ブルーヘヴンの彼方に【改稿版】


「誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
 シャンパングラスを合わせる。
 中身は、ブドウジュースだけど。

「来年は、お酒デビューかな」
「そうね。でも、私飲めないかも」
「え、何で?」
「ママ、すごく弱いの。すぐ酔っ払って絡み酒してくるから、私もそうなったら嫌だなって」
「へえ。面白そうだから飲もうよ」
「やだ。絶対嫌」
「何なら泊まりでさ。そうすれば朝まで一緒にいられるし」 「は? い?」
「――ああ。来年の話ね。泊まるのは」
「あ……そ、そうよね。びっくりした」
 動揺する姿が可愛くて。
 つい、意地の悪いことを言ってしまう。

「僕は構わないよ。いつ泊まりになっても」
「と、泊まりは……」
「あ、そうだ。僕、卒業したら一人暮らししようと思ってて」
「え、一人暮らし?」
「うん。そうすれば若葉ちゃん、いつでも気兼ねなく泊まりに来れるじゃん」
「だ、だから何で泊まり前提なの?」
「だって楽しそうじゃない? 実家だと家族の目もあるしさ」
「うーん、まあ……確かにそうかも」

 実家だと絶対邪魔が入る。
 エリサとか。
 エリサとか。
 エリサとか。

「それか、いっそのこと一緒に住んじゃう?」
「え! それはちょっと……」
「まあまあ。それは、そのうちでいいから」
 まずは部屋探しだ。
 なるべく防音のきく部屋がいい。
 音楽もやりたいし。
 ……まあ。
 それだけじゃないけど。

 前菜とスープが運ばれてきた。
「わあ、綺麗」
「本当だ。この花、食べるのもったいないね」
「そうね。このまま鑑賞していたいくらい」
 身も蓋もないことを言った気がして少し後悔した。
 若葉ちゃんは、さらっと流してくれたけど。

 普段では味わえない料理。
 特別な日に、特別なことをする。
 こうして少しずつ背伸びをしながら、僕たちは大人になっていくんだろうか。
「このスープ、すごくかわいい」
 ピンク色の小さな薔薇の花弁が浮かぶビスク。
 オマール海老のだしが効いていて、濃厚なのに重すぎない。
 シンプルなのに、奥行きがある。
「うん。見た目もいいけど……僕、この味好きだな。メインにも負けないくらい存在感あるのに、主張しすぎなくて。ちゃんとスープという立場を弁(わきま)えてるような謙虚さもあって……」
「ふふっ」
「え?」
 若葉ちゃんが、急に噴き出した。
「ごめんなさい。エディさんの表現が、何か独特で面白くて」
「え、独特?」
 笑わせるつもりはなかったんだけど。
「何ていうか……料理一つ一つに対しても、人にたとえて見てるのかなって」

 これは。
 スベっていると捉えるべきだろうか。

「そういえば、もうすぐローズフェスだね」
 今週末。
 岐阜県にある、世界中の薔薇が咲き誇る広大な公園で野外イベントが開催される。

 若葉ちゃんは毎年。
 というより、薔薇の季節には必ず一度は足を運ぶらしい。
「うん。すごく楽しみ。今回は青い薔薇がメインだから、私の好きな品種も勢揃いで」
「青い薔薇、か。夢があるよね。その響きだけで一曲書けそうだな」
「書いたでしょ」
「ああ、そうだった。確かに書いた」
「もう」

 梨歩が書いた詞。
 そこに僕がメロディーをつけた。
 デモ音源は、梨歩から詞を受け取って三日ほどでほぼ形になった。
 そこから音合わせを繰り返し、メンバーの力を借りて。
 二週間も経たないうちに曲は完成した。

「梨歩、曲覚えてくれたかな」
「うん。すごく喜んで、毎日歌い込んでるから。もう完璧よ」
「ちなみに。梨歩はまだ例のことは……知らないよね?」

 梨歩には、絶対に悟られてはいけない。
 そのためには、若葉ちゃんの協力が必要だった。
 親しい相手だからこそ、隠し通すのは相当プレッシャーだったはずだ。
 申し訳ないと思いながらも、彼女の気遣いには感謝しかない。
「うん。今はまだ、知らなくていいと思う」
「作品自体は全部、選考委員を通してるからね。梨歩だから贔屓したわけじゃないってことも、ちゃんと伝わる形にしたいし」

 応募作品はいくつもあった。
 僕らEDENは、ようやく名前が知られ始めたばかり。
 メジャーデビューしているわけでもない。
 キャリアだって、ほとんどないに等しい。
 それでも、応募は三桁に届いた。
 その中から。
 選考委員が選んだ作品が、梨歩の詞だった。

 それを知った時。
 僕は、少し嬉しかった。
 彼女は半端な気持ちで書いたわけじゃない。
 僕に急かされたから仕方なく出したわけでもない。
 ちゃんと、実力で選ばれたんだ。

「梨歩、体調はどう?」
「今のところ安定してるわ。EDENに曲を作ってもらえたのが相当嬉しかったのか、前よりだいぶ元気になってるみたい。外出許可は申請中だから、当日行けるかどうかは梨歩の体調次第かな」
「その様子だと、這ってでも来そうだね」
「うん。本人もそのつもりらしいわ」
「だろうね」

 ローズフェスまで、あと三日。

 夢のステージへ向けた、それぞれの思い。
「何か、ごめんね。若葉ちゃんの誕生日なのに、打ち合わせみたいな話ばっかりになっちゃって」
「ううん。忙しいのに、こうやって時間作ってくれるだけで十分よ。ありがとう」

 テーブルに飾られた白い薔薇が、頷くみたいに微かに揺れた。
「これは、偶然かしら」
「何が?」
「白い薔薇。私の誕生花なの」
「へえ。そうなんだ。イメージ通りだね」
「イメージ通り? 私ってどんなイメージなの?」
「言わせる?」
「だって、気になるじゃない」
「そうだなあ」

 清楚で。
 可憐で。
 優しくて。
 ピュアで。
 ちょっとツンデレで。
 たまに毒舌。

「エディさん?」
「やっぱ内緒」
「えぇー?」

 白は。
 どんな色にも染まれる、可能性の色。

 でも今日の白い薔薇は、どこかほんのり――青く色づいて見えた。

 これから叶う夢。
 それを予兆するかのように。