それから数日。
実緒とは、決して、毎日連絡を取るようになったわけじゃなかった。
朝に「おはよう」と送ることもなければ、寝る前に「おやすみ」と言うこともない。
それでも、ふとした瞬間にメッセージが届く。
〈今日バイト長かったー〉
《おつかれ》
〈奏は?〉
《今帰ってるとこ》
そんな、どうでもいいようなやりとり。
昔だったら、こんなふうに連絡を取り合えることすら考えられなかった。
実緒が学校を辞めると決めた日。
私は何も言えなかった。
いや。
正確には、言わなかった。
「頑張って」
それさえも言えなくて。
実緒がどんな気持ちで学校を離れるのかも。
その先で何をするのかも。
聞くのが怖かった。
だから私は、実緒がいなくなることを受け入れるふりをしていた。
その結果、私たちは1年も離れてしまった。
ーー今度は、逃げたくない。
そう思うようになっていた。
*
休憩時間。
「奏ー?」
『……え?』
顔を上げると、朱莉が不思議そうに私を見ていた。
「さっきからスマホばっか見てない?」
『あ、ごめん』
「誰?」
『……別に』
「怪しいー」
朱莉が私のスマホを覗き込もうとする。
『ちょ、やめて』
「えー、いいじゃん!」
『ダメ』
「なんでー?」
笑いながらスマホを胸元に隠す。
その瞬間、朱莉の表情がほんの少し曇った。
「……ふーん」
『……朱莉?』
「別にー」
そう言って、朱莉は前を向いた。
いつもなら、そのまま何も考えずに流していた。
でも。
今日は、なぜか引っかかった。
*
放課後。
昇降口で靴を履き替えていると、朱莉が突然口を開いた。
「ねえ、奏」
『ん?』
「この前言ってた子ってさ」
『……実緒?』
「うん、その子」
少しだけ間が空く。
「……もしかして、好きなの?」
『え?』
思わず聞き返した。
朱莉は慌てたように笑う。
「いや、なんか最近その子の話するとき、奏、ちょっと嬉しそうだから」
『……そうかな』
「うん」
『……好きっていうのとは違うよ』
そう答えた。
たぶん、それは本当だった。
実緒に対して抱いている感情を、私はまだうまく説明できない。
懐かしい。
会えて嬉しい。
寂しかった。
心配だった。
その全部が混ざっている。
「そっか」
朱莉は笑った。
でも、その笑顔はいつもより少しだけぎこちなかった。
「じゃあ、よかった」
『何が?』
「なんでもない!」
朱莉はそう言って、先に歩き出した。
『朱莉?』
「今日たーくんと会うから!」
振り返った朱莉が笑う。
「じゃあね!」
『……うん』
その背中を見送りながら、私は何となく思った。
ーー朱莉、何かあったのかな。
*
その日の夜、お風呂上がって携帯触りながら至福な時を過ごしていると。
新規メッセージの通知があり、ふと見ると、
〈奏〜!!( ; ; )〉
朱莉からだった。
『ん?』
『《どうしたの?》っと…』
〈たーくんに振られたぁぁ!慰めて!!〉
あ〜…今回は割と続いてたのに。
《よしよし》
〈私には奏だけ!〉
『また都合の良いこと言って…』
画面を見ながら思わずツッコまずにはいられなかった。
…でも嬉しい気持ちも隠せず、複雑だった。
*
次の日、昼休み。
「あ、康太くんからだ〜」
朱莉は弁当を食べながら、携帯を触り返信を返していた。
『康太くん?』
聞き覚えのない名前だったので、思わず聞き返すと、
いつも通り、何でもないことのように衝撃な事実を言った。
「あ、今ね、いい感じなんだ〜!」
『…昨日別れたばっかなのに?』
「あ!もちろん同時進行じゃないよ?!それだけは神に誓って!」
確かに付き合ったり別れたりを繰り返している割には、それはポリシーとしてあるらしい。
『うん、それはわかってる。…ちなみに、どこで出会ったの?』
「インスタだよ?こないだの投稿に可愛い!って言ってくれてね〜!今度会うことになったんだ〜♡」
『…会ったことないの?』
「え?うん、だってメッセージし始めたの今日からだもん」
……呆れて食らっていると、また何食わぬ顔で
「でも康太くん、ロング派なんだよなぁ」
それだけがネック、と呟きながらプチトマトを頬張っている。
『……え?せっかく短くしたのに?』
「そうなの!失敗したの〜」
『…失敗って…』
思わず苦笑する。
「…だからさ〜…エクステ付けよっかなって」
一瞬、言葉が出なかった。
数日前。
「短いのもかわいいかな」
そう言っていた朱莉を思い出す。
『……朱莉は?』
「え?」
『朱莉自身は、どっちが好きなの?』
朱莉は箸を止めた。
「……どっちって?」
『長いのと短いの』
「うーん……」
しばらく考えてから、朱莉は笑った。
「康太くんが好きなほう」
『……そうじゃなくて』
「え?」
『朱莉はどうしたいの?』
今度こそ、朱莉は黙った。
教室の中はいつも通り騒がしい。
誰かが笑っていて。
誰かが机を動かしていて。
窓の外から運動部の声が聞こえる。
なのに、私たちの周りだけ時間が止まったみたいだった。
「……わかんない」
朱莉が小さく呟いた。
『え?』
「だって、好きな人が好きって言ってくれるなら、そのほうがよくない?」
『……』
「長いほうが好きなら無理してでも伸ばすし、短いほうが好きなら切るし」
いつもの朱莉なら、笑って言っていたはずなのに。
今日は笑っていなかった。
「…そのほうが、嫌われないじゃん」
その言葉に、胸が詰まった。
『……朱莉』
「なに?」
『それ、しんどくないの?』
「……なんで?」
『だって』
言葉が続かない。
私は今まで、朱莉が楽しそうならそれでいいと思っていた。
朱莉自身が選んでいるのなら、私が口を出すことじゃない。
そう思っていた。
でも。
「……奏はさ」
朱莉が私を見る。
「私にどうしてほしいの?」
『……え』
「髪も、服も、性格も」
「私が誰かを好きになるたびに、奏ってちょっと嫌そうな顔するじゃん」
『そんな……』
「するよ」
朱莉は笑った。
でも、その笑顔は泣きそうにも見えた。
「私が変わるの、嫌なんでしょ?」
『……』
「だったら言ってよ」
その言葉に、何も返せなかった。
ずっと言いたかった。
変わらないでほしい。
誰かの好きな色に染まらなくても、朱莉は朱莉のままでいい。
そう思っていた。
だけど。
『……言えないよ』
「なんで?」
『だって……』
私は俯いた。
『朱莉がそれで幸せなら、それを否定したくないから』
「……」
『私が嫌だからって、朱莉の選択を止める権利なんてないし』
「……奏」
『っ、だからっ……』
声が少し震えた。
『朱莉が自分で選んだことなら、私は応援したい』
それを聞いた朱莉は、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……それ、優しいんじゃなくて、ずるいよ」
『……え?』
「奏はいつもそう」
朱莉は目を伏せた。
「私のことを考えてるみたいな顔して、なんにも言ってくれない」
『……』
「私がどうしたいか聞いてくれるくせに、奏がどう思ってるのかは教えてくれないし」
胸の奥が痛かった。
何も言い返せなかった。
「……ごめん」
朱莉が小さく笑う。
「なんか、変なこと言っちゃった」
『朱莉』
「午後の授業始まるし、食べよ」
そう言って、朱莉は弁当に視線を落とした。
それ以上、話すことはできなかった。

