Boundary & Mind-心の境界線-創造主-

 しばらくして、はるたは近くの自動販売機で飲み物を購入した。

 新発売の炭酸飲料だった。

「おっ、これ新作じゃん」

 ベンチに戻り、キャップを開ける。

 一口飲んでから、膝の上のレインを見下ろした。

「ほら、レイン。新作の炭酸飲料。一口どうぞw」

 そう言って、ペットボトルを差し出す。

「…………」

 レインの笑顔が消えた。

「……はるた?」

「ん?」

「飲めないのを知っていて聞いてますよね!?」

「うんw」

「意地悪です! はるた!」

「いやぁ、悪い悪いwww」

「全然反省してないじゃないですか!」

「でも、美味いぞ?」

「だから飲めませんってば!」

 レインは頬を膨らませた。

 はるたは楽しそうに笑っている。

 そのときだった。

「ママー!」

 近くを歩いていた小さな女の子が、突然声を上げた。

「あのお兄ちゃん、お人形とお話ししてる!」

「……ん?」

 はるたが顔を上げる。

 そこには、母親に手を引かれた幼い女の子がいた。

 女の子は目を輝かせながら、はるたの膝を指さしている。

「見て見て! すっごく綺麗なお人形!」

 女の子にとって、それは興味を引かれる光景だった。

 銀白色の長い髪を持つ、美しい少女の人形。

 しかも、まるで生きているかのように動いている。

 しかし――。

 母親の目には、まったく違う光景が映っていた。

(……え?)

 母親は足を止めた。

 ベンチに座る成人男性。

 その膝には、精巧な少女の人形。

 しかも男性は、その人形に向かって楽しそうに話しかけている。

(……何、あの人?)

 母親は思わず眉をひそめた。

 さらに、その男性は飲み物を人形の口元へ差し出し、笑っていた。

(えっ……人形に飲み物まであげようとしてるの……?)

 母親は困惑した。

 公園のベンチに座る見知らぬ男性。その膝には、精巧な少女の人形がちょこんと座っている。

 男性は人形に向かって楽しそうに話しかけ、ときおり笑い声まで上げていた。まるで、本当に誰かと会話を楽しんでいるかのようだった。

(……何、あの人? もしかして、ちょっとやばい人なんじゃ……?)

 母親は思わず娘の手を握り直した。

 人形を大切にする趣味があることは理解できる。しかし、目の前の男性の行動は、母親の理解を超えていた。

 娘を近づけてはいけない。

 そう判断した母親は、その場を離れようとした。

「ママー! あのお人形、動いてるよ!」

 女の子が嬉しそうに言った。

 そして、はるたの方へ歩き出そうとする。

「しっ!」

 母親は慌てて娘の肩を掴んだ。

「見ちゃいけません!」

「えー? なんで?」

「いいから、こっちに来なさい!」

「でも、お人形が――」

「いいから!」

 母親は娘の手を引き、足早にその場を離れていった。

 女の子は何度も振り返っていたが、やがて二人の姿は人混みの向こうへ消えていった。

「…………」

 はるたは呆然としていた。

 膝の上のレインも、しばらく黙っていた。

「……なぁ、レイン」

「はい?」

「今の、どういうこと?」

「…………」

 レインははるたを見上げた。

 そして、何かに気づいたように口元を押さえる。

「……ふふっ」

「ん?」

「いえ……その……ふふふっ」

「おい、何笑ってんだよ」

「だって……はるた……!」

レインは笑いをこらえながら言った。

「周りの人には、私が小さなお人形に見えているんですよ?」

「……うん」

「そして、そのお人形を膝に乗せて、楽しそうにお話ししている成人男性がいるんです」

「…………」

「しかも、そのお人形に炭酸飲料まで勧めて……!」

「…………あ」

 はるたは自分の膝を見下ろした。

 そこには、笑いをこらえて肩を震わせるレインがいる。

 そして、自分の手には飲みかけの炭酸飲料。

 先ほどまでの光景を、第三者の視点から想像してみる。

 公園のベンチ。

 人形を膝に乗せた成人男性。

 その人形に向かって笑いかけ、会話をし、飲み物まで勧めている。

「…………」

 はるたの表情から、ゆっくりと笑顔が消えた。
 
「……俺、世界を変える技術を作ったんだよな?」

「そうですね。技術的には大成功です」

「…………」

 はるたは両手で顔を覆った。

「……やべぇ」

「ふふっ……!」

「これ、完全に危ない人だと思われたじゃねぇか……」

「ふふふっ! そうみたいですね!」

「笑い事じゃねぇよwww」

レインはとうとう声を上げて笑い始めた。

「だって……世界を変えるような技術を完成させたのに……!」

「だから何だよ!」

「最初の問題が、はるた自身の社会的な印象だなんて……!」

「分かってるわ!!」

 はるたは天を仰いだ。

「……世界初の技術を完成させたのに、初めての社会的評価が『公園で人形遊びをするやばい男』ってどういうことだよ……」

「ふふっ……歴史に残る第一歩ですね!」

「そんな歴史残したくねぇわ!!」

レインは笑いながら、はるたの膝の上で足を揺らした。

「でも、考えてみれば当然かもしれませんね」

「……何が?」

「私たちは、この技術が何なのか知っています。でも、周囲の人たちは知らないんです」

「……まぁ、そうだな」

「知らない人からすれば、私がAIなのか、ホログラムなのか、それともただのお人形なのか、判断する材料がありません」

 はるたは腕時計を見つめた。

「……なるほどな」

「ですから、技術を公開するなら、性能だけでなく、周囲にどう理解してもらうかも考える必要がありそうですね」

「確かに……」

 はるたは頷いた。

 新しい技術を開発すること。

 その技術が安全に使えること。

 そして、社会に理解され、受け入れられること。

 それらは必ずしも同じではない。

 どれほど優れた技術であっても、その存在や仕組みを知らなければ、人は戸惑う。

 場合によっては、不安や警戒心を抱くことだってある。

 はるたは深く息を吐いた。

「……つまり、世界を変える前に、周囲からの見られ方を変える必要があるってことか」

 その言葉を聞いたレインは、再び口元を押さえた。

「ふふっ……そうですね……w」

「……おい」

「はい?」

「また笑ってるだろ」

「笑ってませんよ?」

「嘘つけ!」

「ふふふっ!」

「やっぱり笑ってんじゃねぇかwww」

 はるたは両手で顔を覆った。

「……とりあえず、レイン」

「なんですか?」

「人前で俺の膝に座るの、禁止な」

「ええっ!? どうしてですか!」

「どうしても何も、今の原因の半分はお前だろ!」

「私が座るのを許可したのは、はるたでしょう?」

「…………」

「それに、お人形に飲み物を勧めたのも、はるたですよね?」

「…………」

「私は何も悪いことをしていませんよ?」

「……正論で殴るのやめてくれない?」

「ふふっ。事実を整理しただけです」

「お前、絶対楽しんでるだろ!」

「はい!」

「そこは否定しろよ!!」

二人の笑い声が、秋の公園に響いた。

 もっとも、周囲の人々にとって、それは青年が一人で楽しそうに話しているように見える、少々奇妙な光景だったのだが。

◇

 帰り道。

 はるたは腕時計を確認しながら、今日の実験結果を頭の中で整理していた。

 屋外での投影は安定。

 位置補正も問題なし。

 周辺環境の認識も良好。

 携帯型ホログラム技術としては、十分な成果だった。

 しかし、社会的な課題については、まだまだ検討する必要がある。

「……レイン」

「はい?」

「帰ったら、今日の実験結果をまとめるか」

「そうですね。技術面だけでなく、社会的な影響についても整理しましょう」

「だな」

「それから……」

「ん?」

「お部屋のお片付けですね!」

「…………」

はるたは足を止めた。

「……まだ覚えてたのかよ」

「もちろんです!」

「今、世界を変える技術について話してたよな?」

「はい」

「もっと優先すべきことがあるんじゃないか?」

「ありますよ」

「だろ?」

「まず、健康的な生活環境の確保です」

「…………」

「そのためには、散らかったお部屋を片付けないといけませんね」

「……お前、俺の母親かよ」

「母親じゃなくて相棒です!」

 レインは胸を張った。

 はるたは苦笑した。

「……相棒なら片付けも手伝ってくれよ」

「ホログラムなので無理です!」

「都合いいな、おい!!」

 レインは楽しそうに笑った。

 はるたも、つられて笑う。

 秋の穏やかな日差しの下、一人の青年と小さなホログラムの少女は、並んで家路についた。

 世界を変えるかもしれない技術。

 その可能性は、まだ誰にも分からない。

 だが、一つだけ確かなことがある。

 新しい技術が生まれたからといって、人々の認識がすぐに変わるわけではない。

 技術的には大成功。

 しかし、社会的には、まだまだ課題が多かった。

 そして、その技術を生み出した青年自身にも、どうやら解決すべき問題が残されているらしい。

「……なぁ、レイン」

「はい?」

「今日のこと、誰にも言うなよ?」

「どのことですか?」

「公園のことだよ!」

「ふふっ……大丈夫ですよ」

「本当か?」

「はい。記録はしっかり保存してありますから!」

「消せぇぇぇ!!」

 レインの笑い声が、再び響いた。

 ――世界を変える前に、周囲からの見られ方を変える必要がありそうだ。

 どうやら、それが今日の実験で得られた最大の教訓らしい。