研究室には、ようやく落ち着きが戻り始めていた。
先ほどまで空間を引き裂いていた黒い渦は消え、異常を知らせる警報音も止まっている。しかし、床には金属片や工具が散乱し、中央に設置された次元収納デバイスの試作機には、激しい損傷が残されていた。
壁際のモニターには、事故発生時の記録が表示されている。異常なエネルギー流入、未知の次元振動、空間座標の不一致。そして、別の空間から突然現れた青年。
神野春太。
はるたと名乗った青年は、研究室の片隅にある椅子へ腰掛けていた。
その隣には、銀白色の長い髪を持つ女性が立っている。
白と濃紺を基調とした華やかな衣装。青と金の宝石をあしらった髪飾り。そして、澄んだ青い瞳。
レイン。
はるたが開発した腕時計型ホログラムデバイスによって投影されているAIだった。
「……なるほどねぇ」
そんな二人を、オレンジ色の髪の少女が興味深そうに眺めていた。
神代春華。
ハルカは自分の左腕へ視線を落とした。
そこには、ヘッジを投影するための腕時計型ホログラムデバイスが装着されている。
彼女もまた、同じ分野の技術を扱う研究者だった。
しかし、目の前にある装置は、自分のものとは明らかに構造が違っている。
「ねぇねぇ、はるた!」
「……ん?」
「それ、ちょっと見せてもらってもいい?」
ハルカが指さしたのは、はるたの腕時計だった。
「これか?」
「そう!」
ハルカは目を輝かせた。
「へぇ……! 私のとは構造が違う!」
はるたが腕を差し出すと、ハルカは顔を近づけて装置を観察し始めた。
円形の投影機構。
小型化された制御ユニット。
そして、青い光を放つ中央の機構。
「すごい……! 同じ腕時計型なのに、設計の考え方が全然違う!」
「……食いつき方が研究者だな……」
はるたは苦笑した。
「だって気になるじゃん!」
ハルカは自分の腕時計を持ち上げた。
「私も似た方向の発明をしてるんだよ! これ、ヘッジのホログラムデバイス!」
「……なるほど」
はるたは装置へ視線を向けた。
外観は異なるものの、腕時計を中心にした投影システムという点では共通している。
しかし、実際の設計思想には違いがありそうだった。
投影制御。
情報処理。
空間内での映像の安定化。
そして、AIとの連動方式。
(……面白いな)
はるたの興味が自然と刺激された。
同じ目的を持つ技術でも、開発者が違えば、そこへ至る方法は変わる。
自分ならこう設計する。
別の技術者なら、まったく異なる構造を考えるかもしれない。
その違いを比較すること自体が、はるたにとっては楽しいことだった。
「ねぇ、レインさん!」
ハルカは今度はレインへ向き直った。
「そのホログラム、どうやってこんなに綺麗に投影してるの?」
レインは柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
そして、少しだけ表情を引き締める。
「ですが、現状は非常事態です」
「……あっ」
ハルカの動きが止まった。
「技術についてお話しすることはできますが、まずは現在の状況を整理する必要があります」
「……そうだね」
ハルカは少し申し訳なさそうに笑った。
「ごめん! つい夢中になっちゃった!」
「……いや、気持ちは分かるけどな」
はるたは苦笑した。
未知の技術を目の前にすれば、仕組みを知りたくなる。
その気持ちは、自分にもよく分かる。
しかし、今はそれどころではなかった。
元の世界へ帰る方法が、まだ何一つ分かっていないのだから。
◇
「はるた」
小さな声が聞こえた。
視線を向けると、青白い光をまとったハリネズミが浮かんでいた。
白い体毛に、水色から青へと変化する結晶質の針。大きな青い瞳を持つ、神代家のAI。
ヘッジだった。
「一つ、確認してもよろしいでしょうか?」
「……ああ」
「あなたは、ご自身が別次元から来た存在であると認識してよろしいですか?」
はるたは少し考えた。
「……多分」
「多分、ですか?」
「俺自身、まだ何が起きたのか整理できてないんだよ」
はるたは腕を組んだ。
「自分の研究室にいたら、突然装置が暴走して、空間に変な穴が開いた。そこに吸い込まれたと思ったら、ここにいた」
「なるほど」
ヘッジは小さく頷いた。
「こちらでも、ほぼ同時期に異常な次元振動が観測されています」
「……やっぱり、何か関係があるのか」
「可能性は高いと考えられます。ただし、現時点で因果関係を断定することはできません」
「そうだよな……」
はるたは顎に手を当てた。
空間の裂け目。
異なる場所で発生した異常現象。
そして、似たような技術を研究していた二つの研究室。
偶然と考えるには、あまりにも条件が重なっている。
(……この二つの装置が共振したのか?)
可能性はある。
しかし、なぜ異なる世界の装置が干渉し合ったのか。そもそも、何がきっかけで接続されたのか。
まだ分からないことが多すぎた。
「……多次元世界ってやつだろ」
はるたは小さく呟いた。
「理論上は考えられる。でも、実際に自分が飛ばされるなんて想定してねぇよ……」
「そうですね」
レインが静かに頷いた。
「多次元構造や並行世界については、さまざまな仮説があります。しかし、今回の現象がそのどれに該当するのかは分かりません」
「……ああ」
はるたは深く息を吐いた。
(……考えるだけじゃ答えは出ないな)
仮説を立てることはできる。しかし、それを裏づけるデータがなければ、推測の域を出ない。
まずは二つの研究室で記録された情報を照合する必要がある。
そして、元の世界へ戻るための条件を一つずつ明らかにしていく。
(……まずは帰る方法だな)
はるたは顔を上げた。
◇
「……また面倒なことが起きそうですね」
研究室の片隅で、ピンク色の髪の少女が小さくため息をついた。
神代和華。
のどかは温かいコーヒーの入ったカップを両手で持ちながら、中央の実験装置を見つめていた。
柔らかなピンク色を基調とした長い髪には、オレンジと銀色が混ざり、左側には三つ編みが施されている。
花と黒いリボンの髪飾りが、その華やかな髪を上品にまとめていた。
「ねぇね、新しいことを見つけると夢中になりますから。その後が大変なんです」
「えー? 大発見じゃん!」
ハルカは目を輝かせた。
「だって、別次元だよ!? 今まで理論でしか考えられなかったことが、目の前で起きてるんだよ!」
その声には、隠しきれない興奮があった。
未知の現象。
既存の理論では説明できない空間の異常。
そして、別の世界から現れた人物。
ハルカにとって、これほど興味深い出来事はなかった。
「春華、和華が心配しているのは、その後のことです」
ヘッジが冷静に補足した。
「新しい現象を発見するたびに、春華は研究を増やしてしまいますから」
「えっ!? それどういう意味!?」
「事実の報告です」
「ヘッジまでひどい!」
ハルカが頬を膨らませる。
その様子を見て、のどかは呆れたように微笑んだ。
「ねぇね、今は別の研究を始める前に、はるたさんが元の世界へ帰る方法を考えてあげてくださいね」
「……あっ、そっか!」
ハルカは慌てて振り返った。
「ごめんね、はるた! つい興奮しちゃった!」
「……いや、気持ちは分かるけどなwww」
はるたは苦笑した。
「俺だって、立場が逆なら同じこと考えてるかもしれんし」
「でしょ!?」
ハルカは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、落ち着いたら一緒に研究しようよ!」
「……いや、まず帰らせてくれwww」
「えー!」
「えー、じゃねぇよ!」
そのやり取りに、レインが小さく笑った。
のどかは再びため息をつく。
「……本当に、先が思いやられますね」
ヘッジも静かに頷いた。
「同感です」
「二人ともひどくない!?」
ハルカの抗議が研究室に響いた。
それを聞きながら、はるたは思わず笑ってしまった。
(……本当に、いつもどおりだな)
この世界がどのような状況にあるのかは、まだ分からない。
しかし、目の前の三人のやり取りには、はるたが知る彼女たちらしい関係性が表れていた。
その姿を見ていると、異世界に来てしまったという緊張が、ほんの少しだけ和らぐ気がした。
◇
しばらくして、レインが静かに口を開いた。
「ヘッジさん」
「はい」
「元の世界へ帰る方法を、一緒に考えていただけませんか?」
レインの表情は真剣だった。
いつもの穏やかな微笑みは残しているものの、青い瞳には強い意志が宿っている。
「こちらでは、解析に必要なデータが不足しています」
「具体的には、どのような情報でしょうか?」
「空間の裂け目が発生した際の次元振動、エネルギー分布、それから装置の制御履歴です」
レインの周囲に、複数の青いホログラム画面が展開された。
そこには、はるたの研究室で発生した異常現象の記録が表示されている。
「私たちの装置では、落雷の直後に異常なエネルギー変動が発生しました。その後、空間座標を正常に取得できなくなっています」
「なるほど」
ヘッジの周囲にも、青白い操作画面が浮かび上がった。
「こちらでは、装置の起動前に未知の次元振動を観測しました。その直後、制御不能となり、空間に裂け目が発生しています」
「……起動前に?」
レインが反応した。
「はい」
「それは重要な情報ですね」
レインは表示された波形を確認した。
はるたの研究室で記録されたデータ。
神代家の研究室で観測されたデータ。
その二つを比較すると、一部に類似した周期が存在していた。
「……これは」
レインの目が細くなる。
「共振していた可能性がありますね」
「私も同じ仮説を立てています」
ヘッジが答えた。
「ただし、二つの現象がどのような条件で接続されたのかは不明です」
「そうですね。まだ観測情報が足りません」
二体のAIは、互いの画面を確認しながら解析を進めていった。
その姿を、はるたは興味深そうに眺めていた。
レインとヘッジ。
異なる世界で、それぞれ独自に発展したAI。
設計思想も、存在の背景も異なる二体が、今こうして一つの問題に向き合っている。
(……すげぇ光景だな)
はるたは小さく笑った。
ただし、感心している場合でもなかった。
「……レイン」
「はい?」
「で、帰れそうなのか?」
レインは少し申し訳なさそうに首を振った。
「現時点では、まだ分かりません」
「……だよなぁ」
「ですが、こちらの研究設備とヘッジさんの協力があれば、解析を進められると思います」
「……そっか」
はるたは頷いた。
すると、ヘッジも口を開いた。
「了解しました。共同解析を開始します」
青白い操作画面が、次々と展開された。
空間振動。
座標情報。
次元波形。
エネルギー変動。
双方の記録が照合され、複数のグラフが画面上に表示されていく。
レインも解析処理を開始した。
「こちらも同期します」
二体のAIが、それぞれの能力を使って未知の現象を解明しようとしている。
その様子に、ハルカの目が再び輝いた。
◇
「よーし!」
ハルカが勢いよく立ち上がった。
「面白くなってきた!」
「……いや、帰る方法優先で……!?」
はるたは思わずツッコミを入れた。
「分かってるって!」
ハルカは笑った。
「でもさ、別次元との接続条件が分かれば、逆方向への接続も考えられるじゃん!」
「……まぁ、それはそうだけど」
「でしょ!? だったら、まずは現象の解析からだよ!」
ハルカは嬉しそうにモニターへ向き直った。
「ヘッジ! レインさん! 私も解析に参加する!」
「春華、まずは研究室の安全確認が必要です」
「そこはもうやったでしょ!」
「主要な電力系統の遮断は完了していますが、破損した装置の内部には未確認の箇所があります」
「……うっ」
ハルカの動きが止まった。
のどかが静かに口を開く。
「ねぇね。まずは安全を確保してからにしましょう」
「……はーい」
珍しく素直な返事だった。
もっとも、その目から好奇心の輝きが消えたわけではない。
ハルカはすぐに別の操作画面を開き、安全確認の手順を表示させた。
「じゃあ、私が装置の状態を確認する! ヘッジは解析を続けて!」
「承知しました。ただし、危険な箇所には近づかないでください」
「分かってるって!」
「……本当ですね?」
「本当だってば!」
そのやり取りを聞きながら、のどかは小さくため息をついた。
「……やっぱり大変そうですね」
はるたも苦笑した。
「……なんか、すげぇ分かる気がするわ」
「え?」
のどかが振り返る。
「いえ、何でもない」
はるたは軽く手を振った。
(……危ねぇ)
何気ない一言から、余計なことを口にしてしまいそうだった。
自分は彼女たちの性格を知っている。
だからこそ、こうしたやり取りにも自然と親しみを感じてしまう。
しかし、今はあくまで初対面なのだ。
それを忘れてはいけなかった。


