大正浪漫、恋するインデックス~おしゃべり女給と文字が苦手な御曹司~

〇カフェー「ミモザ」・店内(翌日・昼)

いつも通り給仕する櫻子。カウンターの奥で、店主の木島が千代の給金袋から何枚か札を抜き、帳面に「部屋代」と書き込む(さりげない一コマ)。

ドアベル。茂文が入ってくる。いつもと顔つきが違う。

茂文「津田。今日で、この店を辞めろ」
櫻子「……え?」

店内がざわつく。帳場の木島が顔を上げる。

茂文「話はあとだ。荷物をまとめろ」
櫻子「待ってください。どうして國衛様が、そんなことを決めるんですか」
茂文「いいから――」
櫻子「よくありません!」

初めて櫻子が声を荒らげる(大ゴマ)。客たちが振り返る。
櫻子は唇を噛み、エプロンを外さないまま、茂文の袖を引いて裏口へ連れ出す。

〇波止場(夕暮れ)

停泊する貿易船。カモメ。並んで立つ二人の間に、ぎこちない距離。

櫻子「……お店の中で、あんな言い方」
茂文「悪かった。だが、あの男の店にお前を置いておけない」
櫻子「木島さんのことですか?あの方は――」
茂文「お前の父親に、無茶な取引を持ちかけたのは木島だ」

櫻子の表情が止まる。

茂文「損が出たあと、残った豆を『相場が三分の一まで下がった』と偽って安く買ったのも木島だ。実際には相場に近い値で転売していた。お前が恩だと思っているのは、それだ」
櫻子「……嘘です」
茂文「嘘じゃない」
櫻子「あの方がいなければ、母も小百合も、とっくに路頭に迷っていました!」
茂文「助けたことと、利用したことは別だ」

櫻子「國衛様に何がわかるんですか!ご自分は何でも持っていらっしゃるくせに!」

言ってから、櫻子がはっとする。茂文は表情を変えない。ただ、ほんの一瞬だけ目を伏せる。

※「何でも持っている」わけではない茂文の秘密を、読者だけが知っている。この一瞬の伏し目で、言葉にせず刺さったことを見せる。

茂文は黙って、懐から茶封筒を差し出す。

茂文「俺には、こういう細かな字は読めない。だから、お前が読め」

櫻子が息をのむ。秘密を、初めて自分の口からはっきり言った茂文。

茂文「真壁に読んでもらって、中身は全部覚えている。でも、お前は俺の言葉じゃなく、自分の目で確かめるべきだ」

〇同(続き)

櫻子が震える手で封筒を開く。

一枚目。父の輸入契約書の写し。見慣れた父の署名(アップ)。仲介人の欄に、木島徳蔵。
二枚目。その年の珈琲豆の相場表。
三枚目。父の死後、木島が残った豆を買い取った受取証。『相場は三分の一に下がった』と説明した記録と、同じ豆を相場近くで転売した伝票が添えられている。
四枚目。ミモザの給金帳の写し。女給たちの給金から「部屋代」「食事代」「衣装代」が実費以上に差し引かれ、手元にはほとんど残っていない。契約時に聞かされていない衣装代もある。千代の名前、皿洗いの少女の名前、そして櫻子の名前。

櫻子の手から書類が滑り落ちかける。海風にさらわれそうになった一枚を、茂文がつかむ。

櫻子は声を出さず、ぽろぽろと涙をこぼす。
茂文は何も言わない。風上に立って、黙ってハンカチを差し出す(きゅんどころ。触れずに寄り添う)。
櫻子はハンカチを受け取り、涙を拭う。それから、顔を上げる。

櫻子「……行きます」
茂文「どこへ」
櫻子「木島さんに、自分で聞きます。國衛様は、後ろにいてください」

〇ミモザ・店内(閉店後・夜)

客のいない店内。帳場でそろばんを弾く木島。片付けをしていた千代たちが、ただならぬ空気に手を止める。

櫻子が帳場の前に立つ。少し後ろに茂文。

櫻子「木島さん。父に珈琲の取引を勧めたのは、木島さんだったんですか」

木島の指が止まる。茂文を一瞥し、すぐに事情を察した顔。

木島「……ああ、そうだよ」

悪びれもせず、そろばんを脇へ置く。

木島「商売とはそういうものだ。乗ると決めたのはお前の父親だ。勝手に失敗して、勝手に死んだ」

櫻子の拳が震える。

木島「それでも私は、行き場のないお前を雇ってやった。住まわせてやった。感謝こそされ、責められる筋合いはないね」

千代たちが、うつむく。

櫻子は震えながらも、まっすぐ木島を見る(大ゴマ)。

櫻子「……だったら、もう恩があるなんて思いません」

木島の顔から、作り笑いが消える。

木島「なら出ていけ。どうせこの店も、もう潮時だ。畳んでやる」
千代「そんな……!」

皿洗いの少女が千代の袖にしがみつく。女給たちが青ざめる。

櫻子(私のせいで、みんなまで――)

櫻子の肩に、後ろから手が置かれる。

茂文「その必要はない」
木島「……は?」

茂文が櫻子の隣に並ぶ。

茂文「店なら、俺が買う」