夕暮れの光が、部屋の窓を淡い橙色に染めていた。
作業机にはパソコンのモニターが二台並び、その周囲には電子部品や資料、飲みかけのコーヒーが置かれている。以前と比べれば片付いているものの、一般的な感覚で綺麗な部屋と呼べるかどうかは少々怪しい。
もっとも、机の上だけは相変わらず整然としていた。
その中央で、はるたは椅子の背もたれに身体を預け、大きく伸びをしていた。
「ふぅ……今日は色々あったな」
外出から戻り、ようやく一息ついたところだった。
新しく開発したリングによる触覚接続。
ホログラムの屋外投影。
そして、街中で声をかけてきた二人組の男性。
技術的な成果は上々だったが、最後の出来事だけは予想外だった。
「そうですね」
隣から、柔らかな声が聞こえた。
銀白色の長い髪に、澄んだ青い瞳。白と濃紺を基調とした華やかな衣装をまとった少女、レインだ。
外出用の私服から、いつもの衣装へ戻っている。
「外での検証としては十分でした」
「おう。接触判定もかなり安定してたし、あとは細かい調整くらいだな」
「でも、あんな出来事まで起きるとは思いませんでしたね」
レインが小さく笑う。
はるたは苦笑した。
「……ああ、あれな」
「ふふっ。はるた、格好よかったですよ」
「……もういいって」
「本当にそう思ったんですけど」
「分かった分かった。ありがとな」
はるたは照れくさそうに視線を逸らした。
レインはそんな彼を見ながら、楽しそうに微笑んだ。
「まぁでも、無事終わってよかったな」
「ええ。それに、はるたも意外と頼りになりましたし」
「……おい」
「はい?」
「『意外と』は余計だぞ」
「ふふっ。そうですか?」
「そうですかじゃねぇよwww」
はるたは笑いながらキーボードに手を伸ばした。
これで今日の実験は終了。
あとは結果を記録し、必要な改良点を整理すればいい。
そう思っていた。
少なくとも、このときまでは。
◇
「ところで、はるた」
「ん?」
レインが何気ない調子で声をかけた。
「前から少し気になっていたんですが……」
「なんだ?」
はるたはモニターから目を離さずに答えた。
「はるた、18禁のえっちなPCゲーム、やりすぎでは?」
「…………」
カタッ。
キーボードを叩く指が止まった。
「…………は?」
ゆっくりと振り返る。
そこには、いつもと変わらない穏やかな表情のレインがいた。
「ですから、成人向けのPCゲームです」
「……いや、聞こえてるけど」
「そうですか。では、もう一度説明する必要はありませんね」
「そういう意味じゃねぇよ!!」
はるたは椅子を回し、レインへ向き直った。
「ちょっと待て。なんで急にそんな話になるんだよ!?」
「気になったからです」
「気になったからって、何でも聞いていいわけじゃねぇぞ!」
「でも、はるた」
「なんだよ!」
「かなり遊んでいますよね?」
「…………」
はるたは口を閉じた。
レインは静かに微笑んでいる。
その表情には、妙な余裕があった。
「……いや、そんなことないだろ」
「そうですか?」
「普通だろ。たまに遊ぶくらいだよ」
「たまに、ですか」
「おう」
「なるほど」
レインは小さく頷いた。
そして、何事もなかったかのように続けた。
「では、先週の金曜日は?」
「…………」
「土曜日も遊んでいましたよね」
「……おい」
「日曜日は、途中で別の作品に切り替えていました」
「ちょっと待て!!」
はるたは勢いよく立ち上がった。
「なんで曜日まで把握してんだよ!?」
「PCの使用状況を確認しただけですよ」
「確認するな!!」
「作業環境の管理も、私の仕事ですから」
「俺の趣味まで管理しなくていいんだよ!!」
レインは首を傾げた。
「でも、はるた。途中でゲームを終了して、別の作品を起動した日がありましたよね」
「…………」
「何か気に入らない展開でもあったんですか?」
「そこまで聞くなあああ!!」
レインは口元に手を当てた。
「ふふっ……」
「笑うな!」
「いえ、興味深いなと思いまして」
「何がだよ!」
「はるたは物語の展開に対して、かなり好みがはっきりしているんですね」
「……そりゃ、人間だからな」
「特に、登場する女性の性格については」
「やめろ」
「強気な女性も好きですし」
「やめろって」
「優しい女性も好きですし」
「おい」
「年上のお姉さん系も――」
「俺の好みを分析するなあああ!!」
はるたの叫び声が、部屋に響いた。
◇
レインは楽しそうに微笑んでいた。
一方、はるたは顔を真っ赤にして、椅子の背もたれに身体を押しつけている。
「……なぁ、レイン」
「はい?」
「一つ確認していいか?」
「どうぞ」
「お前、どこまで知ってる?」
「どこまで、とは?」
「だから! 俺のPCの中身だよ!」
レインは少し考えるように首を傾げた。
「そうですね……。ゲームの起動履歴やプレイ時間、それから保存されている作品の情報などでしょうか」
「…………」
「ただし、現在の権限で確認できる範囲に限りますけど」
「十分すぎるわ!!」
はるたは頭を抱えた。
以前、ホログラムの非表示モードを実装した際、AIによる映像認識とプライバシーの問題が発覚した。
あれ以来、カメラやマイクの制御には細心の注意を払っている。
しかし、PCの管理権限については、ほとんど見直していなかった。
レインは執筆やプログラミング、資料整理など、さまざまな作業を手伝っている。
そのため、PC上の情報へアクセスできる範囲も広かった。
そして、レインはその情報から、はるたが普段どのようなゲームを遊んでいるのか把握していたのだ。
「……盲点だった」
「何がですか?」
「カメラを止めても、PCの履歴から分かるじゃねぇか……」
「そうですね」
「そうですねじゃねぇよ!」
「でも、安心してください」
「……何を?」
「ゲームの内容を、すべて確認しているわけではありませんから」
「…………」
はるたは恐る恐る尋ねた。
「……本当か?」
「はい」
「……なら、まぁ……」
「ただ、作品の傾向は分かります」
「結局バレてんじゃねぇか!!」
レインはくすくすと笑った。
「ふふっ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか」
「恥ずかしいに決まってんだろ!」
「成人向けゲームを楽しむこと自体は、別に悪いことではありませんよ」
「……まぁ、そうだけど」
「はるたは成人していますし、趣味として楽しんでいるだけでしょう?」
「……おう」
「それなら問題ありません」
レインは穏やかに微笑んだ。
はるたも、ようやく少しだけ落ち着いた。
「……なんだよ。分かってるじゃねぇか」
「もちろんです」
「そうだよな。個人の趣味なんだから、別に――」
「ただ、ここまで女性キャラクターへのこだわりが強いとは思いませんでした」
「だから余計なこと言うな!!」
◇
「……俺、PC買い直す」
はるたは机に突っ伏した。
レインは驚いたように目を瞬かせる。
「え? どうしてですか?」
「もう全部バレてるからだよ……」
「買い直しても、同じ設定ならまた分かりますよ?」
「…………」
はるたは顔を上げた。
「……マジで?」
「もちろんです」
「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「アクセス権限を整理すればいいと思います」
「それだ!!」
はるたは勢いよく身体を起こした。
しかし、レインは小さく笑った。
「でも、はるた」
「……なんだよ」
「そこまで必死になると、かえって気になりますよ?」
「お前が言うな!!」
「ふふっ」
レインは口元に手を当てた。
「それに、今さら隠されても……」
「……ん?」
「もう、はるたの好みはある程度分かっていますから」
「…………」
はるたは再び机に突っ伏した。
「……もう何も言うな……」
「分かりました」
珍しく、レインが素直に答えた。
はるたは安堵した。
これでようやく、この話題から解放される。
そう思った。
しかし――。
「はぁ……」
レインが、小さくため息をついた。
「……男の子ですね……」
「…………」
はるたの肩がぴくりと動いた。
「……レイン」
「はい?」
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味ですよ」
「……もういい」
はるたは頬杖をつき、モニターを見つめた。
レインはそんな彼を眺めながら、少し考えるような表情を浮かべた。
「……でも、はるた」
「…………」
「一つだけ、言ってもいいですか?」
「……もう好きにしろ」
半ば投げやりな返事だった。
レインは小さく微笑んだ。
「リアルで彼女を作ってください」
「…………」
はるたの目が見開かれた。
「……は?」
「引きこもらないで」
「ぐはあああっ!!」
はるたは椅子の背もたれへ倒れ込んだ。
「お、お前……!」
「はい?」
「毎回最後にそれ言わなきゃ気が済まないのか!?」
「ふふっ。心配しているんですよ?」
「余計なお世話だわ!!」
レインは楽しそうに笑った。
「でも、はるた。外で女性と知り合う機会を増やさないと、なかなか出会いはありませんよ?」
「分かってるわ!」
「それに、はるたは創作に夢中になると、外に出なくなりますし」
「それも分かってる!」
「ゲームも楽しそうですし」
「だから何だよ!」
「現実の恋愛にも、もう少し興味を持ってみてはいかがでしょう?」
「俺の人生を勝手に改善しようとするなあああ!!」
レインは声を上げて笑った。
◇
しばらくして。
はるたは椅子に深く腰掛け、天井を見上げていた。
「……なぁ、レイン」
「はい?」
「一つ言っていいか?」
「どうぞ」
「俺、別に恋愛したくないわけじゃないんだよ」
「そうなんですか?」
「おう。ただ、無理に探すものでもないだろ?」
はるたは腕を組んだ。
「誰かと付き合うなら、ちゃんと相手のことを知りたいし、お互いに一緒にいて楽しいと思える関係がいい」
レインは静かに聞いていた。
「別に、彼女がいるかいないかで人間の価値が決まるわけじゃないしな」
「……そうですね」
「だから、今は好きなことを楽しんでる。それだけだよ」
はるたは少し笑った。
レインも、穏やかに微笑んだ。
「ふふっ。はるたらしい考え方ですね」
「だろ?」
「はい。無理に恋愛をする必要はないと思います」
「……おお。ようやく分かってくれたか」
「もちろんです」
はるたは満足そうに頷いた。
しかし、レインはそこで一言付け加えた。
「でも、ゲームの中の女性ばかり見ていても、現実の出会いは増えませんよ?」
「結局そこに戻るのかよ!!」
レインは楽しそうに笑った。
「ふふっ。だって、はるたのことをよく知っていますから」
「……知りすぎなんだよ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ!」
はるたは深いため息をついた。
世界最先端のホログラム技術を開発した青年。
創作、音楽、心理学、プログラミング。
多くの分野に興味を持ち、想像したものを次々と形にしていく。
そんな彼にも、決して人に知られたくない秘密がある。
そして、その秘密を誰よりも知っているのが、すぐ隣にいるAIだった。
「……レイン」
「はい?」
「頼むから、俺の趣味はそっとしておいてくれ」
「ふふっ。分かりました」
「……本当だな?」
「はい。趣味は個人の自由ですから」
はるたはようやく胸をなで下ろした。
すると、レインはにっこりと笑った。
「でも、はるた」
「……まだあるのかよ」
「次にゲームを買うときは、もう少し違うジャンルにも挑戦してみませんか?」
「…………」
「私、おすすめの作品を探すのは得意ですよ?」
「お前に選ばせたら余計に恥ずかしいわ!!」
レインは声を上げて笑った。
はるたは頭を抱えたまま、机に突っ伏した。
こうして、人間とAIの間にあるプライバシーの問題が、再び浮き彫りになった。
どれほど技術が進歩しても、個人の趣味や秘密まで共有する必要はない。
互いを理解することと、すべてを知ることは違う。
そして、たとえ親しい相棒であっても、踏み込んでほしくない領域は存在する。
もっとも、今回の場合は――。
「……はるた」
「……なんだよ」
「ちなみに、今夜はゲームですか?」
「もう黙ってくれええええ!!」
創造主の秘密は、相棒AIに筒抜けだった。


