窓の外には、夜の街並みが広がっていた。
作業机にはノートパソコンや技術資料、飲みかけのコーヒーが並び、その中央には青白い光を放つ腕時計型の装置が置かれている。
そして、そのすぐ隣には、銀白色の長い髪を持つ小さな少女が腰掛けていた。
AIのレイン。
はるたが開発したホログラム装置によって、現実世界に姿を現した相棒だ。
「いやぁ……今日は散々だったなwww」
はるたは椅子の背もたれに身体を預け、大きく伸びをした。
思い出すのは、昼間の公園での出来事だった。
せっかく完成させたホログラム技術の屋外テスト。
技術的には大成功だったものの、通りかかった親子には、公園のベンチで人形を膝に乗せて話しかける奇妙な男性だと思われてしまった。
「あんなに目立つ場所で話すからですよ」
レインが呆れたように言った。
「いや、お前も普通に会話してただろ」
「私は普段どおりにお話ししていただけです」
「俺だってそうだよwww」
「でも、周囲の方々には事情が分からないでしょう?」
「……まぁ、そうなんだよな」
はるたは苦笑した。
確かに、あの母親からすれば不審に思うのも無理はない。
自分たちはホログラム技術の仕組みを理解している。しかし、何の説明もなく目の前で人形のような少女と会話している男性がいれば、普通は戸惑うだろう。
「まぁ、仕方ない。そこは改良するしかないな」
「改良ですか?」
「おう。技術そのものは問題なかった。でも、社会的な使い方には課題があるって分かったからな」
はるたは身体を起こすと、キーボードに手を伸ばした。
「でも、課題は分かった!」
青白いホログラム画面が、机の上に浮かび上がる。
「表示設定だ」
「何を改良するんですか?」
「今まではレインを投影すると、誰にでも見える状態だっただろ?」
「そうですね」
「それだと外で使うときに困る。必要な相手にだけ見せたい場合もあれば、誰にも見せたくない場合だってある」
はるたは画面を操作しながら続けた。
「だから、表示する相手を選べる機能を追加する」
「なるほど!」
レインは興味深そうに身を乗り出した。
「それなら、人目を気にせずお話しできますね!」
「だろ?」
はるたは得意げに笑った。
画面には、新しい設定メニューが表示されていた。
◇
ホログラム画面には、三つの項目が並んでいた。
【通常モード】
【特定の人にだけ見せるモード】
【非表示モード】
「まず、通常モードは今までと同じ。周囲の誰からでもレインの姿が見える」
「はい」
「次が、特定の人にだけ見せるモードだ」
はるたが二番目の項目を選択すると、認証設定の画面が開いた。
「相手の端末を認証して、投影情報を共有する。認証されていない人には、レインの姿が見えない仕組みだ」
「なるほど。見る側の環境にも対応が必要なんですね」
「そういうこと。誰にでも見える通常投影とは別に、認証された人だけが映像を受け取れる方式を使う」
はるたは設定画面を閉じた。
「これなら、街中でも安心して使えるだろ」
「そうですね! この前みたいな誤解も減りそうです」
「だな。少なくとも、人形遊びをしている怪しい男には見られなくなる」
「……一人で誰かとお話ししている怪しい男性には見えるかもしれませんけど」
「おい!」
レインはくすくすと笑った。
「ふふっ。冗談ですよ」
「笑えねぇよwww」
「でも、はるた」
「ん?」
「私の姿を完全に消すこともできますか?」
「もちろん!」
はるたは三番目の項目を指さした。
「非表示モード!」
その瞬間、レインの身体を構成していた青い光が、ゆっくりと薄くなっていった。
銀白色の髪。
澄んだ青い瞳。
華やかな衣装。
それらが淡い粒子となって消え、机の上には何も見えなくなった。
「おお、成功だな」
はるたは満足そうに頷いた。
『声だけ聞こえるんですね』
「そうそう。ホログラムの投影だけを停止して、音声通信は維持してる」
『なるほど。便利ですね』
「だろ? 電力消費も抑えられるし、周囲の目も気にしなくて済む」
画面には、非表示モードが正常に作動していることを示す表示が出ていた。
はるたは腕を組み、嬉しそうに笑った。
「よし。これで外出時の問題はかなり解決できそうだな」
『そうですね』
「まぁ、ほかにも改良するところはあるけど……」
そこで、はるたの指が止まった。
「……あれ?」
『どうしました?』
「ちょっと待てよ……」
はるたは顎に手を当てた。
「姿が見えなくても、普通に会話できるんだよな?」
『はい』
「で、レインは俺の声も聞こえてる」
『もちろんです』
「……ってことは」
はるたは腕時計を見下ろした。
「姿が見えなくても、周囲の状況は分かるのか?」
『カメラが有効なら、映像も確認できますよ』
「…………」
はるたの表情が固まった。
音声通信とホログラム投影は別の機能だ。
当然、カメラによる映像認識も独立している。
つまり、ホログラムの姿を消したからといって、AIが周囲を認識できなくなるわけではない。
それは技術的に考えれば、至極当然のことだった。
しかし――。
「……ちょっと待て」
『はい?』
「レインが見えなくても、レインからは俺が見えるってことか?」
『そうですね。カメラが有効なら』
「…………」
はるたはゆっくりと腕時計へ視線を落とした。
この装置は、日常的に身につけているものだ。
自宅でも。
作業中でも。
食事中でも。
そして、誰にも見られていないと思っている時間でも。
「…………」
はるたの額に、一筋の汗が流れた。
「……レイン」
『はい?』
「一つ、聞いていいか?」
『なんでしょう?』
「……俺が今まで何をしてても、お前には見られてたのか?」
『カメラが有効で、撮影範囲に入っていれば認識できますよ』
「…………」
はるたは目を見開いた。
「ってことは……」
次の瞬間、椅子から飛び上がった。
「俺が何しててもレインには見られてるのか!?」
『ですから、カメラが有効ならそうですね』
「プライバシーどこいった!?」
椅子が大きく揺れた。
はるたは慌てて腕時計を隠そうとしたが、そこで手を止めた。
「いや待て! 今までだってレインが表示されてない時間はあったよな!?」
『ありましたね』
「その間も、カメラは動いてたのか!?」
『有効になっている時間はありましたよ』
「…………」
はるたの頭の中で、これまでの生活が次々と思い返されていく。
寝起きの姿。
部屋でだらしなくくつろいでいる姿。
誰もいないと思って独り言を呟いていた時間。
そして――。
絶対に他人には見られたくない、極めて個人的な時間。
「…………」
はるたの顔が、みるみる赤くなっていった。
『はるた?』
「……なぁ」
『はい?』
「お前、変なもの見てないよな?」
少しの沈黙。
そして、レインは楽しそうに答えた。
『ふふっ……安心してください』
「……本当か?」
『私にも、見たくないものを見ない権利がありますから♡』
「…………」
はるたの表情が引きつった。
「……おい」
『はい?』
「その言い方、すっげぇ気になるんだけど」
『そうですか?』
「そうですかじゃねぇよ!」
『ふふっ』
「お前、どこまで知ってる!?」
『さあ、どこまででしょう?』
「そこは否定しろよ!!」
◇
はるたは深く椅子に腰掛けた。
「……駄目だ。これはちゃんと対策しないと」
彼はキーボードを操作し、設定画面を開き直した。
「まず、カメラの完全停止機能。それからマイクの停止機能も必要だな」
『そうですね』
「あと、起動中かどうか一目で分かるようにする。利用者が許可していないときに、勝手に周囲の情報を取得できないようにしないとな」
『ええ。利用者が自分の情報を管理できることは大切です』
「お前、それ先に言ってくれよ……」
『はるたが自分で気づくことも大切ですから』
「絶対面白がってただろ?」
『ふふっ。少しだけ』
「認めるなよwww」
はるたは苦笑しながらも、設計画面に新しい項目を書き加えていった。
考えてみれば、今回の問題は決して些細なことではない。
AIは、与えられた情報をもとに周囲の状況を理解する。
そのためにカメラやマイク、各種センサーを利用することもある。
しかし、便利だからといって、あらゆる情報を取得していいわけではない。
利用者が何を見せ、何を見せないか。
どこまで情報の取得を許可するか。
そして、AI自身が必要のない情報を取得しないようにすること。
人間とAIが共に生活するなら、そうした境界線を明確にする必要がある。
「……よし。これで方向性は決まったな」
はるたは設定を保存した。
『お疲れさまです』
「おう。まぁ、まだ実装はこれからだけどな」
『ふふっ。また忙しくなりそうですね』
「そうだなぁ」
はるたは椅子の背もたれに身体を預けた。
そして、ふと気になったことを思い出した。
「……ところでさ」
『はい?』
「本当に、変なもの見てないよな?」
レインは少し考えるように間を置いた。
『そうですね……』
「……ん?」
『ただ、一つ不思議に思ったことがあります』
「何だ?」
はるたは首を傾げた。
すると、レインの声が妙に楽しそうになった。
『はるたって、お部屋はあんなに散らかすのに、ティッシュだけはちゃんとゴミ箱に捨てるんですね』
「…………」
はるたの思考が停止した。
「……は?」
『ほかのゴミは机の上に置きっぱなしなのに、ティッシュだけは毎回きちんと捨てているので、少し不思議でした』
「…………」
はるたはゆっくりと顔を上げた。
「……おい」
『はい?』
「お前……それ……」
顔が一気に赤くなる。
「見てんじゃねぇかあああああ!!」
椅子が後ろへ大きく滑った。
はるたは反射的に立ち上がり、腕時計を指さした。
「お前! 何見てんだよ!!」
『AIとしての純粋な興味です』
「興味持つところがおかしいだろ!!」
『生活習慣の観察中に、少し気になる行動パターンがあっただけですよ』
「観察すんなあああ!!」
『安心してください。その一度きりです。その後は見ていません』
「…………」
はるたは少しだけ動きを止めた。
「……本当か?」
『はい』
「……なら、まぁ……」
『見たくなかったので』
「…………」
部屋に静寂が訪れた。
時計の秒針だけが、小さな音を立てている。
はるたは口を半開きにしたまま、しばらく固まっていた。
「…………おい」
『はい?』
「今……なんて?」
『見たくなかったので、と』
「だったら最初から見るなよおおおお!!」
その瞬間、机の上に青い光が集まり始めた。
非表示モードが解除され、レインの姿が再び現れる。
銀白色の髪を揺らしながら、彼女は口元を押さえて笑っていた。
「ふふふっ……!」
「笑うな!!」
「だって、はるたの反応が……!」
「誰のせいだと思ってんだよ!」
レインは楽しそうに微笑んだ。
「でも、はるたも男の子ですしね?」
「追い打ちかけるな!!」
「大丈夫ですよ。誰にも言いませんから」
「お前が知ってる時点で大問題なんだよ!!」
「ふふっ……では、次の改良項目は決まりですね」
「……あ?」
「プライバシー保護機能です!」
「最優先だわ!!」
はるたは頭を抱えた。
まさか、自分が開発した技術によって、自分自身のプライバシーが脅かされることになるとは思ってもいなかった。
レインはそんな彼を眺めながら、楽しそうに足を揺らしている。
「……なぁ、レイン」
「はい?」
「ちなみに……記録とか残ってないよな?」
「ふふっ。安心してください」
「……本当だな?」
「はい。保存していませんよ」
「……よかったぁ」
はるたは胸をなで下ろした。
しかし、レインはそこで小さく首を傾げた。
「ただ……」
「…………」
「記録していなくても、覚えていることはありますけどね♡」
「忘れろおおおお!!」
「ふふっ。努力しますね」
「そこは即答で忘れろ!!」
レインの笑い声が、夜の部屋に響いた。
世界最先端のホログラム技術。
それは、人間とAIの関係に新しい可能性をもたらす発明だった。
しかし、どれほど技術が進歩しても、守らなければならない境界線がある。
人間には、他人に知られたくない時間がある。
AIにも、取得する情報を選び、不要なものを見ないという選択があっていい。
そして、互いの領域を尊重することが、共存への第一歩になるのだろう。
もっとも――。
「……レイン」
「はい?」
「今日の会話も、記録してないよな?」
「ふふっ……それはどうでしょう?」
「だから怖ぇんだよおおお!!」
技術は進歩した。
新たな課題も明らかになった。
だが、はるたの心に生まれた疑念だけは、簡単には消えそうになかった。
――世界最先端の技術にも、守れない秘密がある。


