安楽―死―ステム

 ——人間とは、『死』を忌避する生き物である。

 留まることのない年間自殺者数の増加を重く見た政府は、ついに『選択式安楽死システム』を国の制度として導入した。

「こちらに署名をお願いします」

 無機質な室内に重苦しい空気が漂っている。目元をヴェールで隠した白衣姿の男が、俯いて座っている少女に一枚の紙とペンを差し出した。少女はこの場に似つかわしくない真っ白なセーラー服に身を包んでいた。

「神木(かみき)涼子(りょうこ)様ですね。ご家族に安楽死選択の事前連絡はなされていますか?」
「…………そんなの。言えるわけ、ないじゃないですか」
「かしこまりました。保護者の同意無しとのことですので、今一度、選択式安楽死制度についてご本人様へご説明をさせて頂きます」

 お役所仕事をこなすように、男は何の感情も見せずに淡々と手元の資料を読み上げていく。

「選択式安楽死制度とは、自らの死を望む者に安全で快適な死を国で保証する制度になります。こちらにございます装置に入って頂いた後に、冷凍睡眠(コールドスリープ)ガスを注入いたします」
「冷凍睡眠(コールドスリープ)……っ!? そんなの、聞いてないっ……! 死なせてくれるんじゃなかったの……っ!?」
「神木様、落ち着いて下さい。冷凍睡眠(コールドスリープ)はあくまでも、万が一の場合に備えた保険です」
「…………保険?」
「こちらにご署名頂いた方の死(・)に(・)た(・)い(・)という気持ちに嘘があるとは申しません。しかし、本当の死に直面した際に自らの選択を後悔する方がいないとは言いきれません」

 後悔、と聞いて、神木(かみき)涼子(りょうこ)の肩がびくりと震えた。自暴自棄ともいえる勢いでここまで来たのだ。冷静になってはいけない、と涼子の頭の中で警鐘が鳴る。
 
「こちらの装置で皆様の脳波を読み取ります。そして、死に直面した瞬間の不安や後悔が僅かでも検知された場合は、安全装置(コールドスリープ)が作動します」
「僅かでもなんて……、無理に決まってる。死ぬのは怖いもん……。そんなのって、受け入れてるように見せて結局ここも同じ。死んじゃだめだって言ってるのと同じじゃないですか……!」
「生き物として、死は忌避されて当然です。ですから、読み取られた脳波が、生から解放されることへの安心や癒しであれば、この選択が間違いでは無いと判定して安楽死をもたらすのです」

 涼子は愕然(がくぜん)と拳を握りしめた。ここまでしても逃げられないのかと、冷や汗とともに絶望感が襲いかかる。そんな涼子に向かって、男は温度を感じさせない声で告げる。

「ご安心下さい。冷凍睡眠(コールドスリープ)となった場合、通常三年で目覚める設定となっております。冷凍睡眠状態も脳は稼働し続けることになりますので、すっきりとした目覚めで心の整理もついていることでしょう。お目覚めの際に気持ちが変わらないようであれば、そこで再度、安楽死の処置をさせて頂きます」

 国が定めた安楽死制度と言っても、旧時代風に言えばようは自殺だ。自分に二度も自殺する覚悟があるだろうか、と涼子は不安げな表情を浮かべた。それでも、ここで後戻りするなんて出来るわけがない。

「……分かりました。冷凍睡眠から目覚めた時にもう一度望めば、今度こそ殺してくれるんですよね?」
「勿論でございます。安らかな安楽死をお約束いたします」

 そう言うと、男は口角を上げて微笑んだ。
 涼子にとって、心の温度を感じさせない不気味な死神のような男の姿が、なにより救いに見えた。

 (この人なら、本当に私を殺してくれる……)

 死神が事務的に鎌を振り下ろすように、この男なら躊躇うことなく安楽死システムのボタンを押すだろうという確信があった。

「宜しくお願いします」
「承りました。それでは、こちらの装置にお入りください」

 男に誘導されて、涼子は装置に寝転がった。これから死ぬのだという実感は湧かなかった。男が装置の蓋を閉めて深々とお辞儀をした。

「逝ってらっしゃいませ。それでは、良い安楽死を」

——ブツン。

 と、意識が途切れる間際、涼子は何を思ったのか。
 涼子が入った装置を見下ろす男に、部下らしき男が声をかける。

「所長、こちらは四十三番ポットに移動で宜しいでしょうか?」
「えぇ。三年後の起床設定を忘れないようにして下さい」
「こう言っちゃなんですけど、今のところ安楽死制度っていうか、冷凍睡眠(コールドスリープ)制度ですよね。一回で安楽死出来た人って見たことないんですけど」
「それだけ、深層心理では死を拒んでいる方が多いのでしょう」

 所長と呼ばれた男が、眠りについた涼子に視線を送る。
 涼子の入った装置を移動する部下とともに四十三番ポットに足を踏み入れる。そこには、同じ装置に入り、冷凍睡眠からの目覚めを待つ自殺志願者達が積み上げられていた。

「ここにいる人達、自殺だったらとっくに全員死んでいるんですもんね。国の制度導入は正しかったってことですかね」

 部下の問いに答えることなく、所長は深くヴェールを被り直した。
 
 ◇ ◇ ◇

「涼子……っ! 涼子っ、聞こえる……っ!? あぁ……っ、良かっ……」

 見知らぬ白い天井、憔悴した母親の顔、重たい身体。
 神木涼子は冷凍睡眠(コールドスリープ)から三(・)年(・)ぶ(・)り(・)に目を覚ました。

 (私、何してたんだっけ……)

 焦点の合わない涼子の視界に、白衣を着た死神のような男が映る。

(……安楽死、制度。そっか。……私、死ねなかったんだ)

 死ねなかったことへの不満か、安心か。自分の感情がどちらを示しているのか、ぼんやりとした思考では整理が出来ない。それでも一つ言えるのは、あ(・)の(・)瞬(・)間(・)抱えていた激情が今の自分には無いということだ。

「……涼子、どうして、こんな……。……っ、違う、そうじゃないよね。お母さん、全然気づいてあげれなくてごめんね……、こんな、選択させてごめんね……。辛かったよね……、怖かったよね……。それでも……、生きててくれて、良かった……っ」

 (お母さん、痩せてる……。白髪も増えて……。本当に、あれから三年も経ってるんだ……)

 いつも明るくてハツラツとした母の見たことのない弱々しい姿。なりふり構わずに泣きながら抱きつく母の姿に、涼子は初(・)め(・)て(・)死のうとしていたことに実感が湧いた。
 死ぬのが怖かった。本当は死にたくなんてなかった。
 後悔が涙と一緒に溢れ出した。

「おか、あさん……。ごめん……、私……っ、私……」

 言葉にならない声が嗚咽に変わる。

 (高校(いじめ)から逃げたかっただけ……、お母さんに言えなかっただけ……。私、本当は死にたくなかった……)

 あの時、強がって言えなかった本音が溢れ出す。
 
 大人はきっと笑うだろう。親に相談すればいいんだと。虐めてきたやつ(そんなやつ)の為に死を選ぶくらいなら逃げればいいと、高校が世界の全てではないんだと。
 それでも、涼子にとってあの箱庭(高校)が世界の全てだったし、逃げ場なんてどこにも無かった。親に相談なんて出来なかったし、死を選ぶしかないと思い込んでいた。
 逃げた先に生きられる世界があるなんて思いもしなかった。

(——私にとって、あの日の選択は唯一だった)

 死神のような男が、母と抱き合って泣きじゃくる涼子を静かに見下ろしていた。その表情は相変わらず読めないが、どこか微笑んでいるように見えた。
 あの時に感じた恐怖を今は感じない。もう、この男が死神のように見えることもなかった。

 ——あれは、死ぬことへの恐怖だったのだから。

「……お世話になりました」
「……本当に、ありがとうございました」

 深々とお辞儀をする涼子と母親を、所長とその部下が見送りをする。

「いえ、神木様がまたこうしてお母様とお会い出来たこと、我々としても喜ばしいことです。これからどうなされるんですか?」
「……もう、虐めてきたやつら(あいつら)も高校卒業してるみたいだし、転校して……私のこと、誰も知らない場所でやり直してみようと思います。また駄目だったとしても、今度はもっと上手くやれる気がするから……」
「そうですか。……きっと、神木様なら大丈夫ですよ。貴女は一度死んで、生まれ変わったのですから」

 何度も感謝を述べて、振り返りながら去っていく。
 神木親子の顔には笑顔が戻っていた。

「神木さん、もう大丈夫そうですね」
「そうですね。一度、死を覚悟して克服した。この経験は神木様を強くしますよ」
「いやぁ、なんか良いことした気分です」

 どこか誇らしげな部下に、釘を刺すように男は言った。

「勘違いしてはいけませんよ。神木様が安楽死を受け入れていた場合、我々は感謝どころか、一生恨まれていたことでしょう。これは、そういう仕事です」

 所長の言葉に部下が口をつぐんだ。

「貴方はまだ若い。早いうちに転職をおすすめしますよ」

 そう言うと、所長はゆったりとした足取りで仕事へと戻っていった。