安楽―死―ステム


「こちらに署名をお願いします」

 選択式安楽死システム管理所長、枢木(くるるぎ)渉(わたる)はその表情をヴェールに隠したまま、目の前の少女に紙とペンを差し出した。

「星野(ほしの)綺羅々(きらら)様ですね。ご家族に安楽死選択の事前連絡はなされていますか?」
「はぁ? バカじゃないの。こんなとこに来といて親の同意なんかあるわけなくない? ちょっと考えればわかるでしょ」
「失礼いたしました。保護者の同意無しとのことですので、今一度、選択式安楽死制度についてご本人様へご説明をさせて頂きます」

 少女、星野(ほしの)綺羅々(きらら)の暴言をたいして気にとめる様子もなく、枢木所長は手元の資料を読み上げていく。形式上の説明には全く興味が無いのだろう。綺羅々は枢木の話を聞く素振りも見せずに、派手なネイルが施された爪をいじっている。ブリーチで抜かれた金髪に派手なメイク。おおよそ、安楽死とは程遠く見えた綺羅々を横目に、部下は枢木の顔色を伺っていた。

「…………という権利が保護者に委ねられておりますので、…………の場合、未成年の方にはこちらの同意書の内容のご確認と署名をお願いしております」

 小さな文字で細かく書かれた同意書を何枚も出されると、綺羅々はあからさまに嫌そうな表情で眉をひそめた。

「あのさぁ、さっき安楽死の契約書にサインしたじゃん。んで、安楽死させてくれるっていうなら他のことはどーでもいいの。こっちは早く死にたいわけ。分かったら、さっさと準備してよ」
「それは、こちらの同意書には署名は頂けないということでしょうか?」
「だから、そー言ってんじゃん。めんどいなぁ。また何枚も読み上げられるとか、マジで勘弁なんだけど」
「こちらの同意書に署名頂けない場合、保護者様とのトラブルに発展する可能性が……」
「そんなん、あたしが死んだあとのことはそっちで何とかしてよ。どうせ、もう死ぬんだから親とか関係ないじゃん」
「承知いたしました。星野様のご希望により、未成年の方への注意事項について割愛させて頂きます。それでは、こちらの装置にお入りください」
「はいはーい」

 最期まで面倒くさそうにしていた綺羅々が装置に入るのを確認すると、枢木所長は装置の蓋を閉めて深々とお辞儀をした。

「逝ってらっしゃいませ。それでは、良い安楽死を」

 その瞬間、綺羅々の脳裏によぎったのは悔(・)し(・)さ(・)だった。

 (あはっ、あたしマジで今から死ぬんだ。ウケる……。マジであたしの人生しょーもな。…………なんで。なんで、あんな奴らの為にあたしが死ななきゃならないわけ? あいつらが死ねばいーじゃん。なんで、あたしが…………クソ……)

 システムが綺羅々の未(・)練(・)を検知した。

『…………の脳波を検知しました。システムを冷凍睡眠に変更します』
 
 ◇ ◇ ◇
 
「綺羅々ちゃんっ! 綺羅々ちゃん、聞こえてるっ!? ママだよ……っ! ねぇっ、ちょっと! 全然起きないんだけど、本当に大丈夫なんでしょうねぇ!」

 ぼんやりとした意識の中、聞き慣れた甲高い声が聞こえる。

 (……うるさい。あたし、死んだんじゃ……)

 徐々に脳が覚醒し、綺羅々は目を開けた。
 目を開くと、目の前には涙いっぱい目に溜めた母親の顔が見えた。

「綺羅々ちゃん……っ! 良かった! 目を覚ましたんだね! 本当に心配したんだからね! 綺羅々ちゃんに何かあったら、ママは……っ」

 母親に抱きしめられた綺羅々の顔が、みるみるうちに青ざめていく。

「なん、で……。なんで、あんたがここにいるんだよ……っ! ねぇっ、なんであたしは死んでないわけ!? あんたらあたしを騙したの……っ!?」

 母親から逃れるようにベットの下へと転がり落ちると、それを支えようとした枢木所長の胸元を震える手で掴みあげた。

「脳波に異常が検知された為、星野様には冷凍睡眠(コールドスリープ)が実行されました。また、お母様から政府に冷凍睡眠(コールドスリープ)解除の問い合わせがありまして、未成年の方で同意書に署名を頂けていない場合は保護者の権利が優先されますので、通常起床設定の三年とは異なりますが冷凍睡眠(コールドスリープ)解除の運びとなりました」
「なんだよ、それ……。そんなの聞いてな……っ」

 そう言いかけて、契約書を書いた後に何枚も出てきた同意書の読み上げを拒否したことを思い出す。

「未成年の方の場合、国の法律で保護者の同意なしの行動は原則として認められておりません。但し、選択式安楽死制度の性質上それも困難とされ、同意書に署名がある場合はご本人の意志を尊重することになっております」

 視界が揺れる。最早、淡々と述べられている事実なんてどうでもいい。綺羅々は憎(・)悪(・)の(・)対(・)象(・)である母親を睨みつけて叫び散らかした。
 
「……ふざっ、けんな……っ! わざわざ起こしやがって……! あたしが何の為に……。誰のせいでこんなことしたと思ってんだよ……っ!」
「なんで、綺羅々ちゃん……っ!」
「ふざけた名前であたしを呼ぶなっ! あんたなんか、親でもなんでもない! あんたの顔だけは見たくなかったんだよ! あんたの連れてきた男にあたしが何されてたか知ってたんだろ!? あたしは……、あんたの……、お前らのせいで……っ!」

 死を覚悟していた。
 自分の人生、母親(こいつ)のそばにいる限り、もうどうしようもないと分かっていたから、死ぬのは怖くなかった。
 それなのに、目を覚ましてしまったかと思えば自分に死を決意させた相手が、まるで心配していたかのような顔でこちらを見下ろしている。
 ——なんて、悪夢だろうか。

 パニックになり、発作を起こす綺羅々を職員が止める。
 面会謝絶。追い出される母親と叫び続ける綺羅々の様子を、唖然とした表情で見つめている部下に枢木は言った。

「よく見ておきなさい。こういうことも稀に起こるんですよ。未成年という保護者の権利が強い年頃において、安楽死を望んだ理由が保護者である場合にね」
「事前の聞き取り調査でこういうのって分からないものなんですかね……。あの子にとって、こんなの地獄ですよ……」
「難しいでしょうね。貴方はこれから自分が死ぬと決めた時に、理由を聞かれて正直に話しますか? もう死ぬのだからどうでもいい、と投げやりにならないわけがないんですよ。そんな時に一番顔も見たくない相手に起こされるなんていうことを想像出来ますか?」
「……無理ですね。あの子、どうなっちゃうんですか? このまま、安楽死続行ってわけにはいかないですよね」
「まずはカウンセラーによる聞き取り調査でしょうね。それと、児童相談所に連絡を」
「はい。すぐに」

 枢木は慌てて駆けだしていった部下の背中を見つめていた。
 
 ◇ ◇ ◇

「枢木所長、星野綺羅々さんの件で……」

 担当したカウンセラーの報告によると、親と縁を切りたがっていた星野綺羅々が高校や児童相談所に相談しても取り合ってくれなかったようだった。
 母親の連れてきた男にされたことは伏せ、母親との関係性だけで主張をしていたのだそうだから、あの母親の様子では反抗期として片付けられるのも仕方がなかったのだろう。どれだけ子供側が縁を切りたがっていても、未成年の親子の縁を切るのは難しい。
 だからこそ、自らの死を願うようには見えなかった星野綺羅々も安楽死を選択したのだ。

「憲法の選択式安楽死制度の中に、保護者の申し立てによって冷凍睡眠(コールドスリープ)解除をした場合であっても、健全な親子関係でないと判断された場合はご本人の意思を尊重することになっています。私は当局のカウンセラーとして、星野綺羅々さん親子の離別を進言いたします」
「では、そのように動きましょう。私から星野綺羅々様へ希望を伺います。各所に事前連絡をお願いします」
「承知しました。宜しくお願いします」

 カウンセラーとわかれて、枢木は星野綺羅々の部屋へと向かった。

「…………何の用。さっさと安楽死させてくれる気になったの」
「いえ、本日は星野様の希望を伺いにまいりました」
「希望? そんなの安楽死に決まってんじゃん」
「はい。勿論、安楽死を選択することも可能です」
「それなら……!」
「それとは別に、今のご家族と離別して、戸籍を変えて別人として生きるというのは選択肢に入るでしょうか? 星野様の希望があれば、我々はそのように動きます」

 ここへ来て初(・)め(・)て(・)、綺羅々の瞳に光が宿る。

「なに、それ。また騙そうってわけじゃ、ない……の? あたし、あいつらから離れられるの……? あいつらがいないところで生きていいの……?」
「貴女が望むのならば」
「あたし、もう綺羅々じゃなくていいの……?」
「新しい戸籍を用意いたします」
 
 綺羅々の肩が震えて、握りしめたシーツが涙で濡れる。

「……お願い、します。……助けて、ください」
「承りました。すぐに手配いたします」

 枢木が部屋を後にすると、綺羅々のしゃくり上げるような泣き声が聞こえてきた。