君という夢を描いて The after story―Embrace it all―

 小さな寝息が聞こえる。
 梨歩はベッドの上で、腕の中の我が子を見つめていた。
「……かわいい」
「ああ」
 隣に座る亞紗斗も、同じ顔ようにその顔を見ている。
 生まれたばかりの、小さな男の子。

 梨歩が指先を近づけると、小さな手がきゅっと握った。
「亞紗斗さん」
「何だ」
「名前……決めた?」
「ああ」
 梨歩が顔を上げる。
「ほんと?」
「ああ」
「教えて」
「律」
「……りつ?」
「ああ」
 亞紗斗は、息子の小さな手をそっと包んだ。

「ガーディナー律エリオット」
「律……エリオット」
 梨歩が、確かめるように繰り返す。

「すごく綺麗な名前。品があって」
「そうか」
「どうして律なの?」
 亞紗斗は少しだけ黙った。

「音楽の律だ」
「……音楽?」
「ああ」
 ヴァイオリンを奏でる父。
 歌を歌う母。
「音には、それぞれ律がある」
「うん」
「速いものも、遅いものもある。誰かに合わせることもあれば、自分で刻むこともある」
「……うん」
「こいつには、自分の律で生きてほしい」
 梨歩の瞳が、少し潤んだ。

「誰かと同じじゃなくていい」
「うん」
「俺とも、梨歩とも違っていい」
「うん……」
「自分の音を見つければいい」

 梨歩は、眠る息子の顔を見つめた。
 夢を押しつけるのではなく、誰かと同じ道を歩ませるのでもない。ただ、自分の心に耳を澄まし、自分で選んだ人生を歩んでほしい。そんな願いが、亞紗斗の言葉には込められていた。
「じゃあ、エリオットは?」
「……響きが好きだった」
「それだけ?」
「悪いか」
「ふふ。亞紗斗さんらしい」
 けれど、亞紗斗は静かに続けた。
「それと、こいつには日本だけじゃなく、もっと広い世界を見てほしいと思った」
「……世界」
「ああ。どこに生まれたとか、どこの国の血が流れているとか、そういうものに縛られずに」
「うん」
「自分が行きたい場所へ行けばいい」
 梨歩は、腕の中の小さな命を見つめる。

 いつか、この子にも好きなものができる。夢ができる。大切な人ができる。
 そのとき、誰かの決めた道ではなく、自分の心が選んだ道を歩いていけるように。

「なんか、律にすごく似合う気がする。名前の響きといい、賢い子になりそう」
「ああ」
「それに、何より」
「何だ」
「パパそっくり」
「それは知らん」
「そっくりだよ」
「まだわからないだろう」
「この髪色といい、目の色といい。絶対亞紗斗さんだし」
「それだけだろ」
「充分遺伝要素揃ってるじゃん」
「……だな」
「そうだ。瑠花ちゃんの予言」
 梨歩は思い出したかのように言った。
「ドンピシャだったね」
「そうだな。すっかり忘れていた」

 エディと若葉の娘・瑠花。
 誰よりも早く梨歩のお腹にいる律の存在に気づき、男の子であることはもちろん、髪や瞳の特徴まで言い当てていた。
 そんな瑠花は今、少し前に生まれた弟・玲の世話をしたくて仕方がないらしい。何でも自分でやりたがり、大人に止められるたびに「イヤ!」。若葉いわく、弟が生まれてから別の意味でイヤイヤ期が加速しているのだとか。
 

「ねえ、律」
 梨歩が微笑む。
「パパがね、すっごく考えてくれたんだよ」
「余計なこと言うな」
「照れてる?」
「照れてない」
「ふふっ」
 亞紗斗が息子の額へ指先を触れる。

「律」
 初めて、その名を呼ぶ。
「好きに生きろ」
 梨歩が思わず笑った。

「最初に言うこと、それ?」
「大事だろ」
「まあ……亞紗斗さんらしいけど」
 梨歩は、亞紗斗の肩にそっと頭を預ける。
 小さな寝息が、静かな部屋に響いている。
 自分だけの音を見つけ、誰かと違うことを恐れず、広い世界のどこへでも歩いていけるように。

 愛する父と母の願いを胸に、その子は新しい人生の最初の夜を眠っていた。

 彼の名は――
 ガーディナー律エリオット。