「そのハルカワってやつ、センセ辞めたほうが良くね?」
日吉の隣にいるガタイのいい男は、そう言うとファイティングポーズを取った。そのままシャドウボクシングを始める男に続いて、日吉も同じポーズを取る。
「お前がいうならやっぱそうだよな。久々に人ぶん殴ろうかと思った」
「ひえぇ、さっすが〜」
「何がだよ!」
日吉の物騒な物言いに、わざと体を震えさせた男は酒井太一という。彼と日吉は中学時代からの付き合いで、今では大親友だ。変わらない会話のテンポに、日吉は安心感を覚えた。
現在、彼らは、酒井お勧めの店で入店待ちをしているところである。酒井曰く、人気店のようで、入店までにそこそこ時間がかかりそうだった。
名簿に名前を記載するよう店員から促された。記入した2人は時間を潰すために、店内の喫煙ブースに入っていた。
「そういえば今日華金じゃん」
「あっ、だからか〜。人多いな〜って思ってたんだ〜」
「……お、太一、電子に変えたんだ」
「そう!禁煙チャレンジ〜。なるのかは知らんけど〜」
「俺もやめよっかなぁ」
「ってかさ、“その日”って結構闘ったん?ボコボコ?」
「んなわけねえだろ。あれ以上手出したらパクられるっつーの」
「あれ以上?どれ以上?」
「……。ノーコメント」
「えー!?教えろよ!」
「じゃあ今日太一の奢りなー」
「や〜だね!呼んだのそっちだろ!ジャン負け!」
「……」
「……」
「あはは!」
「だはは!」
肩を組んで笑いながら煙草を咥え直す。
夜の香吹町の雰囲気は華々しい。色とりどりのネオンが、楽しそうに闊歩する人間たちを照らしている。
日吉の苛つきは少し減り、だんだん理性的になってきた。
『──だって、面倒じゃないですか』
春川のあの一言を聞いた瞬間、日吉は目の前が真っ赤になった。そんな簡単に生徒を見捨てられるなんて信じられなかった。
口にした通り殴打してやろうかと考えたが、その場は何とか怒りを抑えた。春川から愚痴が出てきた瞬間に、日吉は理由を付けて自分の教科準備室へ向かった。
扉を閉めるなり即座にスマートフォンを取り出し、酒井へメッセージを送信した。
「にしても“ムカつくから今日飲み行くぞ!お前に拒否権ねえから!”はホントウケた!」
「あーもう!それ忘れろって!」
復唱をされ、恥じた日吉は両手で顔を覆った。酒井の思い出し笑いは止まらない。
日吉の背中をバシバシ叩きながら酒井は嬉しそうに言う。
「ごめんて!でも惣次郎がこういうの送ってくんの珍しいな〜と思って……ぷぷっ」
「くっそー……大人気ない……」
「いやー、でも誘ってくれてサンキューな〜。お前と飲みなんて……去年ぶりだっけか?」
「んー……そんくらいだと思うわ。太一は仕事どうよ?元気にやってんの?」
「おう!じっちゃんばっちゃんと仲良くやってる!」
「そりゃよかった」
酒井は訪問介護士をやっている。土・日と連休が取れたため、今回の“呼び出し”に応じたのだった。日吉は緑のドレッドヘアを摘んだ。首を傾げる酒井に、日吉は羨ましそうに言う。
「いいな、髪色髪型自由なの」
「意外だよな〜。職場体験行ったらたんとーの先輩金髪でウケた」
「へえー」
「もう大人気よワタクシ!」
「あー想像付くわ」
「彩都はツーブロギリなん?」
「ギリッギリのギリだった。っていうかじゃあ呼ぶなやってのを遠回しに言ったら許された」
「……こわ。まだ“総大将”じゃん」
「その呼び方やめろって!」
喫煙所ブースに自分たちしかいないのを良いことに、2人は大声で笑い続ける。そんななか、酔っ払ってジャケットを振り回すサラリーマンを見つけて、日吉はあの日の瀬川を思い出した。
春川の発言には一理あると、日吉も理解していた。
日吉の担任する子供たちは瀬川を含め41人いる。これから先、残りの40人を放置したまま、捜索し続けるわけにもいかないし、瀬川を戻したとて、彼へ付きっきりになることも出来ないだろう。
(けど……ほっといていいわけねえだろ、アレ)
スッと昼間の繁華街──瀬川と接触したあの日が頭を過った。
喧嘩漬けの浅川でさえ、あそこまで酷く激昂する子供はいなかった。怪我をさせないようにと手加減はしたものの、少し気を抜けばあの小さな体に跳ね返されていたかもしれない。
また思案し始めたその時、喫煙ブースの扉がノックされた。先程、名簿へと記入を促してきた店員だった。「サカイ様ですか?」と問われた本人は「はいっ!」と大きく挙手をした。厳つい見た目に反して、柔らかく笑う酒井に、少し強張っていた店員の表情も解れた。
日吉たちは店の奥の方、半個室の席へ案内された。長身の男2人、インテリア等を壊したりしないだろうか?恐る恐る中へ入る。
テーブル1つと、四つ足の椅子が4脚ある。入って右側に座ろうとした日吉の後を、何故か酒井がくっついて来た。
「お隣いいですか~?」
「ダメでーす」
「お兄さん冷たい~」
「はいはい」
「太一子にシャンパン入れてよ~」
「ぷぷっ!源氏名どうなってんの?」
しっし、と追い払うと、酒井は素直に向かい側へと腰を下ろす。お冷を持って戻ってきた店員が、彼らの茶番の一部始終を見ていたらしく、微笑んでいた。日吉は、恥ずかしさに頭を掻きながらサッと席に座る。店員からこの店の紹介を受けている間、日吉は、恥じらいで熱くなった頬にお冷のグラスを押し当てていた。
「まだ決まってないんすけどー。……ん、ボタン?」
「これじゃない?」
「それかあ!……はい!押します!」
呼び出しボタンの説明を最後に、店員は去っていった。2人はメニューを手にする。
酒井曰く、この店で働くにあたって、髪色・髪型は自由、ピアスも可だそうだ。人懐っこい彼は、この短時間にそれを聞き出していた。
日吉は改めて感心した。
「相変わらずだな。すぐ人と打ち解けられるの羨ましいわ」
「イエーイ!長所ー!」
「本当にそう思うわ。にしても……洒落てるな。“カフェダイニングGerbera”、か」
店内はアップテンポなジャズが包む。華金という環境を相まって、思わず踊り出したくなった。るんるんとリズムに乗りながら、メニューの表紙をめくっていく。ページは薄緑を基調としていて、チョークで書いたようなフォントが可愛らしい。料理の写真や情報も見やすい。
日吉の腹はまたも鳴いている。
「あー、俺もう限界。太一、おすすめある?」
「ん〜とね……」
「いいや、適当に頼んどいて。俺メニューガン見するわ」
「へいへい〜。ったく人使い荒いなー……。ピンポーン!」
今の日吉は腹ペコだ。朝はコーヒーで済ませ、昼は春川に邪魔をされ、パン1つ齧るのみ、その後は職務に追われ、栄養ゼリーを啜る時間も無く、今に至る。たぶん体は飢餓状態だろう。
この店へ来る道中も腹は鳴り続けていたが、酔っぱらいたちがかき消してくれて助かった。こうして入店し、着席したなら、後は飲んで食べて話すだけ。
やがて注文取りが来たらしく、酒井とのやりとりが聞こえてきた。
「ご来店ありがとうございます。お先にお飲み物のご注文お伺いします。当店、クラフトビールが人気でして、三種類ございます。よろしければお味見いかがでしょうか」
「へ〜。……あ、これ飲んだことあるな〜。めっちゃ美味かった気がする!」
「覚えていてくださって光栄です」
冷静さを持った穏やかな声が、酒井へ返答をする。
「こちらは当店1番人気の商品で、私が耳にした限りでは、皆様1度はご注文していらっしゃるようです」
「ふんふん……うーん、じゃあこの1番のと……これと2人分でお願いします!」
「かしこまりました。少々お待ちください」
日吉は、この穏やかな声を聞いたことがあるように思えた。こうやって聞き耳を立てていたものの、有言実行を果たした日吉の顔はメニューに釘付けだ。体制が早弁を隠すそれで、昔を思い出した酒井は笑う。
「ね〜、そんなに腹減ってんの?」
「ペコペコのペコよ。昼飯菓子パン一個だったし」
「聞いた通り忙しそ」
「だろ?普段猫被ってるから疲れるのなんのって……」
日吉は日頃の鬱憤を吐き出していく。毎度愚痴を聞いてくれる酒井をはじめとした友人たちには頭が上がらない。
いい頃合いで酒とお通しが日吉の前へやってきた。エネルギー切れの身体は無意識に喉を鳴らした。
2人のジョッキはおのずと近付いていく。
「よっ!かんぱーい!」
「乾杯!」
ジョッキ同士が重なり、耳障りの良い音を出した。各々、酒を口にする。
ぐびり、ぐびりと喉が鳴らして、2人は酒を嚥下していく。
「……っかー!うま!」
「あ〜やっぱ酒よな〜疲れたときは酒!」
少し飲んではお通しをつまむ。
日吉は、お通しの入る小鉢と、ピック状になって料理に刺さっているメニューを眺めながら、へえ、と声を漏らす。
「美味いな!えーと……鶏皮とネギのポン酢和え、カボチャの甘煮、チョリソー。お通し3つも出てくんの珍しい」
「なー!いーだろ!」
「うん、また来たいわ。……ってかさあ、知ってるか?うち屋上立ち入り禁止なんだぞ」
「ええー!?煙草吸えねえじゃん!じゃあ、昼寝はどこですんの?」
「全部準備室でこっそりだよ。まあいざとなれば殴……何でもない」
「あ、出た、脳筋〜」
「お前に言われたくねえわ!っしゃ、食うぞ食うぞ!目についたもん全部注文する!」
「はいは〜い!ピンポ〜ン!」
呼び出しボタンを押した酒井に、日吉はあれとこれとと料理を指していく。
「お食事お決まりでしょうか」
少ししてまた店員がやって来たようだ。酒井は言われた通りどんどん注文していく。
「えっとー、軟骨揚げとポテト一つ!それと〜マルゲリータだっけ?」
「軟骨揚げがお一つ、ポテトフライがお一つ、マルゲリータがお一つ……」
「そうそう。あとチヂミと焼き鳥と……」
「チヂミがお一つ。焼き鳥はタレと塩がございますが、どちらに致しますか?」
「えーと……タレ……いや塩……悩むなあ」
「オレ塩派」
「じゃ、塩にすっか。塩2人前で……」
「塩ですね」
じゃあお願いします、と言うためにメニューから目を離したその先を見て、日吉は唖然とした。
「瀬川!?」
「……!」
ハンディばかり見ていた店員は、その声にハッと顔を上げた。
日吉の瞳と青年の瞳が交わった時、バチッと火花が散った。
そこで何かを察した酒井の顔は、日吉と青年とを交互に見ながら小さく呟いた。
「オレ、飯食ってから帰りたいよ……?」

