あれから数日。
実緒から、1通のメッセージが届いた。
〈今日、配信するんだけど、よかったら聴いてほしい〉
添えられたリンクを開くと、見慣れないアカウントの画面が表示された。
《聴くね》
そう返信して、私は配信が始まるのを待った。
やがて、画面越しに歌声が流れ始める。
顔も名前も出ていない。
それでも、すぐにわかった。
実緒の声だった。
昔、放課後の教室で口ずさんでいた歌。
帰り道に、イヤホンを片方ずつ分け合って聴いた曲。
もう聴けないと思っていた声が、今、私の耳に届いている。
歌い終わると、画面にはたくさんのコメントが流れていた。
歌声が好きだと言う人。
また聴きたいと言ってくれる人。
そのひとつひとつを見つめながら、私は思った。
実緒は、今も夢を追いかけている。
以前とは違う形かもしれない。
思い描いていた未来とは、違うのかもしれない。
それでも、実緒は自分で選んだ道を歩いている。
夢を叶えることだけが、夢を追うことじゃない。
何かを諦めたからといって、それまでの時間までなくなるわけじゃない。
きっと、これからも実緒は迷うのだと思う。
私だって、そうだ。
配信が終わったあと、私は実緒にメッセージを送った。
《素敵な歌だった》
少しして、返事が届く。
〈ありがとう!〉
それから、もう1通。
〈また聴いてね〉
《うん。絶対聴く》
短いやりとりを終えて、私はスマホを置いた。
画面が暗くなったあとも、しばらく実緒の歌声が耳に残っていた。
あの頃、実緒が夢を選んだとき。
私は、何も言えなかった。
応援したい気持ちも、寂しい気持ちも、どちらも本当だったのに。
どちらかひとつを選ばなければいけないと思っていた。
でも、そんなことはなかったのかもしれない。
大切な人の夢を応援しながら、離れるのが寂しいと伝えたってよかった。
相手の選択を尊重することと、自分の気持ちをなかったことにすることは、同じじゃない。
私はようやく、そのことに気付けた気がした。
*
翌朝。
「奏ー!おはよ!」
教室に入るなり、朱莉が駆け寄って後ろから抱きしめてきた。
『おはよう。朝から元気だね』
「うふ、あ!聞いて!今度、康太くんと買い物行くことになった!」
『へえ、いいじゃん』
「でしょ?今度こそ、前から欲しかった服、買うんだ〜」
『……好みに寄せるのはいいの?』
そう聞くと、朱莉は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「もちろん、好きって言ってもらえたら嬉しいよ?」
『うん』
「でも、私が可愛いって思う服も着たいじゃん!」
『……そうだね』
「だから買い物行って、お互いの好きなものを探すんだ〜」
『いいね』
朱莉は満足そうに頷くと、私の腕を引いた。
「ね、今度一緒に選んでよ!」
『いいよ』
「やった!」
いつもと変わらない笑顔。
けれど、以前より少しだけ、自分の気持ちに素直になった朱莉がそこにいた。
きっと、これからも好きな人の言葉に悩むことはあるだろう。
自分を変えたくなることだって、きっとある。
それでも、そのたびに自分がどうしたいのかを考えられたら。
誰かに合わせることも、自分を貫くことも、自分で選べるのなら。
その選択は、きっと朱莉だけのものになる。
「……奏?」
『ん?』
「なに考えてんの?」
『……別に』
「えー、絶対なんか考えてたじゃん!」
『何でもないって』
「怪しいー!」
朱莉が笑う。
私も笑い返した。
そういえば、実緒にも同じようなことを言われた気がする。
顔に書いてある、って。
そんなことまで思い出して、少しだけおかしくなった。
私は今まで、自分の気持ちを伝えないことが、相手を大切にすることだと思っていた。
実緒の夢を邪魔したくなかった。
朱莉の選択を否定したくなかった。
だから、自分の気持ちは後回しにしてきた。
けれど、本当にそうだったのだろうか。
嫌われるのが怖かっただけじゃないのか。
大切な人を失うのが怖くて、何も言わずに、わかったふりをしていただけじゃないのか。
今なら、少しだけわかる気がする。
相手を大切にすることと、自分の気持ちを伝えることは、両立できる。
伝えたからといって、相手の選択を奪うわけじゃない。
たとえ自分の望んだ答えが返ってこなくても、相手の気持ちを知ることはできる。
それなら、これからは。
『……ねえ、朱莉』
「なに?」
『今度、私の話も聞いてよ』
朱莉は目を丸くした。
「え? もちろんいいけど……急にどうしたの?」
『……なんとなく』
「なにそれ!」
そう言いながらも、朱莉は嬉しそうに笑った。
「いいよ!もういい!ってなるまでいっぱい聞いてあげる!」
『……ふふ、うん』
いつか、また迷う日が来ると思う。
朱莉が誰かを好きになって、また寂しくなるかもしれない。
実緒が新しい夢を見つけて、また遠くへ進んでいくかもしれない。
そのとき、私はちゃんと笑って送り出せるだろうか。
自分の気持ちを隠さずに、相手の気持ちも大切にできるだろうか。
まだ、わからない。
きっと、これからも何度だって悩む。
それでも、もう何も言わずに諦めることだけはしたくなかった。
正解なんて、最初から決まっているものじゃないのかもしれない。
誰かのために変わることも。
自分のために変わらないことも。
夢を追いかけることも。
今ある生活を大切にすることも。
どれかひとつだけが正しくて、他は間違いだなんて、誰にも決められない。
17歳の私たちは、まだ知らないことばかりだ。
選んだ道が正しかったのかなんて、今はわからない。
いつか後悔する日だって、きっと来る。
それでも、そのときの私たちが悩んで、考えて、自分で選んだのなら。
その選択まで、間違いだったことにしたくない。
「奏、今日1限移動教室だった!急がなきゃ!!」
気付けば、朱莉が音楽の授業の用意を持って目の前に立っていた。
『……うん、今行く』
私は急いで用意して、朱莉の隣に並んだ。
窓の外では、風に揺れた木々の葉が光っていた。
まだ、答えは出ていない。
それでも、私たちはこれからも考え続けるのだと思う。
自分のために。
大切な誰かのために。
そして、いつか答えを見つけたとき。
その先に何が待っていたとしても、自分の足で歩いていけるように。
ーー答えのその先に、私たちは。

