中学三年生の頃。
梨歩は進路希望調査に、堂々とこう書いた。
《第1希望……音楽活動に専念したいので
第2希望……進学せずに
第3希望……歌手を目指します》
「私は、梨歩の選択は間違ってなかったと思う」
「そう?」
「だって梨歩、歌ってる時が一番幸せそうだもの」
そう言い切れるくらい、私は梨歩の生き方が好きだった。
「じゃあ、このままでいいや」
梨歩はいつもの調子で笑う。
「その代わり、早く退院しなきゃ。マスドもずっと休んでるし」
「あ、それで思い出した」
私は持ってきた袋を差し出した。
「病院来る前にマスドに寄ったの。店長さんから梨歩にって」
「わぁ!」
新作のドーナツと、スタッフ全員からの寄せ書き。
〈DEAR 梨歩〉
「みんな待ってるって」
「……そっか」
梨歩は寄せ書きを眺めながら、少しだけ目を細めた。
「ファンが待ってるなら、早く元気になんなきゃね」
「あ。それと、もう一つ」
「何?」
「彼氏から」
「涼ちゃんから!?」
渡したのは、一枚の絵だった。
そこに描かれているのは――梨歩。
「すごい。上手いのね」
「そりゃね。現役美大生だもん」
柴田涼平さん。
梨歩がマスドで働き始めて二年ほど経った頃、常連客として知り合った大学生で、付き合ってもう一年ほどになるらしい。
「涼平さんとは最近会ってるの?」
「全然。去年の夏、帰省中に事故に遭ってさ。足を怪我して、今も岐阜の病院」
「そうだったの?」
「連絡は取ってるけどね」
梨歩は絵をじっと眺めた。
「でも、これがここにあるってことは……涼ちゃん、マスドには行ったってこと?」
数秒後。
「何それ! ドーナツ食べに行けるなら、あたしにも会いに来いっての!」
「違う違う。持ってきたのは涼平さんのお姉さん」
「……姉?」
「本当は梨歩の誕生日に自分で渡すつもりだったみたい。でも、まだ怪我がひどくて動けないから、お姉さんに頼んだんだって」
「何よそれ。だったら最初から言えばいいのに。水臭いし回りくどい!」
文句を言いながらも、梨歩は嬉しそうだった。
その絵を、寄せ書きと一緒に枕元へ立てかける。
「こういうの、いいよね」
「梨歩、みんなに愛されてるじゃない」
「やっぱそう思う?」
「思うわよ」
「じゃあさ」
梨歩の瞳が輝く。
「あたしが退院したら、快気祝いライブやろうかな」
「ライブ?」
「いつもの花見公園。今度はタオルとかペンライトも作って」
「またお金かかりそうね」
「そこなんだよなぁ~」
私は少し考えた。
「じゃあ今から、少しずつ貯めたら?」
「え?」
「私も協力する」
「いいの!?」
「もちろん」
「やったぁ!」
さっきまで病院のベッドにいたことを忘れそうになるくらい、梨歩は嬉しそうだった。
真夏の太陽みたいな、オレンジ色の髪。
真っ白な病室まで、陽だまりに変えてしまいそうな笑顔。
お見舞いに来ているはずなのに。
いつも元気をもらっているのは、私の方だ。
「その前に新曲作んなきゃなぁ」
梨歩がノートを開いた。
「歌詞はいくつか浮かぶんだけど、メロディーが繋がらないんだよね」
「歌詞から作るタイプ?」
「というか、歌詞からじゃないと無理。誰か曲つけてくれないかなぁ」
「曲作るのって、花育てるより難しそう」
「若葉って、本当に何でも花にたとえるよね」
「……ごめん」
「いいよ。そういうところ、若葉らしいし」
そう言いながら、梨歩はふと思い出したように笑った。
「そういえば、あたし小学生の時、花壇のパンジー全部枯らしたことある」
「……え?」
嫌な予感がした。
「三年か四年の頃。肥料撒くつもりで、間違えて除草剤撒いちゃった」
「……あれ、梨歩だったの!?」
知られざる真実。
私はあの花壇のパンジーを、毎日のように世話していた。
「私、あの晩どれだけ泣いたと思ってるのよ!」
「ご、ごめんって!」
「低学年の子が間違えたって聞いてたから仕方ないって思ってたのに!」
「厳密には、その子たちと一緒にやったというか……」
「同罪!」
「ひゃー、ごめんなさい!」
梨歩は笑っている。
全然反省してない。
「もう何年も前だし、時効ってことで」
「そんな都合のいい時効あるわけないでしょ」
「まあまあ。アレよ」
「何よ、アレって」
「アレはアレ」
「わからないって」
梨歩は少し考えてから、ふっと笑った。
「あたしにとってはさ、若葉が花みたいなものだから」
「え?」
「一番枯れてほしくない花が、今も元気で良かったなって」
……ずるい。
こんなことを急に言うから、怒れなくなる。
「何だかんだで、あたし、若葉に癒されてるのよ」
「……私も」
梨歩が傍にいて、笑っていてくれる。
それだけで私も救われている。
大人になっても。
結婚しても。
おばあちゃんになっても。
ずっと、こんなふうにいられたらいい。
*
「若葉、アレ取って」
「アレって?」
「CanDy」
「最初からそう言ってよ」
女性ファッション誌『CanDy』を渡すと、梨歩はぱらぱらとページをめくった。
「あ、ELLIEだ」
「本当に綺麗よね、この子」
「まだ十六歳だって。反則じゃない?」
誌面の中で、長い脚を組んだモデルが悪戯っぽく笑っている。
「ハーフなのかな」
「どうだろうね」
梨歩は数ページ眺めたところで、雑誌を閉じた。
「まあ、人には人の悩みがあるってことで」
「急に達観したわね」
「あたしももう大人だからね」
「さっきまで除草剤事件を時効にしようとしてた人が?」
「それは別件」
「はいはい」
「で、話戻るけど」
「どこに?」
「EDEN」
梨歩はノートを開いた。
「今ね、歌詞を一般公募してるの」
「へえ」
「最優秀作品にはEDENが曲をつけて、コラボ作品として発表してくれるんだって」
梨歩の瞳が、まっすぐ前を向く。
「あたし、絶対応募する」
「歌えるの?」
「今は無理でも、その時までに歌えるようになる」
迷いのない声だった。
「あのEDENと、一緒に歌いたい」
私は笑った。
「じゃあ、頑張らなきゃね」
「うん。よーし、書くぞぉ!」
梨歩は勢いよくペンを握った。
「若葉も手伝って」
「何で私が」
「だって親友じゃん」
「歌詞なんて書いたことないわよ」
「じゃ、いいや。自分で書く」
「切り替え早っ」
やっぱり梨歩は梨歩だ。
「じゃあ私はそろそろ帰るね」
「ばいばーい。あ、明日はもちドのつぶつぶイチゴ果肉まるごとジャムソース持ってきて」
「そんな商品あるの?」
「知らない。ヒゲ店長に聞いて」
「……梨歩が今考えたでしょ」
「あ、バレた?」
私は小さくため息をついた。
でも、悪い気はしなかった。
今はただ。
梨歩と私――それぞれの夢に向かって、できることを精いっぱいやっていけばいい。
きっと、それでいい。



