カフェを出て、実緒と別れた。
「また連絡するね」
そう言って手を振る実緒に、私も小さく手を振り返した。
背を向けて歩き出すと、思っていたよりも足取りが重いことに気づく。
聞きたいことは山ほどあったはずなのに、実緒を目の前にすると、どれも言葉にならなかった。
それでも、また会える。
そう思うと、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
スマホを取り出すと、朱莉からメッセージが届いていた。
〈奏ー!今なにしてる?〉
〈今日夜、たーくんと会うんだけどさ、髪切るか迷ってるんよねー〉
そういえば、前にそんな話をしていた気がする。
《まだ迷ってるの?》
〈うーん、割と伸ばしてはいたからなーって〉
《朱莉はどうしたいの?》
送ってから、少しだけ画面を見つめた。
いつもなら、そんなことを聞いたりしなかった。
朱莉が彼氏の好みに合わせたいと言えば、それに似合いそうな髪型を一緒に考えていたし、
本人が楽しそうなら、それでいいと思っていた。
けれど、今日こそは朱莉自身がどうしたいのかを聞きたくなった。
〈えー、どうしよ笑〉
〈でも短いのもかわいいかなって思ってる!〉
《じゃあ切ってもいいんじゃない?》
〈奏もそう思う?〉
《朱莉が気に入るなら》
〈よし!切っちゃお!笑〉
いつもと変わらないやりとり。
だけど、私にとって、ちょっとだけ勇気を出した最初の一歩にも思えた。
私はスマホをしまい、家までの道を歩き出した。
*
次の日の朝。
「奏ー!」
教室の扉から顔を覗かせた朱莉が、私を見つけるなり、手を振った。
『わ!』
「え、どう?!可愛いでしょ?!」
そう言って、朱莉は嬉しそうに一回転して見せて、髪を揺らした。
腰ぐらいまで伸びていた綺麗な髪が肩につくくらいのショートへと変わっていた。
「ねぇ似合う?」
『…似合ってるよ』
それは嘘じゃなかった、けど。
「でしょー?美容師さんにも褒められた!」
いつものように笑う朱莉を見ながら、私は昨日の実緒の姿を思い出していた。
朱莉は、好きな人ができるたびに雰囲気が変わる。
そのたびに、私は少しだけ寂しくなる。
でも、朱莉がそれを望んでいるのなら、私が口を出すことではないと思っていた。
そのあと、違う話題を話し続ける朱莉に対して適当に相槌をしていたら、
キーンコーンカーンコーン……
授業が始まるチャイムが鳴った。
*
「……奏?」
『え?』
「なにぼーっとしてんの?笑」
『いや、なんでもない』
「ふーん?」
話半分で授業を受けていると、いつの間かお昼休みになっていたようだ。
朱莉は少し首を傾げたあと、私の前の机を前後にくっつけながら思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、昨日なにしてたのー?午前中連絡あんまり取れなかったじゃん?」
『……友達と会ってた』
「え!誰?」
『……前に仲良かった子』
「へえ!中学の友達?」
『いや、高1』
「えー!そんな子いたんだ!」
朱莉は目を丸くした。
「…え、今何組?」
『今は…高校やめたの』
「そうなんだ…あ、じゃあ久しぶりに会ったってこと?」
『……1年ぶりくらいかな』
「そんなに!?」
朱莉は驚いたように声を上げたあと、少しだけ表情を和らげた。
「……会えてよかった?」
その質問に、すぐには答えられなかった。
会えてよかった。
そう思っている。
でも、それだけじゃない。
『……うん。よかったと思う』
「そっか!」
朱莉はそれ以上、詳しく聞こうとはしなかった。
その気遣いが、少しだけありがたかった。
けれど、無償に私の方から話したいと思った。
『……その子ね、バンドやってたんだ』
「えっ、そうなの?」
『しかもデビューしたんだよ』
「すご!じゃあ、芸能人みたいな感じ?」
『まあ、そんな感じかな』
「えー!うちの高校にそんなすごい子がいただなんて!」
『……でも、もう解散しちゃったんだけどね』
朱莉の表情が少し変わった。
「……そうなんだ」
『うん』
それ以上、言葉が続かなかった。
事務所の不正のことも、活動休止のことも、私は知っている。
でも、実緒がそのあとどう過ごしていたのかは知らない。
昨日会ったときも、バイトをしているとしか聞けなかった。
「……奏はさ」
『ん?』
「その子と、また仲良くしたい?」
不意に聞かれた質問に、私は思わず朱莉の顔を見た。
『……わかんない』
「そっか」
『……でも』
言葉を探す。
『……また会いたいとは思った』
朱莉は小さく頷いた。
「じゃあ、また会えばいいじゃん!」
あまりにも簡単に言うものだから、思わず笑ってしまった。
『……そんな簡単なことじゃないよ』
「えー?なんで?」
『……いろいろあるの』
「そっかぁ」
朱莉は弁当の蓋を開けながら、何気なく続けた。
「でもさ、会いたいって思えるなら、会ってみてもいいんじゃない?」
その言葉に、昨日の実緒の顔が浮かんだ。
また会いたい。
そう思ったのは、私の方からだった。
それなのに、私はまだ、実緒に聞きたいことを何ひとつ聞けていない。
『……そうだね』
小さく返すと、朱莉は満足そうに笑った。
「うん!それに、かなが楽しそうなら朱莉も嬉しいし!」
『……なにそれ』
「えー?親友だから!」
そう言って、朱莉は私の弁当から卵焼きをひとつ取った。
『ちょっと、それ私のなんだけど』
「いいじゃーん!ひとつくらい!」
『昨日も食べたじゃん』
「昨日のは昨日!今日のは今日!」
相変わらずの朱莉に、私は呆れながらも笑ってしまった。
こういう何気ない時間が、私は好きだった。
朱莉といると、ひとりだった頃の自分を忘れられる。
だからこそ、失いたくなかった。
けれど。
朱莉がこれからもずっと、私の隣にいてくれるとは限らない。
そんなことを考えてしまう自分が、少し嫌だった。
*
その日の放課後。
帰り支度をしていると、スマホが震えた。
画面を見ると、実緒からだった。
〈昨日はありがとう〉
続けて、もう一通。
〈また会えたら嬉しい〉
短い文章を眺めながら、昨日のことを思い返す。
あのとき、実緒は何かを言いかけていた。
結局、何を伝えたかったのかはわからない。
私だって、言いたいことがあったのに。
《私も》
送信してから、少し迷った。
本当は、もっと伝えたいことがある。
寂しかったこと。
怒っていたこと。
心配していたこと。
それでも、今はこれだけでいいと思った。
すぐに既読がつく。
〈ありがとう〉
そのメッセージを最後に、会話は終わった。
スマホを鞄にしまい、教室を出る。
今度会ったときは、ちゃんと話せるだろうか。
あの頃、言えなかったことを。
今度こそ、自分の言葉で。

