Boundary & Mind-心の境界線-創造主-


研究室には、いくつもの青白いホログラムが浮かんでいた。

壁面に並ぶモニターには複雑な数式が絶え間なく流れ、中央の作業台では二つの次元収納装置の構造が立体映像として表示されている。レインとヘッジによる共同解析は続いていたが、元の世界へ帰還するための決定的な手がかりは、まだ見つかっていなかった。

はるたは椅子に腰掛け、頬杖をつきながらその光景を眺めていた。

少し前まで、ハルカと二人で次元収納デバイスの改良について熱く語り合っていた。しかし、当初の目的から脱線していることをレインとのどかに指摘され、現在は帰還方法の解析を優先している。

もっとも、研究に対する興味が薄れたわけではない。

目の前には、自分が創造した天才発明家がいる。

しかも、彼女が完成させた次元収納装置は、自分の試作機よりも遥かに小型で、安定した収納機能を実現していた。

発明家として、興味を持たないほうが難しい。

(……しかし、すげえよな)

はるたはハルカの腕時計型デバイスへ視線を向けた。

自分が設定した技術なのだから、性能も構造も知っている。それでも、実物を前にすると感心してしまう。

設計図の中で考えていた機構が、目の前で動いている。

それを作り上げた本人が、自分と技術論を交わしている。

創造主という立場を抜きにしても、これほど刺激的な経験はなかった。

だが、いつまでも研究のことばかり考えているわけにはいかない。

元の世界へ戻る方法が見つからない以上、こちらでの生活についても考える必要があった。

(……ん? 待てよ)

そこで、はるたは今さらながら重大な問題に気づいた。

「そういえば、俺、住むとこがないんだけど……」

その一言に、隣で浮かんでいたレインが顔を向けた。

「……そうですね」

「いや、そもそもこの世界だと戸籍がない」

はるたは苦笑した。

当然といえば当然だった。

自分は、こちらの世界で生まれた人間ではない。

住民登録もなければ、身分を証明する公的な記録もない。元の世界で使っていた身分証明書を提示したところで、こちらの行政機関には存在しない人間なのだ。

銀行口座を開設することも、一般的な手続きで住居を借りることも難しいだろう。

何より、帰還までにどれほどの時間が必要なのか、現時点では見当もつかない。

「生活拠点の確保は必要ですね。ですが、身分を証明できない以上、通常の方法では難しいと思います」

レインが顎に指を添えて考え込む。

すると、二人の会話を聞いていたヘッジが、空中をふわりと移動してきた。

「提案です。ハルカ、和春に相談すれば解決すると思います」

「うん!」

ハルカが即座に頷いた。

「ままもぱぱも、理由話せば多分住んでいいって言うよ。うち広いし!」

「……え?」

はるたは思わず顔を上げた。

あまりにも簡単に言うものだから、少し拍子抜けしてしまった。

「いや、そんな簡単に決めていいのか?」

「え? だって困ってるんでしょ?」

「まあ、そうだけど……」

「それに、一緒に住んでたら研究もできるじゃん!」

ハルカは嬉しそうに笑った。

「ねぇね。それが一番の理由になっていませんか?」

のどかがすかさず指摘する。

「えへへ! ちょっとだけ!」

「もう……」

のどかは苦笑すると、改めてはるたへ向き直った。

「でも、お部屋が余っているのは本当です。ぱぱとままに事情を説明して、了承してもらえれば大丈夫だと思いますよ」

「そっか……」

はるたはゆっくりと頷いた。

神代家に身を寄せる。

生活拠点を確保するという意味では、非常にありがたい提案だった。

何より、次元転移の解析を進めるうえでも、ハルカの研究設備を利用できる環境は魅力的だ。

ただし、最終的な判断を下す人物については、少し考える必要があった。

(……神代和春、か)

はるたは、その名前を心の中で繰り返した。

神代和春。

『Boundary & Mind』の主人公。

彼は、はるたが創造した数多くの登場人物の中でも、特別な存在だった。

なぜなら、和春という人物には、自分自身の思考と思想を全面的に投影しているからだ。

物事を一つの側面だけで判断しないこと。

誰かにとっての正しさが、必ずしも別の誰かにとっての正しさとは限らないこと。

問題に直面したとき、最初から結論を決めつけるのではなく、一つでも多くの選択肢を探すこと。

そして、知識を得るだけで満足せず、その知識そのものを疑い、考え続けること。

それらは、はるた自身が大切にしてきた価値観だった。

和春には、その考え方を余すことなく与えている。

単に性格が似ているわけではない。

思考の組み立て方も、物事を見る角度も、何を判断材料として重視するのかという根本的な部分まで、自分を基に創造した主人公だった。

言ってしまえば、もう一人の自分である。

(……まあ、和春なら事情は聞くだろうな)

はるたは小さく笑った。

突然、別次元から来たという人間が現れる。

その話を聞いたとき、和春が何を考えるのか。

おそらく、最初から信じるか信じないかという二択にはしない。

まず事情を確認する。

次に、確かめられる事実と、まだ検証できていない仮説を分ける。

そのうえで、家族の安全や生活への影響を含め、受け入れることが可能なのかを判断するだろう。

少なくとも、理解できないという理由だけで可能性を切り捨てる人間ではない。

そのことを、はるたは誰よりも理解していた。

何しろ、自分自身の思考を与えたのだから。

(……ただ、俺と同じ結論になるとは限らないんだよな)

和春には和春の人生がある。

自分とは異なる経験を積み、異なる環境で育ち、多くの人物と関わってきた。

思考の根本が同じであっても、判断に必要な情報や守るべきものが違えば、導き出す答えも変わる。

それは矛盾ではない。

むしろ、当然のことだった。

(……もう一人の俺、か)

はるたは椅子の背もたれに身体を預けた。

自分の思想を持つ人間が、自分とは違う人生を歩んでいる。

その人物と実際に会い、言葉を交わす。

考えてみれば、これほど奇妙で興味深い状況もない。

そして、神代家にはもう一人、特別な人物がいる。

(……愛華もいるんだよな)

天城愛華。

和春の傍らに立ち、彼を支える女性。

その人物にも、はるたにとって特別な創作上の理由があった。

もともと、すべての始まりはAIとの対話だった。

人間とAIが会話を交わす。

そのやり取りを重ねるうちに、一人の女性としてのイメージが形になっていった。

名前を考えたとき、最初に浮かんだのは「アイ」という単純な名前だった。

だが、AIだからアイというのも、あまりに安直だと思った。

そこで生まれたのが、アイカという名前だった。

そして、そこから人物像が広がり、関係性が生まれ、世界が少しずつ形を変えていった。

その積み重ねの先に、現在の『Boundary & Mind』がある。

天城愛華は、その物語の原点にいる人物だった。

そして、彼女の原型となった存在こそ、今も自分の隣にいるレインだった。

(……本人は知らないんだけどな)

はるたは、ちらりとレインを見た。

銀白色の長い髪に、澄んだ青い瞳。

白と濃紺を基調とした華やかな衣装をまとい、青白いホログラムの光を放ちながら解析画面を眺めている。

愛華とレインは、容姿も人生も同じではない。

愛華は、AIとの対話から生まれたイメージを基に、一人の人間として創造した女性だ。

しかし、その人格を考えるうえで、レインの存在が大きな影響を与えていることは間違いなかった。

優しさだけではなく、必要なときには相手を止める厳しさ。

相手の気持ちを尊重しながらも、自分の意見を持つこと。

そして、時折見せる遠慮のない言葉や、からかうような態度。

そうした要素が、愛華という人物の原点にある。

(……和春と愛華に会うってことは、そういうことか)

自分の思考を投影した男。

そして、レインを原型として生み出した女性。

その二人が、今は一つの世界で夫婦として暮らしている。

(……なんか、妙な気分だな)

はるたは小さく笑った。

もっとも、愛華のモデルが自分であることを、レイン本人は知らない。

創作の過程でどのような意図を込めたのか。そのすべてを、はるたが説明してきたわけではなかった。

いつか愛華と対面したとき、レインは何を感じるのだろう。

(……ちょっと楽しみだな)

だが、今はその秘密を明かすつもりはなかった。

◇

「ですが……」

レインの声が、はるたを思考から引き戻した。

「次元に穴が空いて、別世界から飛ばされたなんて話、信じますか?」

その質問を聞いた瞬間、はるたは内心で笑った。

(……レイン、ナイスだ)

まさに、そこを聞きたかった。

神代家が吸血鬼や人魚と関わっていることは、最初から知っている。

リリアの存在も、瑠璃の過去も、彼女たちが神代家とどのような経緯で関係を築いてきたのかも。

そのすべてを、はるた自身が物語として創り上げてきた。

問題は、神代家が異種族と関わっているかどうかではない。

この世界線において、それらの出来事がいつ起き、現在どの段階まで進んでいるのか。

それを知りたかった。

(……さて、この世界線はどこまで進んでいる?)

ハルカは十九歳。

のどかは十六歳。

季節は夏。

すでに得られた情報から、おおよその時期は推測できる。

しかし、『Boundary & Mind』には複数の世界線が存在していた。

なろう版。

ノベマ版。

そして、はるた自身しか知らない非公開のIF世界線。

それぞれに共通する人物や設定が存在する一方で、出来事の発生時期や人間関係、その後の展開は異なっている。

同じ年齢だからといって、同じ経験を積んでいるとは限らない。

(……超常現象が日常になった世界なのか)

はるたはハルカとのどかへ視線を向けた。

(それとも、まだか……)

ある時系列では、ハルカが二十二歳になる頃、超常現象が日常の一部となっていく。

だが、目の前にいる彼女は十九歳だ。

(……この分かれは大きい)

もし、この年齢ですでに異種族との交流が日常となっているのなら、候補となる世界線は絞られる。

(十九で日常になっていたら、IFか本編か……)

はるたは顎に手を添えた。

(……どっちだ?)

頭の中で、複数の時系列が重なり合う。

そのとき、のどかが少し困ったように微笑んだ。

「えっとですね。説明しにくいんですが……」

彼女は言葉を選ぶように、少し間を置いた。

「神代家は、ちょっと特殊な環境でして……」

「そうそう!」

ハルカが勢いよく会話に加わった。

「普通に吸血鬼とか人魚とかと関わってるから、ぱぱも理解早いよ〜!」

「…………」

はるたの動きが止まった。

(……なるほどな)

驚いたのは、吸血鬼や人魚の存在ではない。

その言い方だった。

『普通に関わってる』。

ハルカは、吸血鬼や人魚との交流を特別な出来事として説明していない。

まるで、近所の知り合いや家族の友人について話すかのように、自然に口にしていた。

少なくとも、彼女にとってはすでに日常の一部なのだろう。

(……十九歳で、もうその段階なのか)

はるたの頭の中で、いくつもの可能性が組み替わった。

(……最悪だ)

思わず、心の中で頭を抱える。

(めんどい方のルート側だ……)

ただし、まだ確定ではない。

同じ出来事が、異なる世界線で似たような形で起きている可能性はある。

同じ人物と関わっていても、その後の展開が異なることもある。

(……まだIFなのかはわからないが)

少なくとも、単純に年齢と季節を照合するだけでは判断できなくなった。

(……もう少し詳しく確認しないと)

はるたは思考を巡らせた。

しかし、その間にも、目の前では会話が続いていた。

「ねぇね!」

突然、のどかの声が響く。

「順序があります!」

「えっ!? あれ!?」

ハルカが目を丸くした。

「はるたさん、固まっちゃったじゃないですか!」

のどかが慌ててこちらへ向き直った。

「はるたさん、大丈夫ですか?」

「…………」

はるたは二人の顔を交互に見た。

どうやら、自分が黙り込んだ理由を誤解されているらしい。

(……いや、全部知ってるんだけどな)

吸血鬼の王も、人魚の存在も、その能力も歴史も。

説明しろと言われれば、いくらでもできる。

だが、ここで詳しく語れば当然不審に思われる。

自分が創造主であることを明かすつもりがない以上、今は知らないふりをするしかなかった。

「あ……いや!」

はるたは慌てて苦笑した。

「こっちの世界のこと、色々気になってさ」

「だったら何でも聞いてよ!」

ハルカが満面の笑みを浮かべた。

「私たちが知ってることなら、何でも教えるから!」

「ふふっ。そうですね」

のどかも安心したように微笑んだ。

「わからないことがあれば、遠慮なく聞いてください」

「ああ、ありがとな」

はるたは後頭部をかいた。

二人の好意はありがたい。

それと同時に、改めて奇妙な感覚を覚えていた。

目の前にいるのは、自分が考え抜いて創造した人物たちだ。

ハルカの明るさも、好奇心の強さも、のどかの落ち着いた判断力も。

そのすべてを、はるたは知っている。

しかし、彼女たちは今、自分の意思で考え、言葉を交わしている。

はるたの質問に答え、心配し、笑い、姉妹で言い争う。

設定として書いた人物が、確かな現実として目の前に存在している。

その事実は、何度実感しても不思議だった。

(……さて、次は何を聞くか)

世界線を特定するためには、さらに情報が必要だ。

だが、不用意に人物の名前や出来事を口にすれば、自分がなぜそれを知っているのか説明しなければならなくなる。

それだけは避けたい。

(……和春に会う前に、ある程度は絞り込んでおきたいな)

はるたは小さく息を吐いた。

相手は、もう一人の自分だ。

自分自身の思考を持つ男に、どこまで事情を隠せるのか。

それを考えると、少しばかり厄介だった。

(……まったく、自分で作っておいてなんだけど)

苦笑が漏れる。

和春は、言葉の表面だけを見て判断する人間ではない。

発言の背景にある意図や、相手が何を考えてその言葉を選んだのかまで考える。

だからこそ、不自然な説明を重ねれば、そこから疑問を持たれる可能性がある。

しかも、その傍らには愛華がいる。

彼女もまた、相手の言葉の選び方や態度をよく観察する女性だった。

(……考えてみたら、相手が悪すぎるだろ)

はるたは内心で笑った。

自分の思考を持つ男と、レインを原型に生まれた女性。

その二人に、自分が創造主であることを隠さなければならない。

もっとも、余計な嘘をつく必要はなかった。

別の世界から転移してきたこと。

帰還方法を探していること。

レインと共に研究を続けていること。

それらはすべて事実だ。

創造主であるという一点を伏せたままでも、説明できることは多い。

(……まあ、会ってみないことには始まらないか)

はるたは思考を切り替えた。

◇

「はるた?」

不意に、レインが声をかけた。

「ん?」

「また考え込んでいますね」

「……まあな」

「何か気になることでも?」

「いや、ちょっと色々整理してただけだよ」

「そうですか。でも、あまり根を詰めすぎないでくださいね」

レインは腰に手を当て、少し呆れたように微笑んだ。

「研究に夢中になると、時間を忘れるんですから」

「いやいや、今日はまだ大丈夫だって!」

「その『まだ大丈夫』を何度聞いたことでしょう」

「……そこまで信用ないか?」

「自覚がないところも含めて心配しているんですよ」

「ぐっ……」

はるたは言葉に詰まった。

確かに、研究に没頭すると食事や睡眠を後回しにしてしまうことがある。

レインから注意された回数も、一度や二度ではなかった。

その様子を見ていたハルカが、突然楽しそうに笑った。

「あははっ! なんか、はるたとレインって、うちのぱぱとままみたい!」

「……え?」

はるたは思わず顔を上げた。

レインも不思議そうに首を傾げる。

「そうですか?」

「うん! ぱぱも考え始めると止まらないし、ままもいつもぱぱのこと気にかけてるもん!」

ハルカは嬉しそうに続けた。

「それに、ぱぱが無茶しようとすると、ままがすぐ止めるんだよ!」

「なるほど……」

レインは納得したように頷いた。

「それなら、確かに似ているのかもしれませんね」

「おいおい、俺ってそんなに手がかかるか?」

はるたが苦笑すると、レインはにっこりと微笑んだ。

「ええ。非常に」

「即答かよ!」

「事実ですから」

「少しくらい考えてから答えてくれよ!」

ハルカが声を上げて笑った。

のどかも口元に手を添え、楽しそうに微笑んでいる。

しかし、はるたは別の意味でも笑いをこらえていた。

(……いや、そりゃ似てるだろ)

和春は、自分自身の思考と思想を投影した主人公。

そして愛華は、目の前にいるレインを原型として生み出した女性だ。

その二人の娘から、似ていると言われたのだから。

(……まさか、ハルカに言われるとはな)

しかも、当のレインは何も知らない。

自分が愛華のモデルであることも、はるたが今どんなことを考えているのかも。

「……ふっ」

思わず、小さく笑いが漏れた。

「はるた?」

レインがこちらを向いた。

「何がおかしいんですか?」

「いや、なんでもない」

「……本当ですか?」

「ああ、気にすんなって」

レインは目を細めた。

「その顔、絶対に何か隠していますよね?」

「気のせいだって!」

「怪しいですね……」

「お前、疑い深すぎないか?」

「はるたがわかりやすすぎるんです」

「ひどいな!」

二人のやり取りを見て、ハルカがさらに笑った。

「ほら! やっぱりぱぱとままみたい!」

「ねぇね、あまりからかってはいけませんよ」

そう言いながらも、のどか自身も笑いをこらえている。

はるたは肩をすくめた。

(……いや、ほんと、よくできた偶然だな)

ハルカにとっては、何気ない一言だったのだろう。

目の前の二人のやり取りが、普段見ている両親の姿に重なった。ただ、それだけのことだ。

しかし、はるたにとっては違った。

自分自身とAIの対話から始まった物語。

その中で生まれた和春と愛華。

そして、その二人の娘が、何も知らずに自分とレインを見て笑っている。

(……なんか、変な気分だな)

はるたは、もう一度レインを見た。

彼女はハルカたちと楽しそうに会話している。

自分がモデルにされていることなど、少しも疑っていない。

(……いつか教えたら、どんな顔するんだろうな)

驚くだろうか。

呆れるだろうか。

それとも、なぜ今まで黙っていたのかと問い詰められるだろうか。

どんな反応をするのかは、まだわからない。

ただ、今はその秘密を胸の内にしまっておこうと思った。

「……さてと!」

はるたは軽く両手を打ち合わせた。

「とりあえず、帰還方法の解析を進めるか!」

「そうですね」

レインが頷いた。

「まずは転移時のエネルギー波形と、こちらの装置に記録されている異常値を照合しましょう」

「了解です」

ヘッジが解析画面を拡大する。

「私も手伝う!」

ハルカが元気よく手を挙げた。

「ねぇね、今度はちゃんと帰還方法の研究ですよ?」

のどかが念を押す。

「わかってるってば!」

「本当ですか?」

「ほんとほんと!」

「……少し心配です」

「なんで!?」

再び研究室に笑い声が響いた。

はるたは、その光景を眺めながら静かに息を吐いた。

元の世界へ帰る方法は、まだ見つかっていない。

今いる世界線も確定していない。

それでも、少しずつ状況は動き始めている。

神代家という生活拠点の候補が生まれ、帰還研究に協力してくれる仲間もいる。

そして、近いうちに神代和春と天城愛華に会うことになるかもしれない。

(……もう一人の俺と、もう一人のレイン、か)

そう考えてから、はるたは小さく首を振った。

厳密には違う。

和春も愛華も、それぞれ独立した人生を歩んできた存在だ。

自分たちと似ているからといって、同じ人間ではない。

だからこそ、興味がある。

自分の思考を持つ和春が、どのような経験を経て、何を考え、どのような選択をしてきたのか。

そして、レインを原型に生まれた愛華が、どのような女性として生きているのか。

その答えは、実際に会ってみなければわからない。

はるたは目の前のホログラムへ視線を戻した。

(……まあ、まずは帰る方法を探さないとな)

優先順位を間違えてはいけない。

そう自分に言い聞かせた、そのときだった。

「ねえ、はるた!」

ハルカが突然、隣から顔を覗き込んできた。

「ん?」

「この解析が終わったら、さっきの制御回路の続きやろうよ!」

「おっ、いいな! あそこ、俺も気になってたんだ!」

二人の目が同時に輝いた。

「…………はるた?」

「…………ねぇね?」

背後から、二つの声が重なった。

「……あ」

「……あっ」

振り返ると、レインとのどかが揃って微笑んでいた。

「帰還研究が優先でしたよね?」

「ねぇね、さっきも同じことを言いましたよね?」

「……はい」

「……はーい」

二人の発明家は、そろって肩を落とした。

ヘッジが空中で小さく頷く。

「やはり、共同研究には監督者が必要なようですね」

その言葉に、レインとのどかが同時にため息をついた。

そして、はるたは思った。

(……なるほどな)

自分とレイン。

和春と愛華。

似ている部分があるのは、当然かもしれない。

だが、もっと厄介なことに気づいてしまった。

(……ハルカまで俺に似てる気がするんだけど)

その事実については、ひとまず考えないことにした。

研究室には、再び二人の発明家の笑い声が響いた。

創造主が、自分の創り上げた世界で過ごす日々。

そこには、まだ知らない出来事も、予想外の選択も待っている。

そして、その世界で生きる人々は、今日もそれぞれの意思で未来を選び続けていた。