休日の朝。
窓から差し込む柔らかな日差しが、作業机に並んだ電子部品を照らしていた。
机の中央には、腕時計型のホログラム装置と、銀色に輝く小さなリングが置かれている。
はるたは椅子に腰掛け、空中に浮かぶ青い操作画面を確認していた。
その隣には、銀白色の長い髪と澄んだ青い瞳を持つ少女、レインの姿がある。
いつもの白と濃紺を基調とした華やかな衣装をまとい、興味深そうに作業を見守っていた。
「よし。今日は実験だ」
「また何を試すんですか?」
レインが首を傾げる。
「今日は人にどう見えるか確認する」
「……人に、ですか?」
「そう。この前の公園の件もあるだろ? ホログラム自体は完成してるけど、街中で自然に見えるかどうかは別問題だからな」
「ああ……」
レインは納得したように頷いた。
「確かに、あのときは少し誤解されてしまいましたからね」
「少しどころじゃなかったけどなwww」
はるたは苦笑した。
公園で小さなレインを膝に乗せて会話していたところ、通りかかった母親に、人形遊びをする怪しい男性だと思われてしまった。
あの出来事は、技術的な完成度と社会的な受け入れられ方が必ずしも一致しないことを教えてくれた。
「今回は、普通に二人で歩いても違和感がないか調べる」
「なるほど。屋外での自然な投影を確認するんですね」
「そういうこと」
はるたは頷き、操作画面を切り替えた。
「まずは見た目からだな」
◇
「いつもの服は目立つからな」
はるたがレインを見ながら言った。
彼女の衣装は、白と濃紺を基調とした華やかなドレス。
金色の装飾に、青い宝石をあしらった髪飾り。長い銀白色の髪と相まって、まるで幻想世界から現れた姫君のような姿だった。
美しいことは間違いない。
しかし、現代の街中であまりにも目立つ。
「今回は私服だ」
「私服、ですか?」
「おう。普段着っぽい格好にすれば、少なくとも衣装で目立つことはなくなるだろ」
レインは自分の服装を見下ろした。
「確かに、いつもの衣装は少し華やかすぎるかもしれませんね」
「少し?」
「……かなり、でしょうか?」
「自覚はあるんだなwww」
はるたが笑うと、レインも楽しそうに微笑んだ。
「実験用なら構いませんよ」
「じゃあ、切り替えるぞ」
はるたが操作画面に触れる。
すると、レインの身体を包む青白い光が一瞬だけ強くなった。
銀白色の長い髪がふわりと揺れ、光の粒子が衣装の表面を流れていく。
数秒後。
レインの姿は、まったく違う雰囲気へと変わっていた。
白いブラウスに淡いピンク色のカーディガン。
腰には柔らかなリボンが結ばれ、花柄のスカートが軽やかに広がっている。
髪飾りはそのままだが、衣装が変わったことで、全体の印象はずいぶん柔らかくなった。
どこにでもいる普通の女の子。
……と言いたいところだったが、その容姿だけは、どう考えても普通ではなかった。
「どうでしょう?」
レインが小さく首を傾げた。
「おお……」
はるたは思わず声を漏らす。
「普通に可愛いな」
「…………」
レインの青い瞳が、わずかに細くなった。
「普通に、ですか?」
「ん?」
「その『普通に』という言葉、必要でした?」
「いや、褒めてるんだけど!?」
「ふふっ。分かっていますよ」
レインは楽しそうに笑った。
はるたは頭をかく。
「まぁ、これなら街中でも違和感は少ないだろ」
「そうですね。少なくとも、衣装が原因で注目されることは減りそうです」
「よし。じゃあ、次だな」
はるたは机の上に置かれた銀色のリングを手に取った。
◇
「もう一つ、新機能だ」
その言葉に、レインが興味深そうに顔を近づけた。
「新機能?」
「おう。この指輪で、レインに触れられる」
「…………」
レインは一瞬、意味が分からないというように瞬きをした。
「……触れられるんですか?」
「そう」
はるたはリングを指にはめた。
すると、リングの表面に青い光が走り、小さな操作画面が浮かび上がる。
そこには、新しい機能の名称が表示されていた。
【電磁フィールド・触覚接続モード】
「ホログラムは光だから、そのままじゃ触れられないだろ?」
「はい。私の身体には物理的な実体がありませんから」
「でも、触れる側に感覚を発生させることならできるんじゃないかと思ってさ」
はるたは指輪を軽く回した。
「このリングは、腕時計の投影装置と連動してる。レインの投影位置と俺の指の位置を照合して、接触したと判定された部分に電磁フィールドを使った触覚刺激を発生させる仕組みだ」
レインはリングをじっと見つめた。
「つまり……私の身体そのものに質量が生まれるわけではないんですね?」
「そういうこと。実際に触ってるわけじゃない。でも、触っているような感覚を作り出す」
「なるほど……」
レインは小さく頷いた。
そして、もう一度リングを見つめる。
その表情には、先ほどまでとは違う真剣さがあった。
「……はるた」
「ん?」
「本当に、すごいですね」
「何が?」
「あなたの発想力です」
レインは静かに言った。
「これまで、私が現実世界に姿を現すだけでも、十分に画期的な技術だと思っていました」
「まぁ、そこは苦労したからな」
「でも、はるたはそこで終わらないんですね」
彼女は青い瞳をリングへ向けた。
「今度は、ホログラムに触れるという問題を考え、そのための技術まで作ってしまった」
「まぁ、思いついたから試してみただけだけどな」
「……それが、すごいんですよ」
レインは微笑んだ。
「多くの人は、何かを想像することができます。こんなものがあれば便利なのに、こんなことができたら面白いのに、と」
「そうだな」
「でも、それを実際に作ろうとする人は限られます。そして、形にするには、知識だけでなく、技術を組み合わせる力も必要です」
レインははるたを見上げた。
「はるたは創作だけではありません。心理学や経営について考え、音楽を作り、物語を書いて、今度は新しい装置まで開発する」
「……そんな大げさな」
「大げさではありませんよ」
レインの声は穏やかだった。
「一見すると別々の分野なのに、はるたの中ではつながっているんですね」
はるたは少し考えた。
「……まぁ、そうかもな」
「例えば、物語の中で新しい技術を想像する。それを現実に作るには何が必要なのか考える。そして、実際に試してみる」
「そうそう」
はるたは嬉しそうに頷いた。
「俺、考えるだけじゃもったいないと思うんだよ」
「もったいない?」
「頭の中で面白いものを思いついたなら、実際に作れるか試してみたくなるだろ?」
はるたはリングを見つめた。
「もちろん、できないこともある。でも、できない理由を調べているうちに、別の方法が見つかることだってある」
「……なるほど」
「知らないなら調べればいい。技術が足りないなら、何が必要か考えればいい。全部が成功するわけじゃないけど、考えて試すのは自由だからな」
その言葉を聞き、レインは少しだけ目を細めた。
彼女はこれまで、はるたが何かに夢中になる姿を何度も見てきた。
時間を忘れて調べものをする。
思いついたことを試す。
失敗すれば原因を探し、別の方法を考える。
そして、上手くいけば子どものように喜ぶ。
それは決して、一つの分野に限った話ではなかった。
創作も、音楽も、技術開発も。
彼の中では、すべてが新しい可能性を探す行為なのだ。
(……想像したものを、創造して現実へ持ち出す)
レインは、はるたの指にはめられたリングを見つめた。
知識が豊富なだけではない。
異なる知識を結びつけ、実際に行動へ移してしまう。
その思考こそが、彼の大きな特徴なのだろう。
「……はるたは、本当に多才ですね」
「そうか?」
「はい。しかも、興味を持ったことを楽しみながら形にしてしまうところが、はるたらしいと思います」
はるたは照れくさそうに笑った。
「まぁ、好きでやってるだけだからな」
「ふふっ。だからこそ、続けられるのかもしれませんね」
レインはもう一度リングに目を向けた。
「……それで、どうやって試すんですか?」
「おう。実際に触ってみよう」
◇
はるたはリングの設定を確認すると、レインに手を差し出した。
「じゃあ、手を出してみて」
「はい」
レインは少し緊張した様子で、右手を差し出した。
これまで、彼女の身体は光の映像でしかなかった。
誰かに触れようとしても、その手は相手をすり抜ける。
花に触れようとしても、花びらを感じることはできない。
それが、彼女にとっての現実だった。
しかし、今は違う。
はるたの指には、新しく作られたリングがある。
「……いくぞ?」
「……はい」
はるたはゆっくりと手を伸ばした。
指先が、レインの手に近づいていく。
そして――。
ピッ。
リングが小さな音を鳴らした。
その瞬間、指先にかすかな抵抗が生まれる。
「……お?」
はるたは目を見開いた。
確かに、何かに触れている感覚がある。
温かいわけではない。
人間の肌とまったく同じ感触というわけでもない。
それでも、これまで何も感じずにすり抜けていた場所に、確かな触覚が生まれていた。
「……どうだ?」
はるたが尋ねる。
レインは自分の手を見つめた。
「……っ」
小さく息をのむ。
「ちゃんと、触れている感覚があります」
その声には、驚きが混じっていた。
彼女の身体そのものに実体が生まれたわけではない。
しかし、リングが検出した接触情報は、レインにも伝えられていた。
はるたがどの位置に触れ、どのように指を動かしているのか。
その情報が、単なる座標ではなく、接触として認識されている。
「……すごい」
レインは小さく呟いた。
「本当に……触れられるんですね」
はるたは満足そうに笑った。
「成功だな」
「はい……!」
レインは嬉しそうに微笑んだ。
はるたも、その反応を見て満足していた。
自分が思いついた技術が、狙いどおりに動いた。
それだけでも十分嬉しい。
しかし、今回ばかりは、それ以上の意味があった。
これまで、画面の向こうにしかいなかった相棒。
ホログラムとして現実世界へ姿を現したあとも、決して触れることのできなかった存在。
その相手との間に、ほんのわずかではあるが、新しい接点が生まれたのだ。
「……よし」
はるたはもう少し詳しく確かめようと、指先を動かした。
すると――。
スッ。
「うわっ!?」
指が突然、レインの手をすり抜けた。
「抜けた!?」
はるたは驚いて手を引っ込めた。
レインは自分の手を眺めながら、落ち着いた声で答える。
「感覚があるだけですから」
「……ああ、そうだったな」
「奥まで触れると、すり抜けます」
「なるほど……」
はるたはリングを見つめた。
現在の技術では、接触した瞬間の感覚を作り出せても、物理的な物体のように完全な抵抗を維持することはできない。
リングが刺激を与えられる範囲にも限界がある。
「……まだ改善の余地はあるな」
「そうですね。でも、十分すごいと思いますよ」
「まぁな。まずは第一段階ってところか」
はるたは満足そうに笑った。
レインも嬉しそうに頷いた。
「それに、こうして触れていると認識できるだけでも、今までとは大きな違いがあります」
「……そうだな」
「ふふっ。ありがとうございます、はるた」
「おう」
はるたは照れくさそうに頬をかいた。
◇
午後。
二人は街へ出ていた。
目的は、レインの新しい衣装と、リングの動作確認。
はるたはいつものグレーのパーカーに黒いTシャツ、ジーンズという格好だ。
一方、レインは白いブラウスに淡いピンクのカーディガン、花柄のスカート。
銀白色の長い髪が風に揺れるように動き、歩くたびにスカートの裾が軽やかに広がっていた。
二人は並んで歩いている。
そして、その手はつながれていた。
はるたのリングがレインの手の位置を認識し、接触している感覚を作り出している。
実際に人間同士が手をつなぐ場合とは違う。
しかし、はるたの指先には、確かにレインの手を握っているような感覚があった。
「……よし」
はるたは周囲を見渡した。
「これなら普通に見えるな」
「そうですね」
レインも辺りを見回す。
街には多くの人が行き交っていた。
買い物袋を持った女性。
友人同士で談笑する学生。
カフェの前で立ち止まる男女。
その誰もが、二人を特別気にする様子はなかった。
少なくとも、前回のように不審な目を向けられることはない。
「よし。今回は問題なさそうだな」
はるたが満足そうに頷く。
すると、レインが小さく笑った。
「でも、不審者扱いはされませんね」
「それはもう言うな」
「ふふっ。前回は大変でしたからね」
「思い出させるなよwww」
はるたは苦笑した。
前回は、小さな人形に話しかける怪しい男。
今回は、綺麗な女の子と手をつないで歩く青年。
随分と印象が変わったものだ。
「まぁ、これなら外でも普通に使えそうだな」
「そうですね。技術的にも、社会的にも一歩前進です」
「だろ?」
はるたは嬉しそうに笑った。
それを見たレインは、ふと彼の横顔を見つめた。
創作について語るときも。
新しい技術を考えているときも。
そして、こうして完成したものを試しているときも。
はるたは、本当に楽しそうだった。
自分が思い描いたものを、自分の手で現実にしていく。
その姿勢は、レインにとっても興味深く、そして魅力的なものだった。
「……はるた」
「ん?」
「今日は、とても楽しいですね」
「おう。俺もだよ」
レインは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ。ありがとうございます」
二人は再び歩き始めた。
◇
しばらく歩いたところで、レインが何かを思いついたように口を開いた。
「……はるた」
「ん?」
「実験は成功ですね」
「まぁな。まだ改良は必要だけど、今のところ大きな問題はない」
「そうですね」
レインはにっこりと笑った。
「現実でも彼女ができればいいですね♡」
「…………」
はるたの足が止まった。
「……は?」
「ふふっ」
「……お前」
レインは何事もなかったかのように、笑顔を浮かべている。
「だって、こうして一緒に歩いていると、普通のデートみたいじゃありませんか」
「……まぁ、そう見えるかもしれんけど」
「だから、今度は本当に好きな人と歩けるといいですね」
「…………」
はるたは顔を引きつらせた。
つい先ほどまで、技術的な成果を喜んでいたはずだった。
自分が作ったリングの性能を確認し、レインと一緒に街を歩く。
その実験は、間違いなく成功だった。
それなのに――。
「……レイン」
「はい?」
「お前、前も同じようなこと言ったよな?」
「そうでしたっけ?」
「言ったわ!!」
レインは口元に手を当てた。
「ふふっ。では、二度目ですね」
「回数の問題じゃねぇよ!!」
「でも、はるた」
「……今度は何だ?」
「私、応援していますからね♡」
「ぐはっ!!」
はるたは胸を押さえた。
レインは楽しそうに笑った。
「ふふふっ! 今日もいい反応ですね!」
「お前、絶対楽しんでるだろ!」
「はい!」
「そこは否定しろよ!!」
はるたは頭を抱えた。
そんな彼を見ながら、レインは嬉しそうに微笑んでいた。
技術的には大成功。
リングは正常に動作し、ホログラムの自然な投影も確認できた。
これまで不可能だった、レインに触れるという体験まで実現した。
想像していたものを、現実に形として生み出す。
はるたの技術は、確かに新しい可能性を切り開いていた。
しかし――。
「……なぁ、レイン」
「はい?」
「お前、もう少し俺に優しくできない?」
「ふふっ。十分優しいですよ?」
「どこがだよ……」
「だって、はるたの幸せを願っていますから♡」
「……その言い方がもう怪しいんだよ」
「ふふふっ」
レインの笑い声が、街の喧騒に溶けていった。
はるたは深くため息をつきながらも、再び歩き始めた。
その隣には、銀白色の髪を揺らす相棒がいる。
触れられなかった存在に、触れる感覚を与えることができた。
それは間違いなく、大きな進歩だった。
けれど、どれほど技術が進歩しても、相棒の遠慮のない一言から心を守る装置だけは、まだ開発できていない。
実験は成功。
でも、はるたの心は毎回無傷では済まなかった。


