大正浪漫、恋するインデックス~おしゃべり女給と文字が苦手な御曹司~

〇横浜・山下町の通り(昼)

石畳に洋館が並ぶ港町。人力車と自動車がすれ違い、洋装の外国人と着物の人々が行き交う。遠くに汽笛を鳴らす貿易船。

櫻子モノ『大正九年、横浜』
櫻子モノ『この港には世界中の船が着いて、世界中の言葉が降りてくる』

〇カフェー「ミモザ」・店内(昼)

白いエプロンの女給たち。その中で、盆を片手に客席を小気味よく回る櫻子。

櫻子モノ『津田(つだ)櫻子(さくらこ)、十八。この店で女給をしています』

回想の小ゴマを三つ並べる。父の葬儀。布団で咳き込む母。女学校の袋を持った妹。

櫻子モノ『珈琲豆の商いでしくじった父が亡くなってから、母と妹を養うのが私の仕事』

千代「櫻子ちゃん、三番テーブル、また外国のお客さん!」
櫻子「はーい!」

櫻子、外国人客に笑顔で注文を取る(ここは小ゴマ。会話の中身は見せず、客が満足そうに頷く絵だけ)。

ドアベルが鳴る。
仕立てのいい三つ揃いに帽子の青年、茂文(しげふみ)が入ってくる。女給たちがざわつく。

千代(小声で)「……見て、すごく素敵な方」

茂文は窓際の席に一人で座り、品書きを開く。そのまま動かない。
櫻子が注文を取りに行く。

櫻子「ご注文はお決まりですか?」
茂文「……少し待て」

品書きの値段の数字は目に入る。けれど、小さく詰まった料理名を追おうとすると、途中で目が止まる。紙の端を押さえる茂文の指先に力が入る(伏線の一コマ)。

櫻子(……ずっと同じページ)

櫻子は何も聞かず、いつもの調子で。

櫻子「本日の珈琲は、ブラジルの深煎りとモカでございます。お菓子はシュークリームとワッフルです」

茂文が顔を上げる。即答。

茂文「モカ。それとワッフル」
櫻子「かしこまりました」

去っていく櫻子の背中を、茂文が一瞬だけ目で追う。

※櫻子は何も気づいていない。助けられたと気づいているのは茂文だけ。読者には「何かある」とだけ伝わればよい。

ドアベル。金髪の英国人青年、エドワードが入ってきて、断りもなく茂文の向かいに座る。

エドワード《やあ、シゲ。まだ品書きとにらめっこか?》
茂文《帰れ、エド》
エドワード《國衛(くにえ)商会の跡取りが、品書き一枚読めないとはね》

茂文の手が止まる。少しだけ顔が強ばるアップ。

茂文《……用件を言え》
エドワード《来月の茶葉の船だ。うちが押さえる》
茂文《先月のお前の見積もり、三番目の品目だけ単価が二銭上がっていた。その説明もできない男に、船は渡さない》
エドワード《……なんで言っただけの数字を覚えてるんだよ》

二人の声が大きくなっていく。エドワードが身を乗り出し、茂文も立ち上がりかける。
周りの客と女給たちは英語がわからず、オロオロ。店主も困り顔。

千代「どうしよう……喧嘩よね?」

櫻子は一つ息をつき、珈琲とワッフルを盆に載せて、まっすぐ二人の席へ歩いていく(大ゴマ)。

そのとき、エドワードの椅子が後ろへ引かれ、櫻子にぶつかる。盆が傾く。
茂文がとっさに手を伸ばし、盆ごと櫻子の手を下から支える。珈琲は一滴もこぼれない。顔が近い(大ゴマ)。

茂文「……っ」

櫻子は動じず、茂文に手を支えられたままにっこり笑う。

櫻子《お二人とも。喧嘩でしたら、お店の外でお願いいたします》

静止。店内がシンとする。茂文とエドワードが同時に櫻子を見る。
櫻子は何事もなかったように、珈琲とワッフルを丁寧に置く。

櫻子「モカとワッフルでございます」

エドワード、ゆっくり口笛を吹く。

茂文「……君、英語が話せるのか」
櫻子「はい。少しなら」

ここで茂文は気づく。さっきの「品書き一枚読めない」という一言も、彼女には全部聞こえていた。

茂文(……聞かれたか)

櫻子はそれには一切触れず、一礼して下がろうとする。
その背中に、エドワードが面白がってフランス語で声をかける。

エドワード《ではマドモワゼル。この無礼な男の代わりに謝ろう。お詫びに、今度食事でもいかが?》

櫻子は振り返り、まったく同じ笑顔でフランス語で返す。

櫻子《お気持ちだけ頂戴いたします。当店は、女給へのお誘いはお断りしておりますので》

エドワード、目を丸くしてから大笑い。
茂文は二人を交互に見る。完全に置いていかれた顔。

茂文「…………少し?」