銀色の刃が、はるたの視界を横切った。
ノスクの刀身が燭台の光を反射し、鋭い軌跡を描く。後ろへ下がろうとしたが、身体が思うように動かない。頭では迫りくる攻撃を理解しているのに、反応が追いつかなかった。
(……間に合わない!)
望の踏み込みは、常人のそれとは比較にならないほど速かった。
黒いコートが翻り、刀身がはるたの目前まで迫る。
その瞬間、玉座から鋭い声が響いた。
「やめよ!! 望!!」
リリアだった。
先ほどまでの楽しげな声とは違う。玉座の間全体を震わせるような、強い命令だった。
次の瞬間、ノスクの動きが止まった。
刃は、はるたの首筋まであとわずかという位置で静止している。
「…………っ!」
はるたは息を呑んだ。
目の前には、冷たい刀身がある。
少しでも動けば刃に触れてしまいそうな距離だった。
望は刀を引かなかった。
水色の瞳で、はるたを睨みつけている。
その表情には、怒りが浮かんでいた。
しかし、リリアの制止を無視して斬りつけることもしなかった。
はるたは、かろうじて息を吐いた。
(……止まった)
自分が創り上げた武器と、その使い手。
どれほどの威力を持つかは知っている。
知っているからこそ、今の一撃が本気だったことも理解できた。
そして、もしリリアが止めていなければ、どうなっていたのかも。
「はるた! 大丈夫ですか!」
青白い光が揺れ、レインが慌てて近づいてきた。
「……ああ」
はるたは刀身から目を離さないまま、小さく頷いた。
「なんとか……」
レインははるたの肩に手を添え、顔を覗き込んだ。
その青い瞳には、隠しきれない不安が浮かんでいた。
「怪我はありませんか?」
「……ない。大丈夫だ」
そう答えながら、はるたはようやく呼吸を整えた。
無傷で済んだのは、リリアが望を止めたからだ。
もし、あと一瞬でも遅れていたら。
考えるだけで背筋が冷たくなる。
しかし、レインの表情はまだ険しかった。
彼女ははるたを確認すると、すぐに望へ顔を向けた。
「いきなり斬りかかるなんて!」
怒りを含んだ声が、玉座の間に響いた。
「何の説明もなく、突然武器を向けるなんて、あまりにも危険です!」
望は答えなかった。
ただ、水色の瞳を細め、はるたを見つめ続けている。
レインの言葉が聞こえていないわけではない。
しかし、今の望にとって、目の前の青年の存在は、ほかの何よりも強く意識を引きつけるものだった。
「……レイン」
はるたが静かに声をかけた。
「いい。大丈夫だ……」
レインが振り返る。
「でも、はるた!」
「……わかってる」
はるたは小さく頷いた。
「危なかったのは事実だ。でも、こいつが怒る理由もわかる」
その言葉に、望の眉がわずかに動いた。
はるたは、もう一度だけ深く息を吸った。
目の前には、自分が創り上げた人物が立っている。
その人生も、過去も、抱えてきた苦しみも知っていた。
だからこそ、彼の怒りを単なる理不尽だとは思えなかった。
ただし、それを知っていることと、殺されても構わないと思うことは別だった。
はるたは、まっすぐに望を見つめた。
◇
「俺は、お前を殺したい……お前が!!」
望の声が、低く響いた。
ノスクを握る手に力がこもる。
水色の瞳には、激しい怒りが宿っていた。
その感情がどこから来るのかを、はるたは知っている。
幼い頃に経験した、取り返しのつかない悲劇。
愛する家族を失い、何もできなかった自分への無力感。
そして、そんな理不尽が存在する世界そのものに向けられた憎しみ。
望にとって、世界を創造した存在は、決して無条件に敬うべき相手ではなかった。
むしろ、長い年月をかけて問い続けてきた怒りの対象だった。
リリアは玉座から静かに望を見つめていた。
「望よ。落ち着け……」
声は穏やかだったが、そこには王としての威厳があった。
「我の客じゃ」
望は唇を噛みしめた。
リリアの言葉が届いていないわけではない。
彼女が何を考え、なぜ制止したのかも、ある程度は理解している。
だが、目の前の青年が世界の創造主だと聞かされた以上、簡単に怒りを収めることなどできなかった。
望はゆっくりと息を吐いた。
それでも、ノスクを手放そうとはしない。
その姿を見ながら、はるたは慎重に口を開いた。
「……望」
水色の瞳が、鋭くこちらを向く。
「いや、お前が怒る理由はわかる……」
はるたは言葉を区切った。
何を言えばいいのかは、簡単に決められなかった。
相手の苦しみを知っているからといって、その感情を軽々しく理解したつもりになるわけにはいかない。
自分は創作者として望の過去を知っている。
しかし、その悲劇を実際に生きたのは望自身だ。
はるたは、逃げずに言葉を続けた。
「ただ俺は、お前達を存在させるために世界を作った……」
望の表情が変わった。
はるたは、目を逸らさなかった。
自分にとって、創作とはただ人物を都合よく動かすことではない。
一人ひとりに過去があり、考え方があり、選択がある。
その選択が別の誰かの人生へ影響し、さらに新たな可能性を生んでいく。
だからこそ、はるたは世界を作った。
望という人物にも、生きる場所を与えたかった。
しかし、それが本人にとって救いになるとは限らない。
「……お前が経験したことを、なかったことにはできない」
はるたは静かに続けた。
「それでも、俺はお前達を存在させたかったんだ」
望は何も言わなかった。
その水色の瞳には、怒りと、別の感情が入り混じっているように見えた。
納得したわけではない。
許したわけでもない。
ただ、はるたの言葉を聞いていた。
レインは、そんな二人を静かに見守っていた。
先ほどまでの怒りは消えていない。
しかし、ここで言葉を挟むべきではないことも理解していた。
創造主と、その世界を生きてきた人物。
二人が向き合わなければならない問題が、今、目の前にある。
そして、その問いに簡単な答えなど存在しなかった。
♢
「……世界を作るには、犠牲もいる……」
はるたは、絞り出すように言葉を続けた。
握りしめた拳が震えていた。顔を伏せたまま、歯を食いしばる。
自分が口にした言葉の重さは理解している。
物語には喜びがあり、出会いがあり、成長がある。しかし、それだけですべてが成り立つわけではない。誰かの選択によって別の誰かが傷つき、取り返しのつかないものを失うこともある。
はるたは、そのような出来事も含めて世界を創造してきた。
だが、目の前にいる望にとって、それは物語の一場面などではない。
実際に経験した過去であり、決して取り戻せない人生の一部だった。
(……わかってる)
はるたは唇を噛んだ。
望の怒りは、当然のものだ。
自分がどのような理由で世界を創造したとしても、それによって望が経験した苦しみを正当化できるわけではない。
「……はるた」
レインが静かに名前を呼んだ。
青白い光をまとった彼女は、顔を伏せるはるたを心配そうに見つめていた。
はるたは答えなかった。
何かを言えば、言い訳になってしまう気がした。
自分が創造した人物たちに、存在する場所を与えたかった。それは偽りのない気持ちだった。
しかし、そのために描いた出来事の中には、望のように深い傷を負わせるものも含まれている。
はるたは、その事実から目を逸らすことができなかった。
目の前には、ノスクを握りしめた望が立っている。
水色の瞳には、今も激しい怒りが宿っていた。
その怒りを前にして、はるたは簡単な慰めの言葉を口にすることなどできなかった。
◇
「……ふむ。望よ」
玉座から、リリアの声が響いた。
望は顔を上げなかった。
リリアは頬杖をついたまま、静かに続ける。
「殺すのは待て。じゃが、聞きたいことは聞けばよい」
その声には、先ほどまでの悪戯めいた響きはなかった。
望がなぜ怒っているのか、リリアは知っている。
幼い頃に何を失い、どのような思いを抱えて生きてきたのかも。
だからこそ、ただ怒りを収めろとは言わなかった。
創造主という存在が、望にとってどれほど大きな意味を持つのか。それを理解しているからこそ、彼自身に問いかける機会を与えようとしたのだ。
ただし、ここで命を奪うことは許さない。
それが、リリアの判断だった。
望は、ゆっくりと息を吐いた。
ノスクを握る手から、わずかに力が抜ける。
しかし、その刃先はまだ、はるたへ向けられていた。
「…………」
望はしばらく何も言わなかった。
怒りを言葉にしようとしても、簡単にはまとまらない。
幼い頃から何度も考えてきた。
なぜ、あの日あんなことが起きたのか。
なぜ、家族が死ななければならなかったのか。
なぜ、理不尽な悲劇が存在する世界なのか。
その問いに、答えてくれる者はいなかった。
だが今、目の前には世界を創造したとされる人間がいる。
望は、ゆっくりと顔を上げた。
◇
「……創造主」
低い声だった。
はるたが顔を上げる。
望の水色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「……なぜ、俺の家族なんだ」
はるたは答えなかった。
望の声が、わずかに震える。
「なぜ、あんな酷いことをした……」
その言葉には、怒りがあった。
しかし、それだけではなかった。
長い年月を経ても消えることのなかった悲しみ。
取り戻せない家族への思い。
そして、答えを求め続けてきた一人の男の苦しみが、その短い問いに込められていた。
はるたは、ゆっくりと息を吸った。
望の過去は知っている。
何が起きたのかも、なぜ彼が神を憎むようになったのかも。
そして、その過去を創造したのが自分自身であることも。
だからこそ、安易な言葉では答えられなかった。
「……望」
はるたは静かに名前を呼んだ。
しかし、それ以上の言葉はすぐには出てこなかった。
望はノスクを握りしめたまま、目の前の青年を見据えている。
「……答えろ」
その声は、先ほどまでの激情を抑え込むように低く響いた。
「なぜ、俺の家族だったんだ」
はるたは拳を握りしめた。
創造主として世界を作った理由なら説明できる。
だが、家族を失った本人に、その悲劇が必要だったと簡単に言い切れるのか。
そんな問いが、胸の奥に重くのしかかっていた。
レインは二人を見つめたまま、何も言わなかった。
リリアも、静かに成り行きを見守っている。
玉座の間に、重い沈黙が流れた。
その中で、望の瞳だけが、答えを求めてはるたを捉え続けていた。
世界を創造した者と、その世界で家族を奪われた者。
二人の間に横たわるものは、たった一つの説明で埋められるほど浅くはなかった。
そして、望が長年抱え続けてきた問いに、はるたは今、向き合おうとしていた。


