ブルーヘヴンの彼方に【改稿版】


 完全に見えなくなった、涼ちゃんの姿。
 今度こそ、本当にもう……二度と会えないんだ。

「あたしも……涼ちゃんに出逢えて、幸せだったよ」
 せめて、この言葉を聞いてから行ってほしかったな。

 あたしは、ベッドの上に落ちていた桜の花びらを手に取った。
 開け放たれた窓から、風が流れ込む。
 蝶が舞うように風に乗った花びらは、あっという間に空の青へ溶けて消えていった。
 一瞬すぎて、いまだ気持ちが追いつかない。

 もう、どんなに願っても。
 涼ちゃんのいた時間は戻ってこない。
 どんなに寂しくても。

 苦しくても。
 悲しくても。
 辛くても。

 前に進むしかないんだ。

 カタッ。
 涼ちゃんがくれた、あたしの似顔絵のキャンバスが音を立てて倒れた。

「え……?」
 そこに、文字がある。
 さっきまではなかったはずなのに。
 いや。
 あたしが見落としていただけなのかもしれない。

 ――Especially for you――

 最後まで、不器用だったな。

 そんな不器用な優しさが、あたしはたまらなく好きだった。
「ありがとう、涼ちゃん。大好き」

 ずっと忘れないよ。
 涼ちゃんがくれた、最後のエール。
 あたしは、今を生きていく。

 十九歳のあたし。
 人生は、まだまだこれからだ。
 泣き言言ってる場合じゃないね。


 そうだ。
 あたし、やらなきゃいけないことがあったんだ。

「……謝んなきゃ」
 若葉。
 いつもやりたい放題、好き放題なあたしに、文句の一つも言わず付き合ってくれてた。
 真面目で、融通が利かなくて。
 ちょっと鈍くさくても、ひたむきに努力を重ねて。
 やると決めたら、必ず最後までやり通す芯の強さがあって。
 まるで、凜と咲く花みたい。
 小さい頃は、あたしが守ってあげなきゃ。支えてあげなきゃって思うくらい、気弱で目立たない子だと思っていたのに。

 いつの間にか、支えられていたのはあたしの方だった。
 今になって、ようやく気付いた。
 あたしは若葉を支えるなんて言いながら、心のどこかでマウントを取ってたんだ。

 でも、それを認めたくなくて。
 若葉は、あたしがいないと何もできないって思い込んで。
 かつて、あたしが撒いた除草剤で花壇の花を枯らしたみたいに。
 若葉のことも……枯らしてしまいかけたんだ。

 悪気はなかったんだよ、って言い訳しながら。
 あたしは知らず知らずのうちに、若葉を傷つけていた。
 まさかエディが、若葉の彼氏になって現れるとは思いもしなかったけど。

「ああ、どっから謝れば――!」
「何を?」
「ぎゃっ!!」
 そこにいたのは、帰ったはずのエディ。

「な、何でそこに……?」
 エディは飄々とした様子で言った。
「僕があのまま黙って帰ると思った?」
「……」

 エディって、こんなキャラだったっけ?
 まさか、怒ってる?
 そりゃそうだよね。
「あ、あの……若葉は?」

 何だろう。
 調子が狂う。
 予想外の展開にテンパって、まともに話せない。

「さあ。泣きながら走って、どこかへ行っちゃったよ。誰かさんのせいで」
「う……」
 笑顔で言われると、余計にこたえる。
「……ごめん、なさい……」
 情けない。
 一番謝りたい相手が、ここにはいないというのに。

「梨歩」
「は、はいっ!」
「謝りたい?」
「へ?」
 彼の意図が読めない。

 十五年ぶりに会ったせいなのか。あたしの知っている人とはまるで別人みたいになっている彼に、間抜けな声を返すのがやっとだった。

「その前に、聞かせてもらおうかな」
 エディはベッドの端に腰を下ろした。
「何があった?」
「え?」
「理由もなく僕らを追い返すなんて、普通ありえないでしょ」
「だ、だからそれは……ごめんって」
 核心に迫ろうとしてくるエディに、ちょっとだけ恐怖を覚える。
 そういえば、あたし、こういうの苦手だ。

「えっと……時系列じゃなくてもいい?」
「いいよ。期待してないから」
「なんかムカつくな」
「それはお互い様だよね」
「うっ……」
 エディって、こんなに刺々しかったっけ?