「……どっか入ろっか」
実緒の言葉に、小さく頷いた。
近くにあったカフェに入り、向かい合って席に座る。
注文を済ませても、会話はなかなか続かなかった。
昔は、こんなことなかったのに。
一緒にいるだけで、次から次へと話したいことが浮かんできた。
くだらないことで笑い合って、気づけば帰る時間になっていたことも、1度や2度じゃない。
それなのに、今は何を話せばいいのかさえわからない。
「……学校、どう?」
先に口を開いたのは実緒だった。
『普通だよ、2年になってもまあ…そんなに変わんないし』
「そっか。……友達も、できたんだもんね」
『…うん』
「あの子…ジュリちゃんだっけ」
『そう』
「……投稿何個かチラッと見たけど全部雰囲気が違っててビックリしたけど……いい子そうだね」
『…そうだね、いい子だよ』
それ以上、会話は続かなかった。
運ばれてきた飲み物に口をつける。
実緒はカップを両手で包むように持ち、視線を落としていた。
……聞きたいことは、たくさんある。
今は何をしているのか。
あの事件があってからどう過ごしていたのか。
これからどうするつもりなのか。
でも、どれも簡単には聞けなかった。
私が知りたいのは、そんなことだけじゃない。
どうして、何も言ってくれなかったのか。
どうして、私との関係を終わらせる必要があったのか。
あの頃……そして、今も。
何を思っているのか。
本当は、それを一番聞きたかった。
「……奏」
『ん?』
「……あのさ」
実緒が何かを言いかけて、口を閉じる。
その様子を見て、思わず顔を上げた。
『……なに?』
「……いや、なんでもない」
まただ。
言いかけて、やめる。
それは、今の私たちを表しているようだった。
『……実緒』
「ん?」
『……今、何してるの?』
聞きたかったことの中から、結局、いちばん無難な質問を選んでしまった。
実緒は少しだけ目を伏せる。
「……バイトしてる…かな」
『そうなんだ、なんの?』
「カラオケ」
『へぇ!キツそう…』
「いや?慣れたらそうでもないよ」
『…そっか』
それ以上、踏み込むことはできなかった。
実緒も、何かを話すつもりはないのかもしれない。
それなら、今日ここに来た意味は何だったんだろう。
そんな考えが浮かんで、すぐに打ち消した。
会いたいと思ったのは、実緒の方だけじゃない。
私だって、本当はずっと会いたかったのかもしれない。
「……奏」
『なに?』
「会ってくれて、ありがとう」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
『……別に。私も、会いたかったし』
「……うん」
『……また、会える?』
口にしてから、自分でも驚いた。
実緒も少し目を見開いて、それから小さく頷いた。
「……うん。会いたい」
その返事を聞いて、ほっとした自分がいた。
けれど、聞きたいことは何ひとつ聞けていない。
伝えたいことも、何ひとつ伝えられていない。
あの頃と何も変わらないまま、私はまた、自分の気持ちを飲み込んでしまった。
*
カフェを出て、実緒と別れた。
「また連絡するね」
そう言って手を振る実緒に、私も小さく手を振り返した。
背を向けて歩き出すと、思っていたよりも足取りが重いことに気づく。
聞きたいことは山ほどあったはずなのに、実緒を目の前にすると、どれも言葉にならなかった。
それでも、また会える。
そう思うと、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
スマホを取り出すと、朱莉からメッセージが届いていた。
〈奏ー!今なにしてる?〉
〈今日夜、たーくんと会うんだけどさ、髪切るか迷ってるんよねー〉
そういえば、前にそんな話をしていた気がする。
《まだ迷ってるの?》
〈うーん、割と伸ばしてはいたからなーって〉
《朱莉はどうしたいの?》
送ってから、少しだけ画面を見つめた。
いつもなら、そんなことを聞いたりしなかった。
朱莉が彼氏の好みに合わせたいと言えば、それに似合いそうな髪型を一緒に考えていたし、本人が楽しそうなら、それでいいと思っていた。
けれど、今日こそは朱莉自身がどうしたいのかを聞きたくなった。
〈えー、どうしよ笑〉
〈でも短いのもかわいいかなって思ってる!〉
《じゃあ切ってもいいんじゃない?》
〈奏もそう思う?〉
《朱莉が気に入るなら》
〈よし!切っちゃお!笑〉
いつもと変わらないやりとり。
だけど私にとって、ちょっとだけ勇気を出した最初の一歩にも思えた。
私はスマホをしまい、家までの道を歩き出した。
*
次の日の朝。
「奏ー!」
教室の扉から顔を覗かせた朱莉が、私を見つけるなり手を振った。
『わ!』
「え、どうどう?!可愛いでしょ?!」
そう言って、朱莉は嬉しそうに髪を揺らした。
腰ぐらいまで伸びていた綺麗な髪が肩につくくらいのショートへと変わっていた。
「ねぇ似合う?」
『…似合ってるよ』
それは嘘じゃなかった、けど。
「でしょー?美容師さんにも褒められた!」
いつものように笑う朱莉を見ながら、私は昨日の実緒の姿を思い出していた。
朱莉は、好きな人ができるたびに雰囲気が変わる。
そのたびに、私は少しだけ寂しくなる。
でも、朱莉がそれを望んでいるのなら、私が口を出すことではないと思っていた。
そのあと、違う話題を話し続ける朱莉に対して適当に相槌をしていたら、
キーンコーンカーンコーン……
授業が始まるチャイムが鳴った。
*
「……奏?」
『え?』
「なにぼーっとしてんの?笑」
『いや、なんでもない』
「ふーん?」
話半分で授業を受けていると、いつの間かお昼休みになっていたようだ。
朱莉は少し首を傾げたあと、私の前の机を前後にくっつけながら思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、昨日なにしてたのー?
午前中連絡あんまり取れなかったじゃん?」
『……友達と会ってた』
「え!誰?」
『……前に仲良かった子』
「へえ!中学の友達?」
『いや、高1』
「えー!そんな子いたんだ!」
朱莉は目を丸くした。
「…え、今何組?」
『今は…高校やめたの』
「そうなんだ…あ、じゃあ久しぶりに会ったってこと?」
『……1年ぶりくらいかな』
「そんなに!?」
朱莉は驚いたように声を上げたあと、少しだけ表情を和らげた。
「……会えてよかった?」
その質問に、すぐには答えられなかった。
会えてよかった。
そう思っている。
でも、それだけじゃない。
『……うん。よかったと思う』
「そっか!」
朱莉はそれ以上、詳しく聞こうとはしなかった。
その気遣いが、少しだけありがたかった。
けれど、無償に私の方から話したいと思った。
『……その子ね、バンドやってたんだ』
「えっ、そうなの?」
『しかもデビューしたんだよ』
「すご!じゃあ、芸能人みたいな感じ?」
『まあ、そんな感じかな』
「えー!うちの高校にそんなすごい子がいただなんて!」
『……でも、もう解散しちゃったんだけどね』
朱莉の表情が少し変わった。
「……そうなんだ」
『うん』
それ以上、言葉が続かなかった。
事務所の不正のことも、活動休止のことも、私は知っている。
でも、実緒がそのあとどう過ごしていたのかは知らない。
昨日会ったときも、バイトをしているとしか聞けなかった。
「……奏はさ」
『ん?』
「その子と、また仲良くしたい?」
不意に聞かれた質問に、私は思わず朱莉の顔を見た。
『……わかんない』
「そっか」
『……でも』
言葉を探す。
『……また会いたいとは思った』
朱莉は小さく頷いた。
「じゃあ、また会えばいいじゃん!」
あまりにも簡単に言うものだから、思わず笑ってしまった。
『……そんな簡単なことじゃないよ』
「えー?なんで?」
『……いろいろあるの』
「そっかぁ」
朱莉は弁当の蓋を開けながら、何気なく続けた。
「でもさ、会いたいって思えるなら、会ってみてもいいんじゃない?」
その言葉に、昨日の実緒の顔が浮かんだ。
また会いたい。
そう思ったのは、私の方からだった。
それなのに、私はまだ、実緒に聞きたいことを何ひとつ聞けていない。
『……そうだね』
小さく返すと、朱莉は満足そうに笑った。
「うん!それに、かなが楽しそうなら朱莉も嬉しいし!」
『……なにそれ』
「えー?親友だから!」
そう言って、朱莉は私の弁当から卵焼きをひとつ取った。
『ちょっと、それ私のなんだけど』
「いいじゃーん!ひとつくらい!」
『昨日も食べたじゃん』
「昨日のは昨日!今日のは今日!」
相変わらずの朱莉に、私は呆れながらも笑ってしまった。
こういう何気ない時間が、私は好きだった。
朱莉といると、ひとりだった頃の自分を忘れられる。
だからこそ、失いたくなかった。
けれど。
朱莉がこれからもずっと、私の隣にいてくれるとは限らない。
そんなことを考えてしまう自分が、少し嫌だった。
*
その日の放課後。
帰り支度をしていると、スマホが震えた。
画面を見ると、実緒からだった。
〈昨日はありがとう〉
続けて、もう一通。
〈また会えたら嬉しい〉
短い文章を眺めながら、昨日のことを思い返す。
あのとき、実緒は何かを言いかけていた。
結局、何を伝えたかったのかはわからない。
私だって、言いたいことがあったのに。
《私も》
送信してから、少し迷った。
本当は、もっと伝えたいことがある。
ー寂しかったこと…
ー怒っていたこと…
ー心配していたこと…
それでも、今はこれだけでいいと思った。
すぐに既読がつく。
〈ありがとう〉
そのメッセージを最後に、会話は終わった。
スマホを鞄にしまい、教室を出る。
今度会ったときは、ちゃんと話せるだろうか。
あの頃、言えなかったことを。
今度こそ、自分の言葉で。

