「と、その前に」
兼村が手のひらを顔に当てながら、会話を止めた。
何か粗相をしただろうか、と日吉は自分の行動を思い返した。マカロンか?茶請けを手に取ろうとしたから?ビジネス検定か何かの試験……?
「……敬語が得意ではなくて……多少崩れても構わないでしょうか」
日吉は、すぐにぱあっと笑顔になった。自分の行動に間違いはなかった!
「もちろん!腹割って話せるほうが嬉しいですよ!」
「……助かる。先生も楽に」
「ありがとうございます!」
(なんだ、どこが怖い人なんだ。可愛いところあるじゃないの)
兼村の手のひらは口元に移動し、目は恥ずかしそうに逸らされている。ふふ、と笑ってしまいそうになるのを堪えて、日吉は鞄から資料を取り出した。
「……春川から、去年の出来事や瀬川君の事をまとめた資料があります。それを元にご質問したいのですが、よろしいですか?」
「……ああ」
「じゃあ始めますね。ええと……1学年の時、3ヶ月ほど登校したあと、不登校になってしまって、その後、今日まで彩都学院には戻ってきていないのですが……。きっかけなど何かご存知でしょうか」
日吉はそう兼村へ投げかけた。兼村はううむと唸って顎を擦る。
「……恥ずかしながら、前任の先生に言われるまで、俺たちも知らなかった。あれだけ行きたいと言っていた高校に入れたんだ、行ってないなんて思わなかった。テストの結果なんかをよく聞いていたし」
「……瀬川君の学力はズバ抜けていますからね、私としても登校しないのは……勿体ないと思います」
「同感だ」
さすが首席といったところで、今の今まで、ペーパーテストは満点ばかりだし、各考査も、欠かさず受けに来ている。決して安くはない学費だって払い続けている。勉学が嫌いなら上記のことはしないし、とっくに退学しているだろう。
「アイツは……あの子は、勉強が大好きだ。バイト中、休憩時間も削って勉強するくらいにな」
「……」
「だからこそ、力になりたかったんだが……前任の先生は、全てこっちで何とかしてほしいと」
「え?」
「他の仕事も山積みだし、一人の生徒にはずっと構っていられないから、俺たちで説得しろと言われた」
「ちょっと待ってください。まさか……丸投げ、ですか?」
そんなことはない、と首を振って欲しかったが、兼村の首は縦に動いた。
「ああ。そりゃ、俺たちも戻ってほしいが、あまりにも適当じゃないかと熱くなってしまって……それが原因だったんだろうな。以降連絡がつかなくなってしまった。それでも……瀬川君とは連絡し合っていると思い込んでいたよ。違ったようだが」
「……そう、ですね。春川から聞く限りでは、ノータッチだと」
日吉は心のなかで唇を噛んだ。情けないったらありゃしない!と悔しくなった。もし、そこで手を組んでいたら早めに戻せていたかもしれないのに。つい「本当に何やってんだあいつ」と呟きそうになったのを一所懸命に飲み込んで、続ける。
「……少し私自身の話をしてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わない」
「兼村さんは、浅川高校をご存知でしょうか」
「ああ。……やんちゃが多いと聞いてる」
「あはは、やっぱり有名だ。……私はそこで5年間勤務していたんです。やんちゃな生徒には慣れているから、それがどこからか彩都の校長の耳に入って……瀬川君の担任、及び、登校を促す役目を任命されたようです」
「それは……災難だったな」
「……校長はともかく、他の教師陣には黙っているんですが……私、OBなんです、浅川の」
兼村は「えっ」と驚いた顔をした。が、その後すぐ、納得といった表情になった。
「だからか、俺にビビらないのは」
「そうですね。周りに何人も兼村さんがいるようなものなので。なんなら……中学で暴走族を作って遊んでいたくらいですから」
「えっ」
「頭でしたよ。総大将とか呼ばれて」
「……意外だった。いやでも、負けそうだな、なんとなく」
「そうですか?今でも貫禄ある、とか仲間はバカにしてくるんですけど……」
「確かに……悪い。続けてくれ、気になる」
「気になります?」
「ああ」
「じゃあ思い出しますか。……あの頃は荒れてましてねえ……」
中学から高校まで、思春期だった日吉は、荒れに荒れていた。親や教師に反抗し、夜中まで家に帰らないのが当たり前の生活だった。前述の暴走族まで作って、喧嘩やトラブル満載の青春を過ごしていた。
「今が楽しけりゃいいや、なんて思っていて。夢なんてなくて……将来は、漠然とフリーターなんかして過ごすのかなって思っていたんです。いや、フリーターすら向いてない気がしていて。そんな時に……自分を教師の道へ導いた恩師が出来たんです」
『おーい、授業中ですよー。みんなでなにやってるんですか?』
『おっ、あーりぃじゃん』
『あーりぃじゃん、じゃなくて。僕、さっき挨拶しましたよ?』
『……』
『大富豪やってるから邪魔しないでー』
『ああ!僕それ得意です!』
『マジ?ちなみに、勝ったやつは焼きそばパン奢ってもらえんの』
『えっ、いいですねぇ!僕金欠なんですよね、やりたいなぁ』
『マジ?やる?』
『やるやる!』
『おわ!?』
『おいそーじろー、トランプ落ちたじゃん』
『拾えよー』
『俺、飽きたわ。いちぬけぴー』
『えー!日吉くーん、やりましょうよお!』
「頭ごなしに叱るでもなく、変に介入もしてこない人で。寧ろ自分たちに興味をもってくれて、色々教えてほしいというスタンスで私たちに接してきました。
初めは正直うざったいと感じていたんですが、後々、それが私たちのことを、しっかり考えてくれての行動だって理解した時、私の心に突然、こんな人になりたい!という思いが湧いてきましてね」
「ふむ……」
『いっててて……鉄パイプなんて、漫画にしか出てこないかと思ってた……』
『あんた……なんで……怪我……!』
『……先生、だからですよ』
『えっ……』
『僕は、キミの先生だから。キミたちの先生だから、誰一人見捨てたりしない。困っていたら、それが朝だろうが夜だろうが関係ない。いつだって、キミのもとに飛んでいくよ』
『……有明、先生……』
『……覚えておいて。教師、有明恒一郎は、絶対に日吉惣次郎を置いていったりしないって』
「──それから、心を入れ替えまして……大学受験に向けて、勉強しまくりました。暴走族は解散したけど、仲間はすごく応援してくれたし、恩師は寝る間も惜しんで対策してくれたし……。無事、教職免許の取れるところへ入学できました!そして……」
『……先生、俺、受かったよ』
『……日吉くん、よく頑張りましたね』
『……!』
『キミは、優しい心の持ち主ですからね、この教師という職業は、キミにとって天職になると思いますよ』
『そんな……こと……!』
『えっ!?泣いてる!?……えぇ……キミ、本当にあの日吉惣次郎君ですか……?』
『ううっ……うっ……』
『……ふふ、おめでとう。ここから先、楽しみなさいね』
『……はい……っ!』
「そんな過去がありまして、結果、まだ教師を続けられてるというわけです」
聞き終わった兼村は黙っている。少しの沈黙が恥ずかしくて、日吉はコーヒーをガブガブ飲んだ。
「ぷはー!流石に喋り過ぎましたね!スミマセン!」
へら、と笑ってみせたが、兼村は正反対に苦い顔をする。
また少し静寂が訪れて、流石に距離を縮めすぎたか?と内心焦り始めた時、兼村が口を開いた。
「いや……だからか」
「?」
「電話したときに、先生は言ったな。同じようにはさせないって。そのときに、なんとなく本当になりそうな気がしていてな。勘が当たった。あんたはいい先生だ」
「あはは、照れますねぇ……!」
「……先生、共同戦線を張ろう」
「共同戦線……ですか?」
共同戦線、それは、当面する共通の目的のためにつくる協力体制のことだ。この場合、日吉と兼村が、瀬川を彩都学院へ登校させるようにするためのものである。
「瀬川……をそっちに戻したいのは、俺たちもそうだ」
「はい」
「ずっと、あいつを見てきた。あんな風体になっちまったが根底は変わってない。真面目で頑張り屋。勉強が大好きな普通の高校生なんだ」
「……」
「また、学校へ行くよう促してみる。先生、方法は何でもいいから、定期的に様子を見に来て欲しい。たぶん逃げるだろうが、好きに追いかけてもらって構わない。よろしく頼む」
「……はい!よろしくお願いします!」
差し出された手を、日吉はしっかり握り返した。
こうして、“瀬川凪説得作戦”に一人仲間が増えたのだった。
このあと、話し合いは夜まで続いた──。

