ブルーヘヴンの彼方に【改稿版】


 演奏が始まる。

 最初に走り出したのは、エリサのシンセ。
 転がるような軽快なフレーズ。
 グラスハープを思わせる透明な音の上に、ストリングスとピアノが重なる。

 雨滴を弾くような瑞々しさ。
 そこへ僕のハープを重ねる。
 そして。

 梨歩が生み出した言葉。

 あの日から。
 すべては、この瞬間へ繋がっていた。

 梨歩が描いた世界。
 その向こう側にある、彼女の夢の答え。

 僕も、ようやく見つけた気がした。

 アサ君の音は、端正で揺るぎない。
 序盤ではヴァイオリンを脇に置き、ベースを構えて重厚な低音を響かせる。
 そして曲が展開する瞬間、絶妙なタイミングでヴァイオリンへ持ち替えた。
 ここからが、本領発揮。
 無駄のない動きも、スタイリッシュで洗練された音も。
 そのすべてが、まるで彼自身をそのまま表しているようだった。
 
 キリトのドラムは、身体の奥を直接叩くような力強さがある。
 ミナトのギターは荒々しい。
 だけど、不思議と全体からはみ出さない。
 エリサのシンセは華やかで、光を撒くみたいに曲全体を彩っていく。
 そして。

 その全部を包み込むように、僕はハープを鳴らす。

 声を重ねる。

 五人の音が、一つになる。

 世界に一つだけの、僕らの曲。
『ブルーヘヴンの彼方に』――完成。


 最後の音が消えた。


「すごい……」
 若葉ちゃんが、小さく呟いた。

 僕はハープを下ろす。

「あ、ここで本日のゲストである若葉さんに、俺たちからささやかなプレゼントです」
 キリトがアンプの後ろから、小さなギフトバッグを取り出した。

「え?」
「何と、今日がお誕生日とのこと! おめでとうございます!」
 突然手渡されて、若葉ちゃんが目を丸くする。

 中に入っていたのは、手のひらサイズのハート型の器。
 中央には、パステルブルーの薔薇。
 プリザーブドフラワーだ。

「すごく綺麗……ありがとう」
 彼女の瞳が、少し潤んだ。

 僕はすぐそばまで歩み寄る。

「ありがとう。最後まで聴いてくれて」
「ううん。とっても素敵な曲だった。梨歩の思いを形にしてくれて、こちらこそありがとう。それに、誕生日プレゼントまで」
「これじゃ、誰のためのプレゼントかわからなくなったかな」
「そんなことないわ。ずっと梨歩の夢を隣で見てきたから。少しずつ現実味が増していくみたいで、私も嬉しい」
「それならよかった。実は、これを君に一番に見せたくてね。スケジュール的には超ゲリラだったけど。フェスまでに何とか間に合いそうで、やれやれだよ」

 僕はハープをケースに戻した。
「それ、すごく綺麗なハープね」
「ああ。エレキハープだよ」
「エレキ、ハープ?」
「そう。僕が十五歳の時に、母方の祖父母がプレゼントしてくれたんだ。すごく気に入ってる」

 僕が母さんからハープを習い始めたのは、十歳の頃。
 最初はエリサと一緒にピアノを習っていたけれど、僕にはハープの方が合っていたらしい。
 覚えるのも早かった。

「綺麗……初めて見たわ」
「こんな代物、なかなか持ってる奴いないからな。俺も最初見た時は驚いた」
 帰り支度をしていたアサ君が、すれ違いざまに言った。
「あ、アサ君。今日は来てくれてありがとう」
「ああ。明日はテストがあるから先に失礼する」
「あ、ありがとうございました。アサトさん、ヴァイオリンだけじゃなくてベースまで弾けるんですね」

 アサ君は弦楽器の人だ。
 本業はヴァイオリン。
 国際大会でも何度も入賞している。
 音大でも専攻しているし、ソロで十分やっていけるだけの実力もある。
 僕らにとって、本当に尊敬できる兄貴分。
「俺はヴァイオリンが本業だからな。続きはエディにちゃんと祝ってもらえよ」
 アサ君は、
「はぴば」
 と小さく呟いて、そのままスタジオを出ていった。