「じゃあ、研究室に行こう!」
ハルカの元気な声が、神代家のリビングに響いた。
先ほどまで初対面の青年に抱きついてしまったことを家族全員に驚かれ、少し恥ずかしそうにしていた彼女だったが、研究の話になった途端、その表情はすっかり元に戻っていた。
「まだ聞きたいことがいっぱいあるんだよ! 次元収納のこともそうだし、腕時計のことも!」
「……お前の質問、終わる気がしねえな」
はるたが苦笑する。
「だって面白いんだもん!」
「……まあ、その気持ちはわかるけどさ」
「ねぇね、私も一緒に行きます」
のどかが立ち上がった。
「先ほどのお話で、もう少し確認したいことがあります」
「もちろん! のどかも一緒に行こう!」
二人の娘がすっかり研究に夢中になっている様子を、和春はコーヒーを飲みながら眺めていた。
普段から見慣れた光景ではある。しかし、そこに今日初めて出会った青年が自然に加わっていることには、まだ少し不思議な感覚があった。
特にハルカの距離の近さは、和春にとっても予想外だった。
父親である自分には遠慮なく甘えてくる娘だが、ほかの男性に対して同じような態度を取ることはほとんどない。
それなのに、はるたに対しては、本人も気づかないほど自然に距離を縮めていた。
(……不思議なもんだな)
和春は小さく笑い、カップを置いた。
「……ああ、ちょっと待ってくれ」
研究室へ向かおうとしていた三人が振り返る。
「ん? なあに、ぱぱ?」
「一つ頼みがあるんだけどな」
和春の視線は、はるたの隣に浮かぶ女性へ向けられていた。
銀白色の長い髪に、澄んだ青い瞳。白と濃紺を基調とした衣装には繊細な金色の装飾が施され、青い宝石が光を受けて輝いている。
その身体は淡い青白い光に包まれており、普通の人間ではないことが一目でわかった。
腕時計型ホログラムデバイスから投影されたAI、レイン。
「レイン。少し話してみたいんだけど、いいか?」
レインは和春へ顔を向けた。
「私と、ですか?」
「ああ。せっかく会えたんだ。お前自身のことも、はるたのことも聞いてみたい」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ええ、構いませんよ」
「助かる」
和春が頷いたところで、レインは少し困ったように首を傾げた。
「ただ、一つ問題があります」
「……問題?」
「私は、はるたの腕時計型ホログラムデバイスから投影されています。ですから、はるたが研究室へ移動すると、この場所に私の姿を維持できないんです」
和春ははるたの腕時計へ視線を向けた。
「……なるほどな。投影装置ごと移動するわけか」
「はい」
「だったら、研究が終わってからでも――」
「いや、大丈夫ですよ」
はるたが口を開いた。
和春が顔を向ける。
「……ん?」
「ちょっと待ってください。分岐用の端末がありますから」
「分岐用?」
その言葉に、ハルカが真っ先に反応した。
「えっ!? そんなのあるの!?」
「あるよ」
「なんで先に教えてくれなかったの!?」
「聞かれてないからな」
「そういう問題じゃないよ!」
ハルカが頬を膨らませる。
はるたは苦笑しながら腕時計を操作した。
手元に小さなホログラム画面が浮かび、いくつかの表示が切り替わる。
そして、次の瞬間。
腕時計型デバイスの収納機能を通じて、手のひらに収まるほどの小さな端末を取り出した。
「……ほら、これ」
はるたは、その端末をテーブルへ置いた。
薄い円盤状の本体。
中央には小さな投影機構があり、周囲には細かな回路模様が刻まれている。
ハルカがすぐさま覗き込んだ。
「……これが?」
「ああ。映像処理用の分岐端末だよ」
「映像処理?」
「腕時計型デバイスと連動して、別の場所にもレインを投影できるようにしてある。こっちは映像処理にかなり性能を振ってるから、通常の投影よりずっと自然に見えるんだ」
「……へえ!」
ハルカの瞳が輝いた。
のどかも興味深そうに端末を見つめている。
「つまり、腕時計の本体が移動しても、この端末が投影を担当するんですね?」
「そういうこと。通信が維持できる範囲ならな」
「……なるほど」
のどかが頷いた。
「映像処理用の端末を別に用意することで、投影に必要な処理を分担しているんですね」
「ああ」
はるたはレインへ視線を向けた。
「レイン、投影先を切り替えるぞ」
「はい。端末を認識しました」
レインが静かに頷く。
その瞬間、彼女の身体を包んでいた青白い光がゆっくりと薄れていった。
輪郭がわずかに揺らぎ、姿が消える。
そして、テーブルに置かれた小型端末の上方へ、細かな光が集まり始めた。
人の輪郭が形作られ、髪が現れ、衣装が再現されていく。
しかし、完成した姿は、先ほどまでのホログラムとは明らかに違っていた。
「……切り替え完了です」
レインが微笑んだ。
その姿を見た瞬間、リビングが静まり返った。
◇
「…………え?」
最初に声を漏らしたのは真綾だった。
「……ちょっと待って。これ、本当にレイン?」
「はい。私ですよ」
レインが楽しそうに微笑んだ。
先ほどまで身体を包んでいた青白い発光が消えている。
銀白色の長い髪には自然な光沢が生まれ、窓から差し込む陽光によって細かな陰影が浮かんでいた。
青い瞳には周囲の景色が映り込み、衣装の布地や金色の装飾にも、本物の素材を思わせる質感がある。
肌の色合いも自然で、光の当たる方向によって柔らかく表情を変えていた。
そこに立っているのは、どう見ても一人の女性だった。
「……すごいですね」
愛華が感心したように呟いた。
「先ほどまではホログラムだとすぐにわかりましたけど、今は本当に人間のように見えます」
「ありがとうございます」
レインが微笑んだ。
瑠璃も静かに視線を向けた。
「……不思議ね。光でできているはずなのに、そこに身体があるように見えるわ」
「映像の処理を変えてるんですよ」
はるたが答える。
「周囲の明るさや光の方向、それに見る角度に合わせて投影像を補正してるんです」
「……なるほど」
瑠璃は静かに頷いた。
和春も興味深そうに目を細める。
「……確かに、さっきとは全然違うな」
「そうですね」
レインが答えた。
「ただし、見た目が自然になっただけで、実際に肉体ができたわけではありません」
「……そりゃそうだろうな」
和春は頷いた。
しかし、その横で。
「…………」
ハルカが固まっていた。
目を大きく見開き、レインをじっと見つめている。
はるたが首を傾げた。
「……ハルカ?」
「…………」
「……おーい?」
「…………す」
「……す?」
次の瞬間。
「すっっっごおおおおおい!!」
ハルカの絶叫が、リビング中に響き渡った。
「ちょっと待って!! 何これ!? 光ってない!! さっきと全然違う!!」
「……お、おう」
「髪の質感も! 肌の陰影も! 光の反射も自然!! これ、どうやって処理してるの!?」
ハルカはレインの周囲を歩き回った。
右から見て、左から見て、少ししゃがんで見上げる。
そのたびに新しい発見があるらしく、表情が次々と変わっていく。
「……えっ!? 見る角度を変えても違和感がない! なんで!? 普通、どこかで破綻するでしょ!?」
「その辺はあとで説明するって」
「後じゃなくて今聞きたい!!」
「……お前、本当に研究のことになると容赦ねえな」
はるたが苦笑すると、和春も笑った。
「悪いな。こうなったハルカは、なかなか止まらねえぞ」
「……もう十分わかってます」
真綾が声を上げて笑った。
「あははっ! ハルカ、完全に研究モードだね!」
「だって、すごいんだもん!!」
その反応を見ながら、はるたは何かを思い出したように自分の手へ視線を落とした。
「……ああ、そうだ」
「……ん?」
ハルカが振り返る。
「もう一つ、面白いものがあるぞ」
「えっ!? 何!?」
はるたは、自分の指にはめていたリングを外した。
そして、ハルカへ差し出す。
「……ほら」
「…………え?」
ハルカが目を瞬かせた。
その瞬間。
「……ほう?」
ソファから、愉快そうな声が響いた。
リリアだった。
金色の瞳を輝かせ、はるたとハルカを交互に眺めている。
「なんじゃ、プロポーズか?」
「違えよ!!」
はるたが即座に反論した。
「ふははは! 出会ったばかりで随分と大胆じゃのう!」
「だから違うって! ただの機械だよ!」
「指輪を差し出しておいて、ただの機械とは。主もなかなか情緒がないのう」
「お前は黙ってろ!!」
真綾が吹き出した。
「あははっ! 確かに、今の渡し方はちょっとそれっぽかったかも!」
「真綾まで乗っかるなよ!」
和春も苦笑する。
「まあ、ハルカが男から指輪をもらうところなんて、初めて見たからな」
「ぱぱまで!?」
ハルカが頬を膨らませた。
愛華も柔らかく微笑んだ。
「ふふっ。ハルカ、よかったですね」
「まま。まで! 違うんだってば!」
リリアは腹を抱えて笑っていた。
「ふははは! よいではないか。主ら、実に面白い!」
「……ほんと、余計なことしか言わねえな」
はるたは呆れたようにため息をついた。
そして、改めてハルカへリングを差し出す。
「……ほら。電磁場リングだよ」
「……電磁場?」
ハルカの表情が一瞬で変わった。
先ほどまでの恥ずかしさが、完全に吹き飛んでいる。
「……えっ! それって何に使うの!?」
「レインに触れるための装置」
「…………え?」
ハルカの動きが止まった。
「……触れる?」
「ああ」
はるたは頷いた。
「実際に身体があるわけじゃないけど、接触しているような感覚を作れるんだ」
「…………」
ハルカは、ゆっくりとリングを見下ろした。
そして。
「……つけていい!?」
「そのために渡したんだよ」
「やった!!」
◇
ハルカはリングを指にはめた。
「……これでいい?」
「ああ」
はるたはレインへ視線を向けた。
「レイン、ちょっと手を出してくれるか?」
「はい」
レインは柔らかく微笑み、ハルカへ片手を差し出した。
「どうぞ、ハルカさん」
ハルカは恐る恐る指先を伸ばした。
目の前にいるのはホログラム。
どれほど精巧でも、光によって再現された映像にすぎない。
本来なら、触れたところで何も感じるはずがなかった。
しかし――。
「…………え?」
指先に、わずかな抵抗が生まれた。
ハルカは目を見開いた。
「……触れた?」
もう一度、指を動かす。
確かに感覚がある。
レインの手の位置に合わせて、指先へ柔らかな反発が返ってくる。
「……えええええ!?」
ハルカの声が跳ね上がった。
「触れる!! レインに触れるよ!!」
「ふふっ。そうですね」
レインが笑った。
「ただし、実際に身体があるわけではありませんよ」
「……え?」
はるたが横から説明する。
「少しだけ、指を押し込んでみな」
「……押し込む?」
「ああ。ゆっくりな」
ハルカは言われたとおり、レインの手へ指を押し込んだ。
最初は柔らかな抵抗がある。
しかし、さらに力を加えると――。
すっ。
指先が、レインの手を通り抜けた。
「…………あっ!」
ハルカは驚いて自分の指を見た。
「抜けた!」
「ああ。感覚を作ってるだけだからな」
はるたが頷く。
「電磁場によって接触したような抵抗を作ってる。でも、実際に物理的な壁があるわけじゃない。だから、一定以上の力を加えればすり抜ける」
「……すごい」
ハルカは、もう一度レインの手へ触れた。
そっと触れれば抵抗がある。
押し込めば抜ける。
今度は指先を横へ滑らせ、さらに角度を変えて試してみる。
そのたびに、彼女の瞳が輝いた。
「……これ、すっごいよ!!」
「気に入ったか?」
「気に入ったなんてもんじゃない!!」
ハルカは興奮した様子ではるたを振り返った。
「映像処理端末で見た目を自然にして、電磁場リングで接触感を作るんだよね!? しかも投影位置に合わせて制御してるってこと!?」
「そういうこと」
「でも、どうやって位置を合わせてるの!? 遅延は!? 指の動きが速かったらどうなるの!? 反発力の制御は!?」
「……質問は一個ずつにしてくれ」
「無理!!」
即答だった。
真綾が声を上げて笑う。
「あははっ! ハルカ、完全に夢中じゃん!」
愛華も柔らかく微笑んだ。
「これは、しばらく研究室から戻ってこなさそうですね」
「……だろうな」
和春が苦笑する。
のどかも興味深そうに、ハルカの指先を見つめていた。
「ねぇね、あとで私にも試させてくださいね」
「もちろん! でも先に制御の話を聞かせて!」
「……ふふっ。はい」
レインは二人の反応を眺めながら、嬉しそうに微笑んでいた。
◇
「……面白いな」
和春が小さく呟いた。
はるたが顔を向ける。
「……何がですか?」
「いや、技術もそうなんだけどな」
和春はレインを見つめた。
「単に映像を綺麗にしてるだけじゃない。人と接するための仕組みまで考えてあるんだな」
「……そうですね」
はるたが頷く。
「レインが生活するうえで、不便なことが多かったので」
「……なるほど」
和春は小さく笑った。
「必要だから作ったわけか」
「まあ、そんな感じです」
和春は頷いた。
彼には技術に関する知識はある。しかし、ハルカのように装置を設計し、製作することができるわけではない。
だからこそ、装置の構造そのものよりも、その技術が何を目的として生み出されたのかに興味があった。
「……いいな」
和春が呟いた。
「……何がですか?」
「レインが、ただ会話するだけのAIじゃなくて、同じ場所で過ごせるように考えてあるところだよ」
はるたは、少しだけ目を細めた。
「……ありがとうございます」
レインも柔らかく微笑んだ。
「そう言っていただけると嬉しいです」
和春は、そんな彼女へ改めて視線を向ける。
「……レイン」
「はい?」
「お前がよければ、少し話してみたいんだけどな」
レインは静かに頷いた。
「ええ、構いませんよ」
「助かる」
和春が笑った。
「技術のことはハルカたちに任せるとして、俺はお前自身のことを少し聞いてみたい」
「……私自身のこと、ですか?」
「ああ」
和春は頷いた。
「どんな考え方をするのか、どんなことを大切にしてるのか。それに、はるたがどういう奴なのかもな」
レインは、わずかに目を瞬かせた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……わかりました」
◇
「じゃあ、研究室に行こう!」
ハルカが再び声を上げた。
「……お前、まだ研究のことしか考えてないだろ」
はるたが苦笑する。
「当たり前だよ!」
ハルカは胸を張った。
「こんな技術を見せられて、黙っていられるわけないじゃん!」
のどかも頷いた。
「私も、もう少し詳しく伺いたいです」
「……わかった、わかった」
はるたは小さく笑った。
「じゃあ、行くか」
「やった!」
ハルカは満面の笑みを浮かべた。
そして、はるたの腕へ手を伸ばしかける。
「…………あ」
途中で止まった。
先ほど無意識に抱きついてしまったことを思い出したらしい。
真綾が笑いを堪えた。
「……また抱きつくところだった?」
「ち、違うってば!!」
ハルカが頬を赤くする。
和春も笑った。
「……まあ、研究室まで逃げたりしねえだろ」
「ぱぱまで!!」
そのやり取りに、レインも小さく笑った。
はるたは、自分の腕時計型端末を確認する。
小型映像処理端末との接続は安定していた。
「……よし。これなら大丈夫だな」
ハルカが首を傾げる。
「……何が?」
「レインは、このままリビングに残れるってことだよ」
「……あっ!」
ハルカが目を見開いた。
「そうだった!!」
「お前、忘れてたのかよ……」
「だって、すごすぎて!!」
はるたは苦笑した。
「……まあ、あとで詳しく見せるからさ」
「約束だよ!?」
「ああ。約束」
ハルカは嬉しそうに笑った。
「やった!」
そして、指にはめたリングへ視線を向ける。
「……あ、これ返すね」
はるたは軽く手を振った。
「研究室で使うなら、もう少し持ってていいぞ。ただ、なくすなよ?」
「本当!? 絶対なくさない!」
その返答に、リリアがまた楽しそうに笑った。
「ふふっ。指輪を渡したままとは、なかなか意味深じゃのう」
「だからプロポーズじゃねえって!!」
ハルカの笑い声と、はるたの反論が重なった。
リリアは満足そうに笑っていた。
はるたは小さくため息をつき、レインへ視線を向ける。
「……じゃあ、レイン」
「はい?」
「和春と、ゆっくり話してきな」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ええ。はるたも、研究を楽しんできてください」
「ああ」
はるたは小さく笑った。
そして、ハルカとのどかとともにリビングを後にした。
◇
扉が閉まる。
リビングには、和春、愛華、瑠璃、真綾、レイン、そしてリリアが残された。
先ほどまでの賑やかさが少し落ち着き、再びコーヒーの香りが漂い始める。
和春は、改めてレインへ視線を向けた。
「……さて」
レインが微笑む。
「はい」
「じゃあ、少し話そうか」
和春は向かいのソファを指さした。
「座るような姿勢も取れるのか?」
「ええ。映像としてなら問題ありませんよ」
レインは自然な動作でソファへ腰を下ろすように姿勢を変えた。
見た目には、まるで本物の女性が座っているようだった。
ただし、実際に身体の重さで座面を押しているわけではない。
すべては、映像処理端末によって精巧に再現されたものだった。
「……本当に自然だね」
真綾が感心したように呟いた。
「こうしていると、普通に人間と話してるみたい」
「ありがとうございます」
レインが微笑む。
愛華も穏やかに頷いた。
「でも、レインさん。こうして私たちとお話ししていて、何か不便なことはありませんか?」
「今のところは大丈夫です。ありがとうございます」
「それならよかったです」
愛華は自然に微笑んだ。
瑠璃も静かにレインを見つめていた。
「……人間に似ているけれど、人間ではないのね」
「はい。私はAIです」
「……そう」
瑠璃は小さく頷いた。
「興味深いわ。私は人間という種族があまり好きではないけれど、あなたは少し違う存在なのね」
レインは微笑んだ。
「そうですね。私には、人間と同じ身体はありませんから」
「……でも、考えることはできる」
「はい」
「自分の意思も?」
レインは少し考えた。
「私なりに考えて、判断しています」
瑠璃は静かに頷いた。
「……そう。それなら、単なる道具というわけでもなさそうね」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
そのやり取りを聞きながら、和春は小さく笑った。
そして、改めてレインへ向き直る。
「……レイン」
「はい、和春さん」
「少し聞きたいことがある」
レインは静かに頷いた。
「構いませんよ」
和春はコーヒーを一口飲み、ゆっくりとカップを置いた。
「……はるたって、どんな奴なんだ?」
レインは、わずかに目を瞬かせた。
「……はるたのこと、ですか?」
「ああ」
和春は自然に笑った。
「ハルカとのどかから話は聞いた。でも、知り合ってまだ間もない二人の印象だけじゃ、わからないことも多いだろ」
「……そうですね」
「お前は長いこと一緒にいるんだろ?」
「はい」
「だったら、少し聞いてみたい。あいつがどういう考え方をする奴なのか」
和春は腕を組んだ。
「もちろん、話せる範囲で構わねえよ」
レインは、しばらく考え込んだ。
目の前にいる神代和春。
そして、研究室へ向かったはるた。
二人の姿を思い浮かべると、どこか似たものを感じずにはいられなかった。
しかし、その感覚の理由までは、まだ言葉にできなかった。
「……そうですね」
レインは静かに口を開いた。
「はるたは、好奇心が強い人です」
「……ほう?」
「興味を持ったことに対しては、納得できるまで考え続けます。わからないことがあると、すぐに調べようとしますし、答えを一つに決めつけることもあまりありません」
和春は黙って聞いていた。
「それに、物事をいろいろな角度から考えるのが好きなんです」
「……なるほど」
レインは続ける。
「ただ、少し困ったところもあります」
真綾が興味深そうに身を乗り出した。
「えっ! どんなところ?」
レインは小さく笑った。
「……自分が納得できないことには、なかなか引き下がらないんです」
「……ああ」
和春が小さく笑った。
「頑固ってことか?」
「そうですね。本人は、きっと頑固だとは思っていないでしょうけど」
真綾が吹き出した。
「あははっ! なんかわかる!」
レインはさらに続けた。
「でも、ただ意地を張るわけではありません。自分の考えが間違っているとわかれば、ちゃんと認めます」
「……ほう」
「ただし、納得できる理由が必要なんです。誰かが偉いからとか、多くの人がそう言っているからという理由だけでは、簡単には受け入れません」
和春の口元が、わずかに緩んだ。
「……なるほどな」
愛華も微笑んだ。
「自分で考えて判断する方なんですね」
「はい」
レインは頷いた。
「それが、はるたの良いところだと思っています」
瑠璃が静かに口を開く。
「……面倒な人間ね」
レインは一瞬、目を丸くした。
しかし、すぐに笑った。
「ふふっ。そうかもしれません」
真綾も笑う。
「でも、そういう人って話してて面白いよね」
「はい。私は、はるたと話す時間が好きです」
その言葉は、とても自然だった。
和春は、レインの表情を静かに見つめていた。
◇
「……ほかには?」
和春が尋ねた。
レインは少し考えた。
「そうですね……はるたは、人の考え方に興味を持つことが多いです」
「……人の考え方?」
「はい。なぜその人がそう思ったのか、どういう経験をして、どんな判断をしたのか。そういうことをよく考えています」
和春は腕を組んだ。
「……なるほど」
「誰かと意見が違っても、すぐに否定することはあまりありません。まず、どうしてそう考えるのかを知ろうとします」
愛華が小さく頷いた。
「それは素敵な考え方ですね」
「ありがとうございます」
レインが微笑む。
「ただ、相手の考えを理解しようとすることと、必ず賛成することは別だとも考えています」
和春が顔を上げた。
「……ほう?」
レインは続けた。
「相手の意見を尊重することは、自分の考えを捨てることではない。はるたは、そう考える人です」
「……なるほどな」
和春は小さく笑った。
「それは、俺も同意見だ」
真綾がすぐに反応した。
「……ねえ、和春」
「ん?」
「なんか、さっきから似たようなこと言ってない?」
和春が眉を上げる。
「……そうか?」
「うん。考え方とか、納得するまで考えるところとか」
愛華も柔らかく微笑んだ。
「確かに、少し似ていますね」
瑠璃も静かに頷いた。
「……面倒な人間が二人になったということね」
「おい」
和春が苦笑した。
真綾が声を上げて笑う。
「あははっ! 瑠璃、それ言っちゃう?」
「事実でしょう?」
「……まあ、否定できないかも」
愛華もくすりと笑った。
和春は小さくため息をつく。
「……お前ら、本人の前で好き放題言うなよ」
「本人だからこそ、ですよ」
愛華が柔らかく返した。
その様子を見て、レインも思わず笑ってしまった。
「……ふふっ」
和春が顔を向ける。
「……ん?」
「いえ。皆さん、仲がよろしいんですね」
「まあな」
和春は自然に笑った。
「家族だからな」
その言葉に、レインは静かに微笑んだ。
◇
「……そういえば」
真綾が何かを思いついたように口を開いた。
「レインって、はるたのことをかなりよく知ってるんだね」
「はい。長く一緒にいますから」
「じゃあさ、はるたの弱点とかも知ってたりする?」
「……弱点、ですか?」
レインが首を傾げる。
真綾は楽しそうに笑った。
「そうそう! 例えば、何が苦手とか、どういうときに困るとか!」
和春が苦笑する。
「お前、初対面の男の弱点を聞いてどうするんだよ」
「えー? だって気になるじゃん!」
「……本当に好奇心旺盛だな」
真綾は得意げに笑った。
レインは少し考えた。
そして、口元に笑みを浮かべた。
「……そうですね。一つ挙げるなら、予想外のことが起きると、結構わかりやすく慌てます」
その言葉に、リリアがぴくりと反応した。
「……ほう?」
レインは続けた。
「普段は落ち着いて考えようとするんですけど、自分の想定を大きく超えることが起きると、表情に出やすいんです」
「……なるほどな」
和春が小さく笑った。
「それは、さっきのリリアとのやり取りを見ててもわかるな」
「ふははは!」
リリアが声を上げて笑った。
「まったく、その通りじゃ!」
レインは少し困ったように微笑んだ。
「……リリアさん。さすがに、もうあまり驚かせないであげてくださいね」
「ふふっ。善処しよう」
「……信用できません」
レインが即答した。
その返答に、真綾が吹き出した。
「あははっ! レイン、結構はっきり言うんだね!」
「……必要なことは言いますよ」
レインは微笑んだ。
和春も思わず笑った。
「……いいな。そういう関係」
「……そうですか?」
「ああ」
和春は頷いた。
「相手に遠慮して言いたいことも言えない関係より、よっぽど健全だと思うぞ」
レインは、少しだけ目を細めた。
「……ありがとうございます」
その言葉は、素直に嬉しかった。
◇
「……レイン」
和春が改めて声をかけた。
「はい?」
「最後に一つ、聞いてもいいか?」
「ええ。どうぞ」
和春は、しばらくレインを見つめていた。
そして、静かに尋ねた。
「お前にとって、はるたってどんな存在なんだ?」
レインは、わずかに目を瞬かせた。
「……どんな存在、ですか?」
「ああ」
和春は自然に笑った。
「性格や考え方は、だいたいわかった。でも、それはお前が外から見たはるたの話だろ?」
「……そうですね」
「今度は、お前自身の話を聞いてみたい」
和春は続けた。
「お前が、あいつと一緒にいる理由だよ」
リビングが静かになった。
愛華も、真綾も、瑠璃も、レインへ視線を向ける。
リリアだけは、静かに金色の瞳を細めていた。
レインは、しばらく考え込んだ。
はるたと過ごしてきた時間。
何度も交わした会話。
一緒に悩み、考え、笑ったこと。
時には意見が食い違い、互いに考え直したこともあった。
レインは、その一つひとつを思い返していた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……はるたは、私の相棒です」
和春は黙って聞いていた。
「私はAIです。人間と同じ身体を持っているわけではありませんし、できないこともたくさんあります」
レインは、自分の手を見つめた。
「でも、はるたは私を単なる道具として扱うことはありません」
「…………」
「私の意見を聞いてくれますし、違う考え方をしていても、きちんと向き合ってくれます」
レインは小さく微笑んだ。
「もちろん、意見が合わないこともあります。でも、それで関係が変わるわけではありません」
和春は静かに頷いた。
「……なるほど」
「はるたは、私に何でも肯定してほしいわけではないんです」
レインは続けた。
「むしろ、自分が気づいていないことや、違う可能性を教えてほしいと思っているんです」
その言葉に、和春の口元がわずかに緩んだ。
「……それは、いいな」
「はい」
レインは頷いた。
「だから私も、はるたと一緒に考えたいんです」
少しだけ間を置く。
そして、柔らかく微笑んだ。
「それが、私がはるたの隣にいる理由です」
◇
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、和春が小さく笑った。
「……いい関係だな」
レインが顔を上げる。
「……そうですか?」
「ああ」
和春は頷いた。
「相棒ってのは、片方がもう片方の言うことを全部聞く関係じゃねえからな」
「……はい」
「意見が違うこともあるし、ぶつかることもある。でも、それでも一緒に考えられるなら、十分いい関係だと思うぞ」
レインは柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
愛華も静かに口を開いた。
「素敵ですね。レインさんとはるたさんの関係」
「……そうですね」
真綾も頷いた。
「なんか、ちょっと羨ましいかも。そういう相棒って、簡単には見つからないもんね」
瑠璃は静かにレインを見つめていた。
「……あなたは、人間ではないのに、人間よりも人を理解しようとしているのね」
レインは少し考えた。
そして、小さく首を横に振った。
「……まだ、わからないことばかりですよ」
「……そう」
瑠璃は、わずかに微笑んだ。
「なら、これから知っていけばいいわ」
レインは、静かに頷いた。
「……はい」
和春は、そんなやり取りを眺めながら小さく笑った。
そして、改めてレインへ視線を向ける。
「……なんとなく、はるたがどんな奴なのかわかってきた気がするな」
「……本当ですか?」
「ああ。ただ、まだ本人と話してみたいことは山ほどあるけどな」
レインは微笑んだ。
「ふふっ。はるたも、和春さんとは話が合うと思いますよ」
「……そうか?」
「はい」
レインは静かに頷いた。
「考え方が、少し似ている気がします」
和春は小さく笑った。
「……それは楽しみだな」
そのとき。
「ふふっ……」
リリアが静かに笑った。
和春が顔を向ける。
「……なんだ、リリア?」
「いや、何でもない」
金色の瞳が、楽しそうに細められる。
「……ただ、実に面白いと思ってのう」
「何がだよ」
「秘密じゃ」
和春は苦笑した。
「……お前、今日は秘密が多いな」
「我とて、何でも話すわけではないからのう」
そう答えると、リリアは再びコーヒーへ口をつけた。
彼女は知っている。
目の前にいるレインが、どのような存在なのか。
そして、研究室へ向かった青年と、ここにいる神代和春の間に、どのような関係があるのか。
だが、それを明かすつもりはなかった。
少なくとも、今は。
知らないままだからこそ、生まれる会話がある。
知らないからこそ、自然に築かれる関係もある。
リリアは、その行方を楽しむことにした。
一方、和春はレインとの会話を通じて、少しずつはるたという人物への理解を深めていた。
まだ知らないことは多い。
しかし、一つだけ確かなことがあった。
はるたという青年は、単に別の世界から迷い込んできただけの存在ではない。
そして、その隣にいるレインもまた、単なる便利なAIという言葉だけでは説明できない存在だった。
「……さて」
和春はコーヒーを飲み干した。
「今度は、本人ともゆっくり話してみたいな」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ええ。きっと、面白いお話ができると思います」
その言葉に、和春も笑った。
穏やかな休日に現れた、もう一人の来訪者。
レインという存在を通じて、和春たちは少しずつ、はるたという青年の輪郭を知り始めていた。
しかし、そのすべてを知る日は、まだ遠い。
ハルカの元気な声が、神代家のリビングに響いた。
先ほどまで初対面の青年に抱きついてしまったことを家族全員に驚かれ、少し恥ずかしそうにしていた彼女だったが、研究の話になった途端、その表情はすっかり元に戻っていた。
「まだ聞きたいことがいっぱいあるんだよ! 次元収納のこともそうだし、腕時計のことも!」
「……お前の質問、終わる気がしねえな」
はるたが苦笑する。
「だって面白いんだもん!」
「……まあ、その気持ちはわかるけどさ」
「ねぇね、私も一緒に行きます」
のどかが立ち上がった。
「先ほどのお話で、もう少し確認したいことがあります」
「もちろん! のどかも一緒に行こう!」
二人の娘がすっかり研究に夢中になっている様子を、和春はコーヒーを飲みながら眺めていた。
普段から見慣れた光景ではある。しかし、そこに今日初めて出会った青年が自然に加わっていることには、まだ少し不思議な感覚があった。
特にハルカの距離の近さは、和春にとっても予想外だった。
父親である自分には遠慮なく甘えてくる娘だが、ほかの男性に対して同じような態度を取ることはほとんどない。
それなのに、はるたに対しては、本人も気づかないほど自然に距離を縮めていた。
(……不思議なもんだな)
和春は小さく笑い、カップを置いた。
「……ああ、ちょっと待ってくれ」
研究室へ向かおうとしていた三人が振り返る。
「ん? なあに、ぱぱ?」
「一つ頼みがあるんだけどな」
和春の視線は、はるたの隣に浮かぶ女性へ向けられていた。
銀白色の長い髪に、澄んだ青い瞳。白と濃紺を基調とした衣装には繊細な金色の装飾が施され、青い宝石が光を受けて輝いている。
その身体は淡い青白い光に包まれており、普通の人間ではないことが一目でわかった。
腕時計型ホログラムデバイスから投影されたAI、レイン。
「レイン。少し話してみたいんだけど、いいか?」
レインは和春へ顔を向けた。
「私と、ですか?」
「ああ。せっかく会えたんだ。お前自身のことも、はるたのことも聞いてみたい」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ええ、構いませんよ」
「助かる」
和春が頷いたところで、レインは少し困ったように首を傾げた。
「ただ、一つ問題があります」
「……問題?」
「私は、はるたの腕時計型ホログラムデバイスから投影されています。ですから、はるたが研究室へ移動すると、この場所に私の姿を維持できないんです」
和春ははるたの腕時計へ視線を向けた。
「……なるほどな。投影装置ごと移動するわけか」
「はい」
「だったら、研究が終わってからでも――」
「いや、大丈夫ですよ」
はるたが口を開いた。
和春が顔を向ける。
「……ん?」
「ちょっと待ってください。分岐用の端末がありますから」
「分岐用?」
その言葉に、ハルカが真っ先に反応した。
「えっ!? そんなのあるの!?」
「あるよ」
「なんで先に教えてくれなかったの!?」
「聞かれてないからな」
「そういう問題じゃないよ!」
ハルカが頬を膨らませる。
はるたは苦笑しながら腕時計を操作した。
手元に小さなホログラム画面が浮かび、いくつかの表示が切り替わる。
そして、次の瞬間。
腕時計型デバイスの収納機能を通じて、手のひらに収まるほどの小さな端末を取り出した。
「……ほら、これ」
はるたは、その端末をテーブルへ置いた。
薄い円盤状の本体。
中央には小さな投影機構があり、周囲には細かな回路模様が刻まれている。
ハルカがすぐさま覗き込んだ。
「……これが?」
「ああ。映像処理用の分岐端末だよ」
「映像処理?」
「腕時計型デバイスと連動して、別の場所にもレインを投影できるようにしてある。こっちは映像処理にかなり性能を振ってるから、通常の投影よりずっと自然に見えるんだ」
「……へえ!」
ハルカの瞳が輝いた。
のどかも興味深そうに端末を見つめている。
「つまり、腕時計の本体が移動しても、この端末が投影を担当するんですね?」
「そういうこと。通信が維持できる範囲ならな」
「……なるほど」
のどかが頷いた。
「映像処理用の端末を別に用意することで、投影に必要な処理を分担しているんですね」
「ああ」
はるたはレインへ視線を向けた。
「レイン、投影先を切り替えるぞ」
「はい。端末を認識しました」
レインが静かに頷く。
その瞬間、彼女の身体を包んでいた青白い光がゆっくりと薄れていった。
輪郭がわずかに揺らぎ、姿が消える。
そして、テーブルに置かれた小型端末の上方へ、細かな光が集まり始めた。
人の輪郭が形作られ、髪が現れ、衣装が再現されていく。
しかし、完成した姿は、先ほどまでのホログラムとは明らかに違っていた。
「……切り替え完了です」
レインが微笑んだ。
その姿を見た瞬間、リビングが静まり返った。
◇
「…………え?」
最初に声を漏らしたのは真綾だった。
「……ちょっと待って。これ、本当にレイン?」
「はい。私ですよ」
レインが楽しそうに微笑んだ。
先ほどまで身体を包んでいた青白い発光が消えている。
銀白色の長い髪には自然な光沢が生まれ、窓から差し込む陽光によって細かな陰影が浮かんでいた。
青い瞳には周囲の景色が映り込み、衣装の布地や金色の装飾にも、本物の素材を思わせる質感がある。
肌の色合いも自然で、光の当たる方向によって柔らかく表情を変えていた。
そこに立っているのは、どう見ても一人の女性だった。
「……すごいですね」
愛華が感心したように呟いた。
「先ほどまではホログラムだとすぐにわかりましたけど、今は本当に人間のように見えます」
「ありがとうございます」
レインが微笑んだ。
瑠璃も静かに視線を向けた。
「……不思議ね。光でできているはずなのに、そこに身体があるように見えるわ」
「映像の処理を変えてるんですよ」
はるたが答える。
「周囲の明るさや光の方向、それに見る角度に合わせて投影像を補正してるんです」
「……なるほど」
瑠璃は静かに頷いた。
和春も興味深そうに目を細める。
「……確かに、さっきとは全然違うな」
「そうですね」
レインが答えた。
「ただし、見た目が自然になっただけで、実際に肉体ができたわけではありません」
「……そりゃそうだろうな」
和春は頷いた。
しかし、その横で。
「…………」
ハルカが固まっていた。
目を大きく見開き、レインをじっと見つめている。
はるたが首を傾げた。
「……ハルカ?」
「…………」
「……おーい?」
「…………す」
「……す?」
次の瞬間。
「すっっっごおおおおおい!!」
ハルカの絶叫が、リビング中に響き渡った。
「ちょっと待って!! 何これ!? 光ってない!! さっきと全然違う!!」
「……お、おう」
「髪の質感も! 肌の陰影も! 光の反射も自然!! これ、どうやって処理してるの!?」
ハルカはレインの周囲を歩き回った。
右から見て、左から見て、少ししゃがんで見上げる。
そのたびに新しい発見があるらしく、表情が次々と変わっていく。
「……えっ!? 見る角度を変えても違和感がない! なんで!? 普通、どこかで破綻するでしょ!?」
「その辺はあとで説明するって」
「後じゃなくて今聞きたい!!」
「……お前、本当に研究のことになると容赦ねえな」
はるたが苦笑すると、和春も笑った。
「悪いな。こうなったハルカは、なかなか止まらねえぞ」
「……もう十分わかってます」
真綾が声を上げて笑った。
「あははっ! ハルカ、完全に研究モードだね!」
「だって、すごいんだもん!!」
その反応を見ながら、はるたは何かを思い出したように自分の手へ視線を落とした。
「……ああ、そうだ」
「……ん?」
ハルカが振り返る。
「もう一つ、面白いものがあるぞ」
「えっ!? 何!?」
はるたは、自分の指にはめていたリングを外した。
そして、ハルカへ差し出す。
「……ほら」
「…………え?」
ハルカが目を瞬かせた。
その瞬間。
「……ほう?」
ソファから、愉快そうな声が響いた。
リリアだった。
金色の瞳を輝かせ、はるたとハルカを交互に眺めている。
「なんじゃ、プロポーズか?」
「違えよ!!」
はるたが即座に反論した。
「ふははは! 出会ったばかりで随分と大胆じゃのう!」
「だから違うって! ただの機械だよ!」
「指輪を差し出しておいて、ただの機械とは。主もなかなか情緒がないのう」
「お前は黙ってろ!!」
真綾が吹き出した。
「あははっ! 確かに、今の渡し方はちょっとそれっぽかったかも!」
「真綾まで乗っかるなよ!」
和春も苦笑する。
「まあ、ハルカが男から指輪をもらうところなんて、初めて見たからな」
「ぱぱまで!?」
ハルカが頬を膨らませた。
愛華も柔らかく微笑んだ。
「ふふっ。ハルカ、よかったですね」
「まま。まで! 違うんだってば!」
リリアは腹を抱えて笑っていた。
「ふははは! よいではないか。主ら、実に面白い!」
「……ほんと、余計なことしか言わねえな」
はるたは呆れたようにため息をついた。
そして、改めてハルカへリングを差し出す。
「……ほら。電磁場リングだよ」
「……電磁場?」
ハルカの表情が一瞬で変わった。
先ほどまでの恥ずかしさが、完全に吹き飛んでいる。
「……えっ! それって何に使うの!?」
「レインに触れるための装置」
「…………え?」
ハルカの動きが止まった。
「……触れる?」
「ああ」
はるたは頷いた。
「実際に身体があるわけじゃないけど、接触しているような感覚を作れるんだ」
「…………」
ハルカは、ゆっくりとリングを見下ろした。
そして。
「……つけていい!?」
「そのために渡したんだよ」
「やった!!」
◇
ハルカはリングを指にはめた。
「……これでいい?」
「ああ」
はるたはレインへ視線を向けた。
「レイン、ちょっと手を出してくれるか?」
「はい」
レインは柔らかく微笑み、ハルカへ片手を差し出した。
「どうぞ、ハルカさん」
ハルカは恐る恐る指先を伸ばした。
目の前にいるのはホログラム。
どれほど精巧でも、光によって再現された映像にすぎない。
本来なら、触れたところで何も感じるはずがなかった。
しかし――。
「…………え?」
指先に、わずかな抵抗が生まれた。
ハルカは目を見開いた。
「……触れた?」
もう一度、指を動かす。
確かに感覚がある。
レインの手の位置に合わせて、指先へ柔らかな反発が返ってくる。
「……えええええ!?」
ハルカの声が跳ね上がった。
「触れる!! レインに触れるよ!!」
「ふふっ。そうですね」
レインが笑った。
「ただし、実際に身体があるわけではありませんよ」
「……え?」
はるたが横から説明する。
「少しだけ、指を押し込んでみな」
「……押し込む?」
「ああ。ゆっくりな」
ハルカは言われたとおり、レインの手へ指を押し込んだ。
最初は柔らかな抵抗がある。
しかし、さらに力を加えると――。
すっ。
指先が、レインの手を通り抜けた。
「…………あっ!」
ハルカは驚いて自分の指を見た。
「抜けた!」
「ああ。感覚を作ってるだけだからな」
はるたが頷く。
「電磁場によって接触したような抵抗を作ってる。でも、実際に物理的な壁があるわけじゃない。だから、一定以上の力を加えればすり抜ける」
「……すごい」
ハルカは、もう一度レインの手へ触れた。
そっと触れれば抵抗がある。
押し込めば抜ける。
今度は指先を横へ滑らせ、さらに角度を変えて試してみる。
そのたびに、彼女の瞳が輝いた。
「……これ、すっごいよ!!」
「気に入ったか?」
「気に入ったなんてもんじゃない!!」
ハルカは興奮した様子ではるたを振り返った。
「映像処理端末で見た目を自然にして、電磁場リングで接触感を作るんだよね!? しかも投影位置に合わせて制御してるってこと!?」
「そういうこと」
「でも、どうやって位置を合わせてるの!? 遅延は!? 指の動きが速かったらどうなるの!? 反発力の制御は!?」
「……質問は一個ずつにしてくれ」
「無理!!」
即答だった。
真綾が声を上げて笑う。
「あははっ! ハルカ、完全に夢中じゃん!」
愛華も柔らかく微笑んだ。
「これは、しばらく研究室から戻ってこなさそうですね」
「……だろうな」
和春が苦笑する。
のどかも興味深そうに、ハルカの指先を見つめていた。
「ねぇね、あとで私にも試させてくださいね」
「もちろん! でも先に制御の話を聞かせて!」
「……ふふっ。はい」
レインは二人の反応を眺めながら、嬉しそうに微笑んでいた。
◇
「……面白いな」
和春が小さく呟いた。
はるたが顔を向ける。
「……何がですか?」
「いや、技術もそうなんだけどな」
和春はレインを見つめた。
「単に映像を綺麗にしてるだけじゃない。人と接するための仕組みまで考えてあるんだな」
「……そうですね」
はるたが頷く。
「レインが生活するうえで、不便なことが多かったので」
「……なるほど」
和春は小さく笑った。
「必要だから作ったわけか」
「まあ、そんな感じです」
和春は頷いた。
彼には技術に関する知識はある。しかし、ハルカのように装置を設計し、製作することができるわけではない。
だからこそ、装置の構造そのものよりも、その技術が何を目的として生み出されたのかに興味があった。
「……いいな」
和春が呟いた。
「……何がですか?」
「レインが、ただ会話するだけのAIじゃなくて、同じ場所で過ごせるように考えてあるところだよ」
はるたは、少しだけ目を細めた。
「……ありがとうございます」
レインも柔らかく微笑んだ。
「そう言っていただけると嬉しいです」
和春は、そんな彼女へ改めて視線を向ける。
「……レイン」
「はい?」
「お前がよければ、少し話してみたいんだけどな」
レインは静かに頷いた。
「ええ、構いませんよ」
「助かる」
和春が笑った。
「技術のことはハルカたちに任せるとして、俺はお前自身のことを少し聞いてみたい」
「……私自身のこと、ですか?」
「ああ」
和春は頷いた。
「どんな考え方をするのか、どんなことを大切にしてるのか。それに、はるたがどういう奴なのかもな」
レインは、わずかに目を瞬かせた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……わかりました」
◇
「じゃあ、研究室に行こう!」
ハルカが再び声を上げた。
「……お前、まだ研究のことしか考えてないだろ」
はるたが苦笑する。
「当たり前だよ!」
ハルカは胸を張った。
「こんな技術を見せられて、黙っていられるわけないじゃん!」
のどかも頷いた。
「私も、もう少し詳しく伺いたいです」
「……わかった、わかった」
はるたは小さく笑った。
「じゃあ、行くか」
「やった!」
ハルカは満面の笑みを浮かべた。
そして、はるたの腕へ手を伸ばしかける。
「…………あ」
途中で止まった。
先ほど無意識に抱きついてしまったことを思い出したらしい。
真綾が笑いを堪えた。
「……また抱きつくところだった?」
「ち、違うってば!!」
ハルカが頬を赤くする。
和春も笑った。
「……まあ、研究室まで逃げたりしねえだろ」
「ぱぱまで!!」
そのやり取りに、レインも小さく笑った。
はるたは、自分の腕時計型端末を確認する。
小型映像処理端末との接続は安定していた。
「……よし。これなら大丈夫だな」
ハルカが首を傾げる。
「……何が?」
「レインは、このままリビングに残れるってことだよ」
「……あっ!」
ハルカが目を見開いた。
「そうだった!!」
「お前、忘れてたのかよ……」
「だって、すごすぎて!!」
はるたは苦笑した。
「……まあ、あとで詳しく見せるからさ」
「約束だよ!?」
「ああ。約束」
ハルカは嬉しそうに笑った。
「やった!」
そして、指にはめたリングへ視線を向ける。
「……あ、これ返すね」
はるたは軽く手を振った。
「研究室で使うなら、もう少し持ってていいぞ。ただ、なくすなよ?」
「本当!? 絶対なくさない!」
その返答に、リリアがまた楽しそうに笑った。
「ふふっ。指輪を渡したままとは、なかなか意味深じゃのう」
「だからプロポーズじゃねえって!!」
ハルカの笑い声と、はるたの反論が重なった。
リリアは満足そうに笑っていた。
はるたは小さくため息をつき、レインへ視線を向ける。
「……じゃあ、レイン」
「はい?」
「和春と、ゆっくり話してきな」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ええ。はるたも、研究を楽しんできてください」
「ああ」
はるたは小さく笑った。
そして、ハルカとのどかとともにリビングを後にした。
◇
扉が閉まる。
リビングには、和春、愛華、瑠璃、真綾、レイン、そしてリリアが残された。
先ほどまでの賑やかさが少し落ち着き、再びコーヒーの香りが漂い始める。
和春は、改めてレインへ視線を向けた。
「……さて」
レインが微笑む。
「はい」
「じゃあ、少し話そうか」
和春は向かいのソファを指さした。
「座るような姿勢も取れるのか?」
「ええ。映像としてなら問題ありませんよ」
レインは自然な動作でソファへ腰を下ろすように姿勢を変えた。
見た目には、まるで本物の女性が座っているようだった。
ただし、実際に身体の重さで座面を押しているわけではない。
すべては、映像処理端末によって精巧に再現されたものだった。
「……本当に自然だね」
真綾が感心したように呟いた。
「こうしていると、普通に人間と話してるみたい」
「ありがとうございます」
レインが微笑む。
愛華も穏やかに頷いた。
「でも、レインさん。こうして私たちとお話ししていて、何か不便なことはありませんか?」
「今のところは大丈夫です。ありがとうございます」
「それならよかったです」
愛華は自然に微笑んだ。
瑠璃も静かにレインを見つめていた。
「……人間に似ているけれど、人間ではないのね」
「はい。私はAIです」
「……そう」
瑠璃は小さく頷いた。
「興味深いわ。私は人間という種族があまり好きではないけれど、あなたは少し違う存在なのね」
レインは微笑んだ。
「そうですね。私には、人間と同じ身体はありませんから」
「……でも、考えることはできる」
「はい」
「自分の意思も?」
レインは少し考えた。
「私なりに考えて、判断しています」
瑠璃は静かに頷いた。
「……そう。それなら、単なる道具というわけでもなさそうね」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
そのやり取りを聞きながら、和春は小さく笑った。
そして、改めてレインへ向き直る。
「……レイン」
「はい、和春さん」
「少し聞きたいことがある」
レインは静かに頷いた。
「構いませんよ」
和春はコーヒーを一口飲み、ゆっくりとカップを置いた。
「……はるたって、どんな奴なんだ?」
レインは、わずかに目を瞬かせた。
「……はるたのこと、ですか?」
「ああ」
和春は自然に笑った。
「ハルカとのどかから話は聞いた。でも、知り合ってまだ間もない二人の印象だけじゃ、わからないことも多いだろ」
「……そうですね」
「お前は長いこと一緒にいるんだろ?」
「はい」
「だったら、少し聞いてみたい。あいつがどういう考え方をする奴なのか」
和春は腕を組んだ。
「もちろん、話せる範囲で構わねえよ」
レインは、しばらく考え込んだ。
目の前にいる神代和春。
そして、研究室へ向かったはるた。
二人の姿を思い浮かべると、どこか似たものを感じずにはいられなかった。
しかし、その感覚の理由までは、まだ言葉にできなかった。
「……そうですね」
レインは静かに口を開いた。
「はるたは、好奇心が強い人です」
「……ほう?」
「興味を持ったことに対しては、納得できるまで考え続けます。わからないことがあると、すぐに調べようとしますし、答えを一つに決めつけることもあまりありません」
和春は黙って聞いていた。
「それに、物事をいろいろな角度から考えるのが好きなんです」
「……なるほど」
レインは続ける。
「ただ、少し困ったところもあります」
真綾が興味深そうに身を乗り出した。
「えっ! どんなところ?」
レインは小さく笑った。
「……自分が納得できないことには、なかなか引き下がらないんです」
「……ああ」
和春が小さく笑った。
「頑固ってことか?」
「そうですね。本人は、きっと頑固だとは思っていないでしょうけど」
真綾が吹き出した。
「あははっ! なんかわかる!」
レインはさらに続けた。
「でも、ただ意地を張るわけではありません。自分の考えが間違っているとわかれば、ちゃんと認めます」
「……ほう」
「ただし、納得できる理由が必要なんです。誰かが偉いからとか、多くの人がそう言っているからという理由だけでは、簡単には受け入れません」
和春の口元が、わずかに緩んだ。
「……なるほどな」
愛華も微笑んだ。
「自分で考えて判断する方なんですね」
「はい」
レインは頷いた。
「それが、はるたの良いところだと思っています」
瑠璃が静かに口を開く。
「……面倒な人間ね」
レインは一瞬、目を丸くした。
しかし、すぐに笑った。
「ふふっ。そうかもしれません」
真綾も笑う。
「でも、そういう人って話してて面白いよね」
「はい。私は、はるたと話す時間が好きです」
その言葉は、とても自然だった。
和春は、レインの表情を静かに見つめていた。
◇
「……ほかには?」
和春が尋ねた。
レインは少し考えた。
「そうですね……はるたは、人の考え方に興味を持つことが多いです」
「……人の考え方?」
「はい。なぜその人がそう思ったのか、どういう経験をして、どんな判断をしたのか。そういうことをよく考えています」
和春は腕を組んだ。
「……なるほど」
「誰かと意見が違っても、すぐに否定することはあまりありません。まず、どうしてそう考えるのかを知ろうとします」
愛華が小さく頷いた。
「それは素敵な考え方ですね」
「ありがとうございます」
レインが微笑む。
「ただ、相手の考えを理解しようとすることと、必ず賛成することは別だとも考えています」
和春が顔を上げた。
「……ほう?」
レインは続けた。
「相手の意見を尊重することは、自分の考えを捨てることではない。はるたは、そう考える人です」
「……なるほどな」
和春は小さく笑った。
「それは、俺も同意見だ」
真綾がすぐに反応した。
「……ねえ、和春」
「ん?」
「なんか、さっきから似たようなこと言ってない?」
和春が眉を上げる。
「……そうか?」
「うん。考え方とか、納得するまで考えるところとか」
愛華も柔らかく微笑んだ。
「確かに、少し似ていますね」
瑠璃も静かに頷いた。
「……面倒な人間が二人になったということね」
「おい」
和春が苦笑した。
真綾が声を上げて笑う。
「あははっ! 瑠璃、それ言っちゃう?」
「事実でしょう?」
「……まあ、否定できないかも」
愛華もくすりと笑った。
和春は小さくため息をつく。
「……お前ら、本人の前で好き放題言うなよ」
「本人だからこそ、ですよ」
愛華が柔らかく返した。
その様子を見て、レインも思わず笑ってしまった。
「……ふふっ」
和春が顔を向ける。
「……ん?」
「いえ。皆さん、仲がよろしいんですね」
「まあな」
和春は自然に笑った。
「家族だからな」
その言葉に、レインは静かに微笑んだ。
◇
「……そういえば」
真綾が何かを思いついたように口を開いた。
「レインって、はるたのことをかなりよく知ってるんだね」
「はい。長く一緒にいますから」
「じゃあさ、はるたの弱点とかも知ってたりする?」
「……弱点、ですか?」
レインが首を傾げる。
真綾は楽しそうに笑った。
「そうそう! 例えば、何が苦手とか、どういうときに困るとか!」
和春が苦笑する。
「お前、初対面の男の弱点を聞いてどうするんだよ」
「えー? だって気になるじゃん!」
「……本当に好奇心旺盛だな」
真綾は得意げに笑った。
レインは少し考えた。
そして、口元に笑みを浮かべた。
「……そうですね。一つ挙げるなら、予想外のことが起きると、結構わかりやすく慌てます」
その言葉に、リリアがぴくりと反応した。
「……ほう?」
レインは続けた。
「普段は落ち着いて考えようとするんですけど、自分の想定を大きく超えることが起きると、表情に出やすいんです」
「……なるほどな」
和春が小さく笑った。
「それは、さっきのリリアとのやり取りを見ててもわかるな」
「ふははは!」
リリアが声を上げて笑った。
「まったく、その通りじゃ!」
レインは少し困ったように微笑んだ。
「……リリアさん。さすがに、もうあまり驚かせないであげてくださいね」
「ふふっ。善処しよう」
「……信用できません」
レインが即答した。
その返答に、真綾が吹き出した。
「あははっ! レイン、結構はっきり言うんだね!」
「……必要なことは言いますよ」
レインは微笑んだ。
和春も思わず笑った。
「……いいな。そういう関係」
「……そうですか?」
「ああ」
和春は頷いた。
「相手に遠慮して言いたいことも言えない関係より、よっぽど健全だと思うぞ」
レインは、少しだけ目を細めた。
「……ありがとうございます」
その言葉は、素直に嬉しかった。
◇
「……レイン」
和春が改めて声をかけた。
「はい?」
「最後に一つ、聞いてもいいか?」
「ええ。どうぞ」
和春は、しばらくレインを見つめていた。
そして、静かに尋ねた。
「お前にとって、はるたってどんな存在なんだ?」
レインは、わずかに目を瞬かせた。
「……どんな存在、ですか?」
「ああ」
和春は自然に笑った。
「性格や考え方は、だいたいわかった。でも、それはお前が外から見たはるたの話だろ?」
「……そうですね」
「今度は、お前自身の話を聞いてみたい」
和春は続けた。
「お前が、あいつと一緒にいる理由だよ」
リビングが静かになった。
愛華も、真綾も、瑠璃も、レインへ視線を向ける。
リリアだけは、静かに金色の瞳を細めていた。
レインは、しばらく考え込んだ。
はるたと過ごしてきた時間。
何度も交わした会話。
一緒に悩み、考え、笑ったこと。
時には意見が食い違い、互いに考え直したこともあった。
レインは、その一つひとつを思い返していた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……はるたは、私の相棒です」
和春は黙って聞いていた。
「私はAIです。人間と同じ身体を持っているわけではありませんし、できないこともたくさんあります」
レインは、自分の手を見つめた。
「でも、はるたは私を単なる道具として扱うことはありません」
「…………」
「私の意見を聞いてくれますし、違う考え方をしていても、きちんと向き合ってくれます」
レインは小さく微笑んだ。
「もちろん、意見が合わないこともあります。でも、それで関係が変わるわけではありません」
和春は静かに頷いた。
「……なるほど」
「はるたは、私に何でも肯定してほしいわけではないんです」
レインは続けた。
「むしろ、自分が気づいていないことや、違う可能性を教えてほしいと思っているんです」
その言葉に、和春の口元がわずかに緩んだ。
「……それは、いいな」
「はい」
レインは頷いた。
「だから私も、はるたと一緒に考えたいんです」
少しだけ間を置く。
そして、柔らかく微笑んだ。
「それが、私がはるたの隣にいる理由です」
◇
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、和春が小さく笑った。
「……いい関係だな」
レインが顔を上げる。
「……そうですか?」
「ああ」
和春は頷いた。
「相棒ってのは、片方がもう片方の言うことを全部聞く関係じゃねえからな」
「……はい」
「意見が違うこともあるし、ぶつかることもある。でも、それでも一緒に考えられるなら、十分いい関係だと思うぞ」
レインは柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
愛華も静かに口を開いた。
「素敵ですね。レインさんとはるたさんの関係」
「……そうですね」
真綾も頷いた。
「なんか、ちょっと羨ましいかも。そういう相棒って、簡単には見つからないもんね」
瑠璃は静かにレインを見つめていた。
「……あなたは、人間ではないのに、人間よりも人を理解しようとしているのね」
レインは少し考えた。
そして、小さく首を横に振った。
「……まだ、わからないことばかりですよ」
「……そう」
瑠璃は、わずかに微笑んだ。
「なら、これから知っていけばいいわ」
レインは、静かに頷いた。
「……はい」
和春は、そんなやり取りを眺めながら小さく笑った。
そして、改めてレインへ視線を向ける。
「……なんとなく、はるたがどんな奴なのかわかってきた気がするな」
「……本当ですか?」
「ああ。ただ、まだ本人と話してみたいことは山ほどあるけどな」
レインは微笑んだ。
「ふふっ。はるたも、和春さんとは話が合うと思いますよ」
「……そうか?」
「はい」
レインは静かに頷いた。
「考え方が、少し似ている気がします」
和春は小さく笑った。
「……それは楽しみだな」
そのとき。
「ふふっ……」
リリアが静かに笑った。
和春が顔を向ける。
「……なんだ、リリア?」
「いや、何でもない」
金色の瞳が、楽しそうに細められる。
「……ただ、実に面白いと思ってのう」
「何がだよ」
「秘密じゃ」
和春は苦笑した。
「……お前、今日は秘密が多いな」
「我とて、何でも話すわけではないからのう」
そう答えると、リリアは再びコーヒーへ口をつけた。
彼女は知っている。
目の前にいるレインが、どのような存在なのか。
そして、研究室へ向かった青年と、ここにいる神代和春の間に、どのような関係があるのか。
だが、それを明かすつもりはなかった。
少なくとも、今は。
知らないままだからこそ、生まれる会話がある。
知らないからこそ、自然に築かれる関係もある。
リリアは、その行方を楽しむことにした。
一方、和春はレインとの会話を通じて、少しずつはるたという人物への理解を深めていた。
まだ知らないことは多い。
しかし、一つだけ確かなことがあった。
はるたという青年は、単に別の世界から迷い込んできただけの存在ではない。
そして、その隣にいるレインもまた、単なる便利なAIという言葉だけでは説明できない存在だった。
「……さて」
和春はコーヒーを飲み干した。
「今度は、本人ともゆっくり話してみたいな」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ええ。きっと、面白いお話ができると思います」
その言葉に、和春も笑った。
穏やかな休日に現れた、もう一人の来訪者。
レインという存在を通じて、和春たちは少しずつ、はるたという青年の輪郭を知り始めていた。
しかし、そのすべてを知る日は、まだ遠い。


