翡翠の約束~仙女のように可愛かったあの子は皇帝陛下でした~

「きれい……」
 うっとりとため息を漏らす珠鈴。その手には小さな翡翠が乗せられている。
 今日何度目になるかもわからない感嘆だ。しかし、珠鈴はそれを目にするのが初めてのように、窓辺に座って翡翠を眺め続けている。
「この石の丸み、すべすべした手触り……お花の輪郭も味があって可愛らしい……」
 夢見心地の蕩けていく口調を聞いていられなくなった嵐環は、どかりと隣に座り込んだ。
「そなたが褒め上手なのはわかった。わかったから……もう勘弁してくれ」
 顔を覆っていた嵐環は、珠鈴の手を握り込んで石を見えなくした。途端に珠鈴は夢から醒めたように目を見開く。
「ランが私のために手を入れてくれた翡翠よ? もう食べてしまいたいくらいに愛おしいの!」
「食べるな、頼むから」
 思わず嵐環は真顔で返した。
 珠鈴が眺めていたのは、嵐環が手ずから加工した翡翠だ。
 表面に彫ったのは蘭——のつもりだったが、素人の腕では花どころか歪な曲線の集合にしか見えない。
 しかし、珠鈴はそれをひと目見て気に入り、片時も離そうとしないのだ。
「そなたの審美眼は確かなものだと思っていたが、例外もあるのだな……」
「例外? 私の好みど真ん中よ! ランが私のために彫ってくれたの。愛おしくてたまらないわ……」
 それはある意味では直球の告白だったが、嵐環に——というより翡翠に向けられている。嵐環がその気持ちをどう受け止めるべきか悩んでいると、珠鈴は嵐環の手をどけて翡翠を目の高さに掲げて日にかざした。
「……明け暮れに眺めていたいほど美しくて……そうだ、いっそ瞳の中に嵌め込んでしまう?」
「だめだ」
 即座に嵐環は翡翠を取り上げてしまった。
「冗談なのに」
「冗談でもだめだ。翡翠を見ていたくば——」
 嵐環の語尾がすうと溶ける。そしてふたりの距離もあっという間に零になる。
 互いが瞳に映り込む距離。いつぞやはそれを恥じらった珠鈴の頬に落とされた温もりだが、今度こそは唇が重なった。
 すぐにまたくちづけられる距離のまま、嵐環は不敵な笑みを深める。
「俺の目を見ていろ。そなたの目に映る翡翠は、俺以外すべて取り上げてしまおう」
「……意地悪っ」
 照れ隠しに珠鈴は嵐環から翡翠を取り戻そうとするが、その手は空を切るばかりだ。
「これは預かっておく。玉妃と名高いそなたの冠の一等目立つところには、改めてよい出来のものを付けてやるから待っていろ」
「……え」
 翡翠の冠を許されるのは、皇帝と皇后のみだ。
「玲風も立后式に向けて何やら準備しているらしくてな。義姉として、受け取ってほしい」
「……はい」
 元気を取り戻した玲風の笑顔を浮かべて珠鈴は頷く。そんな彼女を、嵐環は愛おしげに見つめた。
「俺にとっての宝物はそなただけだ。いつも隣で輝いていてくれ」
 珠鈴の手は嵐環に捉えられ、そのまま腕の中に抱き込まれる。その力強い腕に身を委ね、珠鈴はしっかりと頷いた。
 翡翠を持つ嵐環の手に、珠鈴は自分の手を重ねる。
 窓辺を訪れた春風を受けて、その石は未来を照らした。