとだけ話せないかな?」
「……お食事についてでしたら、いくらでも」
「っと……!」
瀬川は俺がが読んでいたメニューをサッと掴むと、角を顔に振り落としてきた。咄嗟に真剣白刃取りのポーズを取って、メニューを両手で挟んだ。意外と力が強い。
なんとか奪い取ったメニューをテーブルに置き、それに肘を立てた。
「はい!一旦お話聞いてもらえますか?」
「……」
勝利した俺はニヤリと笑う。諦めたのか、瀬川は腕を組んでため息をついた。
(収穫がなくてもいい。とにかく話そう。少しでも距離を縮めなきゃ)
俺の頭の中には1つのカーソルが現れた。
次に、はなす、たたく、しらべる、やめる、と、4つのコマンドが浮かび上がってくる。カーソルは迷わず、はなす、を選んだ。
「じゃあ、イチオシメニューを教えてもらおうかな。意地悪なしで!」
「意地悪?そんな面倒なことしませんよ。おつまみなら……フィッシュ・アンド・チップスは不動の1位ですね。あとは大根のキムチ、カクテキ。これも頼まれる方が多い。定番の軟骨揚げなんかも人気です」
「へ、へえ」
「食事系なら──」
メニューも見ず、すらすらと説明をしてくれる瀬川を見て、疑ってかかってしまった自分を叱咤した。また距離が出来たように思える。説明を聞きながら、またイチからか、なんて落ち込んでいると、瀬川が「そうだ」と思い付いたように手をぽんと叩いた。
「お客様へのとっておき料理を紹介せずに戻るところでした。受け取っていただけますか?」
「とっておき?」
「はい。まだメニューに載っていなくて……。こちらをどうぞ」
「えっ。あ、ハイ」
瀬川は、2つ折りにされているメモをくれた。
とっておき、と言うくらいだからさぞ美味しい内容が書かれているに違いない!俺は、促されるまま素直にメモを開いた。その文面を読んで、じっくり読んで、念入りに読んだ。
やっと内容を理解した俺の頭は、噴火した。目の前は真っ赤に染まっていく。震える手で持つメモには、こう記されていた。
【一昨日来やがれ〜馬と鹿とマリネを添えて〜】

